今日は昼過ぎからずっと雨だった。まあそれでも仕事はある。仕事の中で、昨日読んだ日経BPの記事の言葉を女の子に聞いてみた。「量産系女子」って何?
その記事は誰が「アパレルを殺すのか」シリーズの中で共立女子短期大学渡辺明日香教授のインタビュー記事「アパレル企業を悩ませる“量産系女子”」だ。量産系?ザクやドムではあるまいし、え、何が?というのが私の見えている世界。大昔の松田聖子と中森明菜が最盛期だった時の女子のファッションといったらそりゃもう、量産系というより規格系としか言いようがなかった。だから量産系ってなに?カローラかいな?
「渡辺:「量産系女子」とも言われますが、思いっきり尖ったものを着る子は少なくなりましたね。1994年からストリートの定点観測をしていますが、今売っているものを今着る、というように変わっているので、その中でコーディネートすると、どうしてもみんな同じような格好になる。一方で、それが多様性の欠如には直結していません。本当はものすごく多様化しているのです。多様化しすぎていて、違いを比べた時に、その差が外部から見えなくなっているという感じです。」
これが定義。なお私のみている4大だともう少し豊かになる。この理由は多分、短大のカリキュラムが厳しいことがあると思う。2年間でどこまで高められるかというのが短大で、取得資格が重要視されるのでどうしてもカリキュラムがギチギチになる。結果ファッションは両極端になりやすいのだが、それが量産系女子に収まっているというのが特徴なのだろう。
「彼女たちは非常に自由で、何でも着ていいし、トレンドもたくさんあるという、豊富な選択肢が目の前に広がっている。それゆえに、よりどころを見つけづらくなり、自分で選ぶのが難しくなっている。だから無難なところで収まって、その中で小さな個性を演出するようになっているのだと思います。」
この一言がとてもよく表している。私自身は、最近の学生はアメカジが多いな問い思っていた。いや、もう少し正確に言えば30年前のアメリカ通販に出ていたような服がとても多い。今だとGAPだろうか。スタンダードなオールドファッションだ。だが彼らはアメカジとは思っていないようで、それがトレンドだと思っていたようだ。
そう考えてゆけば量産系女子は5年前からかなり増えていたのだなと気がつく。流行色を中心にコーデするというのが一般化した。
「分かりやすいオススメコーディネートがあって、メークもその通りにやればよかった。いわば、雑誌は教科書だったんです。昔は楽だったとも言えますね。現在は、SNS(交流サイト)で情報が山のように取れるようになったのはいいけれど、自分で能動的に情報を取捨選択していかないといけなくなっている。“お墨付き”がないから、自分が選んだものに自信や確証が持てない。その証左として、最近の学生は洋服を褒めると、ことのほか喜ぶんですよね。」
これはすごくよくわかる。
「ものすごく興味がありますよ。よく言われる「ファッション離れ」なんて一切ありません。おしゃれを楽しみたいという気持ちは強いんです。ただ一方で、ひねれば蛇口から出るほど情報があって、それをさばききれない状態でもある。「誰かに選んでほしい」と思っている。」
なのでものすごく大変なことになっている。
「彼女たちは非常に自由で、何でも着ていいし、トレンドもたくさんあるという、豊富な選択肢が目の前に広がっている。それゆえに、よりどころを見つけづらくなり、自分で選ぶのが難しくなっている。だから無難なところで収まって、その中で小さな個性を演出するようになっているのだと思います。」
私、日本人はついに小物まで追求するファッションセンスになったのかと思っていたら、様相が違うようだ。個性を出すための努力しか見ていなかったのだ。量産系女子という言葉は思いつきもしなかった。
ただこの卑下したような言葉に、何か業界的ないやらしさがある。尖った服をかえ!みたいな感じだ。逆に言えばバブルの時の服は確かに良かったが、あの時でも普段に尖った服をきている人は少数だった。今の状況を渡辺明日香教授も記事中で、全く否定していない。
ネット上では古いものもいっぱい見られる。それらを参照した結果、相当同じようなのだが全く違うファッションが生き残る。未だかつて森ガール系やとても根強いエスニック、そして古着重ね着ファッションは健在だ。
古着はゾゾタウンの政策で今後もっと面白くなるとおもう。
ファッション業界の人たちには悪いが、なんでこんなことに気がつかないのだろう。その上、量産系女子という言葉を重ねるのだろうか。
そして彼らは、ひとつ失敗した。服を軽くしすぎたのだ。そう重量でね。素材も結果化繊になり、動きやすさを追求した挙句、ファッションの古典的意味がなくなってしまったのだ。価値の喪失だ。
あの重さに耐えられる人だけができるのが、ファッションなのだ。
全てカジュアルな世界では、そもそも究極のファッションはない。