どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

今日は牛乳の日で写真の日

2017-06-02 01:24:09 | 日記

 

今日は10時から雨が降った。ほぼ1日降っていたろう。かなり強く降ることもあった。

この雨の中「牛乳の日」のイベントで牛乳を配っていた。この牛乳の日というのは「6月1日は、国連食糧農業機関(FAO)が2001年に提唱した「World Milk Day(世界牛乳の日)」です。」だそうな。「酪農の盛んな地域では、新しい草が伸びる頃から放牧を始め、冬を牛舎で過ごした牛たちは野に放たれ躍り上がって喜び、思う存分青草を食みます。生命力あふれるこの時期、ミルク、これをもたらす命や自然、働く人々に感謝するお祭りやお祝いが世界各地で行われます。」ということで、なんで6月1日なのかははっきりとしていない。

祭りと言ってもイギリスの1826年起源の「チーズ転がし」くらいしか思いつかない。アホなお祭りだ。斜面の上から円筒形のホールチーズを落として転がってゆくのを人が追いかけるというものだ。もちろん人も途中で転んでゴロゴロ落ちてゆく。落ちてゆく人たちを保護するのがどう見ても地元のラグビーチームの面々だ。

31日に友人と話をしていて6月1日は「写真の日」だとなって、「?」となった。何か根拠があるのかどうか。全くわからない。写真の発明された日は、まあこれもフランス・イギリス・ドイツと発明者がいて、どの日にするのか国によっても違うだろう。一応は1826年にフランスのニエプスが発明したとされるが、その技法を発展させたダゲールのダゲレヲタイプの技法がフランスアカデミーで発表されたのが1839年8月19日なので、8月19日がふさわしいかもしれない。それでは6月1日は日本で最初に写真が撮影された日だからだという。「東京日の出新聞』1902(明治35)年4月6日から27日まで19回にわたって連載された鈴木天眼筆の「日本写真の起源」で、上野彦馬に関する写真事暦に「天保12年にオランダ人から長崎にもたらされ、島津斉彬を写した…」および、1907(明治40)年の松木弘安筆の『寺島宗則自伝』に「天保12年上野俊之丞と鹿児島に同行し、6月1日に島津斉彬を撮影…」との記述を基に制定された」

だが日本写真協会ではオソロシイ報告をしている。つまりこれは間違いだったのだ。

わが国に写真が渡来したのは嘉永年間とされ、最初にダゲレオタイプ(銀板写真)の撮影が成功したのは、1857(安政4)年9月17日に、薩摩藩士の市来四郎、宇宿彦右衛門らが藩主島津斉彬を撮影したもので、現在鹿児島の尚古集成館に保存されている。」

日本人が日本人を初めて撮影した日ということのようだが、そのままにしたのも、元々の写真の日の意味が、産業振興でしかなかったためだろう。

 

 

あと数時間でアメリカが地球温暖化を緩和させるためのパリ協定から離脱する見通しだ。そうならないことを祈る。

アメリカ人のマッチョ志向は、結構好きだ。だが流石に変えてゆかないといけないだろう。確かにアメリカでプリウスやステラの車が売れているのも事実だ。だがそれ以上に、マッチョ志向の保守派が多いのも事実だ。なので地球温暖化CO2説も陰謀論で片付けられてしまう。

アメリカのエネルギー会社がパリ協定に止まるように言っているから、陰謀説は本当に根拠がないのだが。

アメリカは神から与えられた地だからなぁ。その生活も神から認められたもんだろうからなぁ。メキシコは神から愛されなかったから、国土を奪っても良かったんだろうし、黒人は遅れた人種で最後に作られた白人に比べて劣っていたのだろうし、黄色人種に至っては中間の失敗作だったのだろうから、インディアンは虐殺しても良かったし、中国人の移民は制限するし日本人は強制収容所に隔離したしねぇ。

まあいいや。カリブ海とフロリダはハリケーンでメチャクチャになって、北東部は大寒波と豪雪で楽しんでもらえればいいな。西海岸は大渇水でいいんじゃないの?

中国がパリ協定を遵守すると言っているが、多分これは本気だ。国内問題が大きい。そこまでも被害が大きい。そして守った時の伸びしろがあまりにも大きすぎる。今までが野放図すぎたのだ。

アメリカが尊敬される国家なのは、反省し解決してゆくからだ。だがそれをやめたら、今の時代では全く尊敬されないだろう。

 

 

出来損ないの写真の日に、写真を撮っている。自虐だな。