今日の午前中は大雨だった。12ミリの降水だが11から12時の間で8ミリ、10分間では2ミリの雨が降った。それが午後2時頃から薄日が差して、晴れ間がのぞいてきた。
狐の嫁入りだろうか、晴れているのに雨が降ってきた。その後風がとても強くなった。おかげで考える時間ができた。
昨年ベアレンのオクトーヴァーフェストでセミプロの歌手とギターのデュオを聞いて、どうしてこの人たちはこんなにうまいし、周りも受けているのだが、私にとってどうしてこんなに苦痛なのか、以来考え続けている。
プロとアマの技術差がある意味なくなってきている。しかしプロとアマの差はものすごく開いてしまっている。音楽性の違いといえばそれはそうなのだ。
私がおかしいだけなのかもしれない。
昨日ジャズバンド、編成が少し変わっている、サックスとクラリネットの持ち替えと、ピアノ、7弦ギター(とは言ってもバス弦を使った演奏はなかった)、小さめのコントラバスの編成だった。コントラバスとギターは組んでかなり長く、アマチュアジャスバンドとして技術的にいうことはないのだが、何か変。
そもそも公開練習という訳のわからないものに突然付き合わされてしまった時点で辛口になるのだ。
だけど一つだけよくわかったことがある。譜読みが甘すぎる。ジャズなのに譜読み?そう思われる方は普通だ。アマチュアのジャズバンドは大抵完璧な譜面を用意する。場合によっては既存の楽譜だ。プロや今回のようなハイアマだと自分で譜面起こしをしている。だが即興での揺らぎができるかどうかは、プロとアマの違いがある。
まあそれがジャスかといえば、実はデキシーランド時代から実際そうなのだ。ここの32小節は全部フリーでいいよとかアバウトなだけだった。転調しても元に戻ってこなければいけないとかお約束はある。それが演奏技術と客の受け入れ方の変化で、フリーの領域が広がっていただけだ。現在は緻密な構成のために、完璧なフリーは無くなっていると聞いている。完璧に譜面に起こしておいて、そこからが音楽性や感性の見せ所になっている。
自分でこうして整理していて、ものすごくイラついている。
譜面に囚われた演奏は、ジャスでない。
譜面には音はない。