なんでもルーキー

『禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし・・』 
我が身に降りかかる災いと幸せに、一喜一憂することなく生きたい。

サヌキのピッピ

2014年05月31日 | グルメ

香川に帰る楽しみの一つがうどんを食べること。

他県向けの有名なうどん屋以外で、香川県人なら自分のおきにいりのうどん屋を

一つや二つはもっているもの。

祖父の墓の近くにある〈サヌキのピッピ〉。

ピッピとは香川県の方言で、うどんの幼児語である。

かつては同じ名前で違った場所にあったが、国道が広がる関係で立ち退いたのだろうか?。

しかも小学校の同級生の女の子の家がやっていたと聞いてるが、いずれも定かではない。

記憶にある限りでは初めて訪れる。

おやじは今でもお気に入りのうどん屋の一つだとか。

店内は広く開放的。

店のおばちゃん達の元気な声が店内に響く。

土曜のお昼時のせいか、家族連れも多く見られる。

私は初めてのうどん屋では大概これを頼む。

釜揚げうどん(大)。

熱々シコシコ麺に、ネギ、生姜をたっぷり絡めて食べる。

「うまい・・・うますぎる・・・。」

(埼玉県人が言うと、続く言葉は違った言葉になるが!?。)

香川県人にとって本当の意味での帰省の実感は、この瞬間にあるのかもしれないな。

 

 

 


お墓参りをしてから祖母に会いに・・・

2014年05月29日 | 家族

「もう以前のばあさんとは違うから、覚悟しておいたほうが良いよ。」

あらかじめおふくろや従兄弟からそう聞かされていた。

両足を骨折、腕も左手は動かせず、右手もかろうじて動く程度。

脳梗塞の影響で話すことすらままならないらしい。

ひょっとすると「私が誰なのか」わからないのでは。

2年前に他界した祖父は、亡くなる数年前喜ばせようと内緒でサプライズで会った時

私のことを「姉の旦那」だと言っていたっけ・・・。

その時は祖父は歩けたし元気だったので、「なに言よん!〇〇(私)やん!。」と

みんなで笑ったものだったが・・・。

はたして・・・祖母は・・・。

坂出ICで高速を降りかつて祖父母が住んでいた家に向かう。

数年に1度香川へ帰るたびに新しい道ができ、記憶を頼りに走ると気づくと旧道だ。

「日本一狭い県にこんなに道が必要なのか?」と関係ないがふとそんなことを考える。

無事到着し数時間横になって運転の疲れをとった。

目が覚めてまずは祖父のお墓まいりへ。

 

 

墓は私の生まれ育った町並みが一望できる小高い丘の中腹にあり、鳥のさえずりや

木々のそよぎ以外は何も聞こえないほど静かな所だ。

子供の頃、祖父に連れられてよく来た場所。

梅や桃の木があり、きれいに花が咲く頃は格別だ。

そしてお昼を近くのうどん屋でとり、祖母のいる特老へと向かった。

4階の4人部屋、奥の窓際に祖母のベットはある。

私らのことがわかったのか、こちらを見た瞬間に泣き出した祖母。

歩けず手も動かせず、日中ベットで横になることしかできない。

食べることも排泄処理すらも、もう自分の手では不可能なのだ。

ただおそらく私のことはわからないだろう、と思って対面したので

私の名前を呼びながら泣く祖母に、内心安堵した思いもあった。

色んな思いや、思い出が祖母の感情を揺さぶるのだろう。

言葉にできないもどかしさを感じながらも、必死に何かを伝えようとする

気持ちが表情から伝わってきた。

だが祖母の感情も落ち着いた頃、何度もうなずきながらふと投げかけてくる眼差しは

時に他人へのそれであった・・・。

脳梗塞を患ってるのは間違いないので、安心するのは糠喜びのようだ。

あまり長くいると祖母も疲れるので、明日また来ることを伝えて外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


祖母に会いに香川県へ。

2014年05月28日 | 家族

94歳になる祖母に会いに香川県まで行ってきた。

先週の金曜日、夜勤から帰宅後しばし仮眠を取り夕方5時に出発。

姉宅に向かい姉を乗せ与野ICから高速に乗った。

距離にして約800km、時間にして12時間ほどを予定。

香川への車での帰郷はこれで6度目になる。

埼玉から香川へ車で行くと言うと、大抵の人は目を丸くする。

飛行機や新幹線で帰れば早いし楽だが、いかんせんそれでは香川県内での移動が大変。

どこに行くにも車がないと不便なところなので、少々大変だろうがやはり車を選択する。

新しい新東名、そして名神の夜間集中工事の通行止めを迂回するため伊勢湾岸、東名阪

新名神、第二京阪、近畿道と初めて通る高速道も多く不安であった。

ナビがないため(いやあっても私は使いこなせないが)頭の中にルートと地図を叩き込む。

それでも不安なら、分岐の直前のSAかPAでルートを再確認することを怠らないことだ。

新東名ではカーブや勾配差の少なさを実感し、伊勢湾岸では海沿いの工業地帯に感心

新名神では「まさか甲賀を走るとは・・・。」初めてのルートならではの発見や気づきがある。

また今のSA、PAは昔と違っておもしろい。

食べ物もおいしいし、地域限定品の販売も充実、深夜になっても開いている店が多く

ついつい寄り道してしまうので時間がいくらあっても足りない。

京都大阪を走りぬけ、山間部の中国自動車道山陽道を走る頃疲れもピークに達する。

だが瀬戸中央自動車道に入り、瀬戸大橋を渡る頃にはゴールも見えて不思議と疲れも

眠気も吹き飛ぶ。

瀬戸大橋を渡る時、ちょうど夜が明けてきた。

瀬戸大橋番の州付近からみた日の出だ。

「帰ってきた・・・。」坂出ICはすぐそこだ。

早くばあさんに会いたいな!。

 

 

 


ナビスコカップ〈名古屋グランパス戦〉

2014年05月22日 | 大宮アルディージャ

知り合いのパパさんよりカップ戦の招待券をいただいた。

仕事を終え埼京線に飛び乗り、いつものように大宮駅で下車。

妻子の到着を待ち、コンビニでお弁当を買ってNackスタへ向かった。

受付でチケットを交換したところ、ホームサポーターゾーンと思いきや

ホームバックSA自由席だった。

今日はカップ戦かつ平日の夜開催ということであきらかに客層がいつもと違う。

スーツを着たサラリーマン、スポンサーの招待客が多かった。

まあ彼らにとってはサッカーの試合を見に来ただけで、試合結果などどうでも良い。

お酒を飲みながら終始仲間達とワイワイガヤガヤ楽しそうだ・・・。

酔いが回ると、「日本代表がどうのこうの・・闘莉王シュート打て~!。」

あげくの果てには仕事の愚痴が始まり、聞きたくなくても聞こえてくる会話には

終始辟易させられた。

(アルディージャの試合内容にも左右されたのは否めないが・・・)

しかしホームバック自由席は、野球で言えば内野席だ。

その会話に対して目くじらを立てる私に非があるのは確か・・・。

私とはアルディージャに対する思い入れにあきらかに温度差があるし、途中どうしても

落ち着かなくなり、次女を誘って空いているゴール裏に。

不思議なもんでここで立って応援したほうがしっくりくる(次女も!)。

「だいぶんアルディージャにハマってるな~!」と、こうして周りの客に気づかされたのは初めてかも。

また妻は今日がスタジアムでのサッカー観戦デビュー。

いつもは私一人がイソイソとレプリカユニを来て出かけるのを、どこか覚めたような目で見ている妻。

ストレスを溜め込みやすい私に、サッカーで発散できるのなら「どうぞご自由に・・・」と。

今日はお酒の飲めない夫の横で、ビールを飲みながら(豪快にこぼすし~・・・)スタジアムの雰囲気

にも酔い、時折ゴール裏の応援を興味深そうに眺めていた。

ゴールが決まった瞬間、勝利の瞬間、そして「寝ても大宮」の、あの歓喜を味わってもらいたかったが

今のアルディージャではそれもなかなか厳しいかもね。

案の定シュート2本では勝てないわな・・・。

最初の試合がこれでは気の毒だが、これに懲りずにまた行こう。

「一緒に行くのは大歓迎なので・・・。」

 

 

 

 

 

 


メニエール病・・・発症から2ヶ月半

2014年05月16日 | つぶやき

夜勤明けは耳鳴りと閉塞感が殊更悪化する。

睡眠不足、疲労、メニエール病にとっての大敵要素が重なるのだから仕方がない。

症状は2ヶ月半が経過しても一向に改善される様子はない。

薬も残りわずかになり、午前の診察時間に間に合うよう帰宅後急いで準備し病院へ。

前回の診察時、「最近、何かありましたか?」と言う医者の質問に対して

何も答えられなかったことを猛反省。

そこで夜勤務中仕事が一段落したのを見計らって、ここ数年体を襲った不調や

禁酒をしていること、献血をしたこと、不規則な勤務体系にあることなどを紙に列挙した。

今回はその紙を先生に手渡して、メニエール病との因果関係について応えてもらった。

まず禁酒について・・・。

「アルコールはめまいを誘発するので、飲まないに越したことはない。」とのこと。

次にかつてうつを発症したこと、献血をしていること、水分を多く取得していることに関しては

特に何も言わなかった。

肝機能のγーGTPの数値悪化も関連は見当たらない。

最後に一番問題視していたのは、やはり不規則勤務体系だった。

「夜勤あるんだ~?。」(医者)

「はい・・・。」(私)

「いつから?。」(医者)

「3年ほど前からです。」(私)

「週に何回くらい?」(医者)

「週1です・・・。」(私)

「週1か・・・(しばし考えて)睡眠不足は一番メニエールに良くないからね~。」(医者)

思えば3年ほど前、人事異動があった直後はほぼ夜勤務だった。

それから3ヶ月後、40歳を超えてからの急激な生活環境の変化に、眠れない日々が続き

体も腹痛やはきげを伴うようになった。

そして程なく「うつ」を発症した。

会社に相談したところ、「うつは、戦線離脱(=戦力外)だからな!。」と

心配されるどころか恐ろしい一言を突きつけられた。

それでも温情で、なんとか週1の夜勤務には変更してもらえた。

(それで駄目なら「首だ」という暗黙の了解付きで・・・。)

あれから3年、週末は自転車でサイクリングロードを走るなど身体と心を鍛えるようにした。

またそれまで以上にスタジアムへ通い、夢中でアルディージャを応援するようにもなった。

今ではようやくこの勤務体系、生活リズムに慣れたのだ。

今回も会社に病気(メニエール病)の相談をしたところで、何もならないのはわかっている。

それこそへたをしたら戦力外にさせられるだけだ。

痛いほど身に染みているので、親身にわかってくれる人以外には社内では話せないな。

しばらくは悪化しないようこのまま薬を飲み続け、めまいの発症を食い止める。

これ以外対処方法はないようだ。

 (今後めまいが起きたら・・・いやそれは考えないようにする。)