馬場俊英さんの「人生という名の列車」という歌がある。
この歌で馬場さんは、人生を走り続ける列車に例え
社会に出る時の駅を「旅立ちという名のターミナル」と称した。
ここは「パパ、ママがくれた切符の終着駅」。
なんとも言い得て妙な表現をしている。
友達はそこから北へ、南へ、西へと旅立って行ったが
彼はその旅立ちという名の駅のベンチで
まだ行き先を決めかねている、と言う歌詞。
真新しいスーツに身を包み、和やかで屈託のない笑顔。
4月に入り街中では、新社会人を多く目にするようになった。
一様に澄んだ目をし、意気揚々とした凛々しい姿は一目瞭然だ。
どんな未来をも明るく捉え、何事にも前向きに挑戦しようという意思が
全身からにじみ出ている。
かつては自分にもこんな時期があったのだろうが
すでに遠い過去になりつつあり、もはや思い出すことさえ困難だ。
そんな眩い彼らも、GWを過ぎたあたりから目は座り虚ろになり
あれほど溌剌としていた風貌が、信じられないほどの影を帯びるようになる。
「まったく嫌なことを言う中年だな・・・」と、思うだろうが
こちらは嫌味のつもりは微塵もない。
彼らはその時ようやく、本当の意味での『社会人』になるのだ。
私は社会人になり、初めてそれまで思いを馳せることのなかった
凡庸な両親の生き方を鑑みた。
そして、自分の人生をそこに重ねてみた。
するとごく平凡な人生に思っていた親父とおふくろが
理不尽で不条理に満ちたこの世界を
どんなに大変な思いをしながら生きてきたかを知って
涙が頬を伝った。
「あ~・・・これが社会に出る(=社会人になる)ってことなんだ。」
実感した瞬間であった。
新社会人の姿を見るにつけ、ふと自身の当時が思い出される。
「あれからもう20年か・・・。」
戸惑いと不条理の人間社会へようこそ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます