なんでもルーキー

『禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし・・』 
我が身に降りかかる災いと幸せに、一喜一憂することなく生きたい。

社会人になる時は・・・いつ?。

2015年04月08日 | 思うこと

馬場俊英さんの「人生という名の列車」という歌がある。

この歌で馬場さんは、人生を走り続ける列車に例え

社会に出る時の駅を「旅立ちという名のターミナル」と称した。

ここは「パパ、ママがくれた切符の終着駅」。

なんとも言い得て妙な表現をしている。

友達はそこから北へ、南へ、西へと旅立って行ったが

彼はその旅立ちという名の駅のベンチで

まだ行き先を決めかねている、と言う歌詞。

 

真新しいスーツに身を包み、和やかで屈託のない笑顔。

4月に入り街中では、新社会人を多く目にするようになった。

一様に澄んだ目をし、意気揚々とした凛々しい姿は一目瞭然だ。

どんな未来をも明るく捉え、何事にも前向きに挑戦しようという意思が

全身からにじみ出ている。

かつては自分にもこんな時期があったのだろうが

すでに遠い過去になりつつあり、もはや思い出すことさえ困難だ。

そんな眩い彼らも、GWを過ぎたあたりから目は座り虚ろになり

あれほど溌剌としていた風貌が、信じられないほどの影を帯びるようになる。

「まったく嫌なことを言う中年だな・・・」と、思うだろうが

こちらは嫌味のつもりは微塵もない。

彼らはその時ようやく、本当の意味での『社会人』になるのだ。

私は社会人になり、初めてそれまで思いを馳せることのなかった

凡庸な両親の生き方を鑑みた。

そして、自分の人生をそこに重ねてみた。

するとごく平凡な人生に思っていた親父とおふくろが

理不尽で不条理に満ちたこの世界を

どんなに大変な思いをしながら生きてきたかを知って

涙が頬を伝った。

「あ~・・・これが社会に出る(=社会人になる)ってことなんだ。」

実感した瞬間であった。

新社会人の姿を見るにつけ、ふと自身の当時が思い出される。

「あれからもう20年か・・・。」

 戸惑いと不条理の人間社会へようこそ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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