なんでもルーキー

『禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし・・』 
我が身に降りかかる災いと幸せに、一喜一憂することなく生きたい。

高齢者の闇・・・

2015年05月28日 | つぶやき

【高齢者のストーカーが増加】

「男はいくつになっても・・・。」と、単純には言い切れないのがストーカー。

付きまとったり、脅迫したりと、明らかな行為とは別に

どこまでがストーカー行為で、どこまでが違うのかよくわからない範疇もある。

単純に、被害者側の判断次第でどうにもとれる気がするが・・・。

どうやら、社会的成功者と呼ばれた高齢者に増加中とのこと。

あるコメンテーターが言うに、「かつての社会での成功者は、仕事、家庭にはもはや未練は

ないが、仕事一筋ゆえに恋愛だけはしてこなかった。そして彼らは成功者にみられる

断られる経験に乏しく、恋愛感情を抱いた相手から否定、拒否されるととたんに

ストーカーへと豹変する。」と、述べていた。

もちろんそれは高齢者ストーカーの一面を述べているにすぎない。

しかし同様に、切れる高齢者の増加も叫ばれるようになり久しい。

街中のいたるところで、切れる切れる切れる・・・。

店の店員に、駅員に、電車の中で・・・。

私が目にする身近なところでは、サッカーの試合中聞くに耐えないやじを飛ばす

高齢者の多いこと甚だしい。

いずれにせよ彼らに共通しているのは、寂しさ虚しさがにじみ出ていること。

高齢者は人生の先輩と、若輩者が敬うことも必要だが

もはや時代は代わり、世代を超えた交じり合いも少なく

話をする機会も減る一方だ。

そんなご時世で、口を開けば居丈高に上から押さえつける発言しかしない高齢者は

若輩者からしたらご遠慮したくなるのも当然か・・・。

 

亡くなった私の祖父は、人生の成功者と自分では思っていなかったはずだが

よく「人生なんて、クソみたいなものだ!。」と笑いながら話していた。

他の孫達にどうだったか知らないが、私にはいつも偉ぶることなく

語りかけてくれ、だからか、私も祖父が大好きだった。

私も歳を取ったら、祖父のような威張らず優しいじいさんになりたい思ってきた。

ムスっと口をへの字口に曲げ、厳しい表情かつ、口を開けば小言ばかり・・・。

それでは本当に周りに人がいなくなる。

高齢者の闇と言うが、自分から変われば周りも変わるし

自業自得のような気もするが、どうだろうか?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


他人の作ったおにぎりは食べられるのか。

2015年05月16日 | 思うこと

先日テレビを見ていると、小学生の4人に1人は「他人の作ったおにぎりを

食べるのに抵抗がある・・・」と、言っていた。

彼ら全員が潔癖症なのか、と言うとそうではない。

大人ならまだしも偏見かもしれないが、菌などあまり気にしない子どもの

実に4人に1人というのが味噌で、明らかにそこには地域環境、また親の

教育が影響してくる。

私はこのニュースを聞くまで、妻がおにぎりを作る時、サランラップを使用して

いるのを見て不思議に感じたことがあった。

熱さを妨げるのならアルミホイルだし、サランラップは自分の手がベタつくのを

防ぐ目的なのかな、と漠然と理解していたぐらいだ。

後日確認したところ、妻に関してはそうだと・・・。

しかしラップなら確かに手の汚れ、菌がおにぎりに付着することはない。

衛生的にも非常に優れているわけだ。

しかしいつからこんなに気にするようになったのだろう・・・。

昔は地域の人達が集まるイベントには、必ず大量のおにぎりが用意された。

三角巾、エプロンをつけ、額に汗をかきながら友達のお母さん達が

テントの下で炊きあがった大量のほかほかご飯を次から次へとにぎる。

お腹を空かした私ら子供達は、そんな風景を見ながらまだかなまだかなと

待ちわびたものだ・・・。

「汚らわしい・・・。」

そんな感情などこれっぽっちもなく、手で握られたおにぎりからは

一種の崇高さ、人の温かさが感じられた。

そしてまちがいなく、美味かった・・・。

今はと言うと、他人が作った手作りのおにぎりを食べる機会はまずない。

ましてや、他人がおにぎりを目の前でにぎる姿すら見ることがない・・・。

地域社会のつながりの希薄性、人からもらったものは食べないと教える教育

行き過ぎた無菌主義、潔癖体質・・・。

機会の喪失がさらに拍車をかける。

「他人の作ったおにぎりは食べられるのか?。」

その問いかけに対する私自身の答えも・・・

「できれば、No・・・」だ。