【高齢者のストーカーが増加】
「男はいくつになっても・・・。」と、単純には言い切れないのがストーカー。
付きまとったり、脅迫したりと、明らかな行為とは別に
どこまでがストーカー行為で、どこまでが違うのかよくわからない範疇もある。
単純に、被害者側の判断次第でどうにもとれる気がするが・・・。
どうやら、社会的成功者と呼ばれた高齢者に増加中とのこと。
あるコメンテーターが言うに、「かつての社会での成功者は、仕事、家庭にはもはや未練は
ないが、仕事一筋ゆえに恋愛だけはしてこなかった。そして彼らは成功者にみられる
断られる経験に乏しく、恋愛感情を抱いた相手から否定、拒否されるととたんに
ストーカーへと豹変する。」と、述べていた。
もちろんそれは高齢者ストーカーの一面を述べているにすぎない。
しかし同様に、切れる高齢者の増加も叫ばれるようになり久しい。
街中のいたるところで、切れる切れる切れる・・・。
店の店員に、駅員に、電車の中で・・・。
私が目にする身近なところでは、サッカーの試合中聞くに耐えないやじを飛ばす
高齢者の多いこと甚だしい。
いずれにせよ彼らに共通しているのは、寂しさ虚しさがにじみ出ていること。
高齢者は人生の先輩と、若輩者が敬うことも必要だが
もはや時代は代わり、世代を超えた交じり合いも少なく
話をする機会も減る一方だ。
そんなご時世で、口を開けば居丈高に上から押さえつける発言しかしない高齢者は
若輩者からしたらご遠慮したくなるのも当然か・・・。
亡くなった私の祖父は、人生の成功者と自分では思っていなかったはずだが
よく「人生なんて、クソみたいなものだ!。」と笑いながら話していた。
他の孫達にどうだったか知らないが、私にはいつも偉ぶることなく
語りかけてくれ、だからか、私も祖父が大好きだった。
私も歳を取ったら、祖父のような威張らず優しいじいさんになりたい思ってきた。
ムスっと口をへの字口に曲げ、厳しい表情かつ、口を開けば小言ばかり・・・。
それでは本当に周りに人がいなくなる。
高齢者の闇と言うが、自分から変われば周りも変わるし
自業自得のような気もするが、どうだろうか?。