なんでもルーキー

『禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし・・』 
我が身に降りかかる災いと幸せに、一喜一憂することなく生きたい。

大宮アルディージャ新クラブハウス練習場グランドオープンへ2

2013年01月30日 | 大宮アルディージャ

2階のテラスへは出入りが自由である。

1階には「オレンジスクエア」もオープン。

特に小さな女の子達は、どちらかというとクラブハウスや選手よりも「アルディとミーヤ」に夢中。

次女も「ミーヤ」に会えてこの日一番の笑顔!。

セレモニーでは社長の挨拶があり、そのあと選手が練習場へと姿をあらわした。

とにかく気温が低く風も強い日だったので、練習前の選手達はかなり寒そうだった。

練習開始はアップから。

選手の息遣いを感じられるほど近くで練習風景を見たのは初めてであった。

志木のグラウンドでは、河川敷き上の土手に自転車をとめて遠くから見ていたので選手の表情

まではよくわからなかった!。

私のポタリングコースの一つであった志木グラウンド(荒川右岸・・・)。

「もうあそこでは見られないんだ」と思うと寂しいものがあるが、より良い充実した設備や環境は選手や

チームにとって欠かせないのは事実。

しかし良い表情の選手達!。

やる気やチームの雰囲気の良さが感じられる。

この後まだまだ練習は続くのだが、寒さが一層増してきたため帰ることにした。

次回は1・26のファンフェスタの模様を載せたいと思う。

いつになるやら・・・。

 


大宮アルディージャ新クラブハウス練習場グランドオープンへ

2013年01月24日 | 大宮アルディージャ

1月20日(日)アルディージャの新クラブハウス・練習場がグランドオープンされた。

記念すべきこの日に次女を連れて行った。

川越線に平成21年3月14日に開業した新しい駅「西大宮駅」で降りる。

駅周辺はどんどん開発が進み、4年前の駅開業前からとは今では想像できないほどである。

駅開業で一番その恩恵を被ったのが「埼玉栄高校」だろう・・・・。

その埼玉栄高校のサッカー部のユニホームは「オレンジ!」(縁ある)。

そして・・・「オレンジロード」と名づけられた新しい道を進むと・・・。

「見えた~」新しいクラブハウスが姿を現した。

まだまだ周辺は工事中である。

「オレンジキュ~ブ!」

いや~立派なクラブハウス。

到着時すでに大勢のアルディージャサポーターがいた。

(次回へ続く)

 


ボーリングへ・・・

2013年01月20日 | 家族

前回いつどこでやったのが最後なのか、全く記憶にないほど遠ざかっている「ボーリング」。

実は5~6年前に近所にできて、歩けば5分ほどのところにあるにも関わらず行く機会は

なかった。

娘達は育成会(子供会)の行事の一つとしてよく行っているらしいが・・・。

ボーリングが嫌いとかではなく、ただ余暇の遊びの中にたまたまなかっただけ。

先日偶然ショッピングモールで「2ゲーム+貸し靴代=1000円」のチラシを見た。

土曜日、妻は仕事で長女はバスケへ・・・次女を連れて行ってみることにした。

次女に「ボーリング行く?」と声をかけたところ、「えっ?。パパ・・・ボーリングするの?」と言う

顔をしていた。

それはそうだろう・・・ボーリングの話を次女にするのはこれが始めてのことだ。

準備をして出かけた。

久々のボーリング場・・・「変わったなぁ~」と思うことが多々。

まず向かった受付の横にマイボールやシューズが手ごろな値段で売っていた。

かつての記憶ではマイボールやシューズなんかも2~3万はしていたような。

またこれも時代か館内はもちろん禁煙に。

一投球終えるごとに席の後方の灰皿でふかしていたのも、今では考えられない。

あとは席についてから自分達で順番を決め、名前を打ち込んでいたがそれもフロント

でやってくれた・・・。

さていよいよ始めることに・・。

ガーターに落ちないように補助レーンをだしてもらった。

次女はもう何回もやってるので慣れている様子。

とは言え・・・後ろにボールを落としたり、隣のレーンに放ったりと・・・。

好き勝手にやっていたが、一応マナーだけはいくつか注意した。

怪我せず楽しめたらよいか。

私はと言えば・・・かつて15ポンドを軽々(?)使っていたが、とてもじゃないが重過ぎ。

「14・・・重い」「13・・・いやこれも」「12・・・このぐらいがいいかな!」。

悲しいかな・・・筋力の衰えを実感した。

次女と談笑しながらあっという間に2ゲーム終了。

結果は!。

久々にも関わらず、いや久々だったからか2ゲームめ「150」が出た。

次は家族みんなで行こう!。

(しかし・・・翌日の筋肉痛は半端じゃなかった・・・)

 

 

 

 

 


体罰について・・・

2013年01月17日 | 思うこと

大阪の桜宮高校のバスケ部顧問による体罰で、一人の生徒が自殺した事件があった。

ブログで「体罰」を検索すると、出てくるは出てくるは実際に経験していると言う意見が・・・。

思い出してみると私も多数の教師の体罰にあってきた一人だ・・・。

40歳になった今、あの体罰は「あれは・・・仕方がなかったな」と反省する一方、「あれは・・・どう

考えても納得がいかない!」という両方の思いに囚われる。

小学校時分はそれほど悪いことはしなかった(多分・・・)。

どちらかと言うとうまく隠れて悪いことをしていたタイプだった(嫌な奴)。

電車を止めたり、タバコの葉っぱに穴をあけたり、工場の窓ガラスを割ったり。

田植えの時期に溜めている用水路の水を放水したりと・・・。

今思うと・・・「前言撤回!!」なんと言う悪いことをしてたんだ!・・・と空恐ろしくなることばかり。

しかし体罰を受けた記憶はあまりない。

中学に入ると一転教師による体罰は激しくなった。

ある数学の先生は、忘れ物(コンパス、定規など・・・)をしたら教壇の横に並ばさられ

順番に木の棒でお尻を叩かれた。

私らはこれを「ケツ鉄板」と恐れた。

これはかなり痛くて、私はズボンの中にこっそりぞうきんを入れた時もある。

痛みを和らげるために・・・。

(ばれて2回叩かれたことも多々。)

また別の数学の教師は・・・これまた忘れ物をしたら、両ほっぺたをつねってねじ上げた。

これはさすがに防御策はなく堪えるのみだった。

悲願哀願の目で「やさしく・・・ゆるくしてくれ~・・・」と、教師のどこかうつろな目を見ていた気がする。

担任の英語の教師にいたっては・・・何が理由でやられたか記憶が定かでないが、クラスの全員が

廊下に一列に並ばされ、男女かまわず頭を小突かれた・・・。

いやあれは「殴られた」と言えよう。

じゃんけんのグーをしたまま、中指だけ上に出した状態にする。

その曲がった中指の第二間接部分を前頭部に振り落とす。

「ゴキッ!」鮮明に残っているぐらい目の前に火花が散った。

今でもその部分はこぶができている。

それほど強烈な「体罰」だった。

クラス全員を殴り終えた教師の目には・・・涙がうかんでいたのも覚えている・・・。

「叩きたくはない」「叩かざるをえないんだ」と言う、当時の教師の思いは今わからなくはない・・・。

しかし本当に私自身は何も悪いことはしていないのに、連帯責任の名の下にどつかれた。

当時親には言わなかった(おそらくクラスのみんなも)。

いや・・・言ってもどうにもならない時代(1980年代)だったからなのだろう。

それでも体罰を受けた私には、暗い記憶の一つとしてずっと残っている・・・。

教師による体罰以外にも・・・パワハラ、セクハラ、いじめ等も同様であろう。

これらも逃れられない状況や立場を利用した形の違った「暴力」であることに代わりない。

よって結論「どんな状況であれ教師という<立場を利用した>生徒への体罰には断固反対する。

しかし一方・・・教師の体罰を全て認めないのならば、親はもっと教師を信頼し真摯な目でみつめるよう

努めなくてはならない。

我が子の非には確固たる態度で対処しながら・・・(時には体罰をも)。

 

 

 

 

 

 

 


誕生日のお祝いを・・・

2013年01月12日 | 家族

ブログに載せようと思いながら載せられなかった昨年の出来事。

昨年の12月29日。

実家で娘達の誕生日祝い&年末の食事会をしてくれた。

おいっこ達とうちの娘達は日に日に年々大きくなり、4人が小さかった頃広かった実家の居間は

今ではかなり手狭に感じるようになった。

またよく食べるようになり、食事を作ってくれるおふくろも「すごい量になったね~」と笑いながら

話している。

実家で子供達のうれしそうな笑顔を見て、お酒を飲みおふくろの料理を食べる・・・。

そして姉夫婦、おやじ、おふくろと近況を話し合う・・・。

最高に幸せな時間だ。

姉がケーキを買って来てくれていた。

そして子供達はこの日初めて4人で実家にお泊り・・・。

冬休みの楽しい思い出が一つできたね!。