なんでもルーキー

『禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし・・』 
我が身に降りかかる災いと幸せに、一喜一憂することなく生きたい。

飲酒によるブラックアウト

2014年04月28日 | つぶやき

明日はGW恒例行事の一つである、大学時代の友人たちとの飲み会の日。

だが耳の具合がまだ芳しくないことに加え禁酒中でもある私。

酒を飲みながら友たちと語らいたかったが、今の状態ではそれも躊躇われる。

メニエール病は程度によるだろうが、めまいさえなければ普通の生活はおくれる。

低音域の聞こえが悪い、と言っても生活に支障はないレベルだ。

ただ耳鳴りと閉塞感が解消されないことには、やはり気持ちの面ですっきりしない。

「友たちよ・・・申し訳ない。」

次回は笑顔で会えるよう今は治癒に専念するよ。

 

話変わって・・・禁酒の話をしよう。

禁酒も早いもので半年(約200日)が経過した。

冷蔵庫の中には義父からいただいたエビスビールが入っているが、飲みたい誘惑に

負けることなく続けることができている。

ここ2ヶ月近くはメニエールの薬を飲んでいるので、さすがにお酒は飲めない。

禁酒を試みる最初のきっかけは、肝機能のγーGTPの数値が100を超えたことだったが

実は一つ言ってなかった大きな要因が別にある。

それは「ブラックアウト」である。

ブラックアウトとは、「記憶喪失」のこと。

お酒を飲む人なら一度や二度は経験があるのではないだろうか。

飲みすぎてどうやって帰ってきたのか覚えてなかったり

翌日に「お前・・・昨日の飲み会でのこと覚えてないのか(謝っておけよ!)?」と言われ

実はとんでもないことを仕出かした事を知り、自己嫌悪に陥ったりと。

「酔った上でのこと・・・」と、笑い流してくれる程度なら良いが、暴言を吐いたり手を出したり

器物破損行為をしたりと、許容範囲を超えてしまっては大問題だ。

飲酒歴20年、これまでにも何年かに一度はブラックアウトはあった。

しかし昨年の夏、短期間のうちに連続して三度もなった。

そのうちの二回は、サッカー観戦がらみでの出来事。

観戦中にお酒を飲み、試合後も祝勝会や反省会と称してさらに飲んだ。

そして結構酔ったところで途中からの記憶が一切途切れ、きづくと翌朝布団の中。

飲み屋で自分の分を支払ったかどうか、ラーメン屋に寄ったことも覚えていない。

帰りの電車の記憶もまったくなし・・・。

私の態度が豹変して甥っ子に何かを言ったのかしてしまったらしい。

暴力ではないようだが、「おじちゃんは怖かった・・・」と言われてしまった。

しかもそれをだいぶん経ってから、おふくろから聞きづてで知ったのだ。

これには正直かなりショックを受けた。

実はこのことこそが、禁酒に踏み切った一番大きい要因なのだ。

それまでは酒の席での出来事に対して、後になってとやかく言う輩を毛嫌いしていた。

「楽しい酒の席でのことぐらい許せよな。」

「酔ったんだからしょうがないだろ!。」と・・・。

しかし禁酒後の飲み会で、何度も同じことを言ったり、暴言を吐いたり、「飲め!」と絡んできたり

足元がおぼつかないほど酩酊状態の人などを見るにつけ、自分自身の過去を省みて

今更ながら言いようのない後悔、羞恥、そして嫌悪に襲われた。

ブラックアウト・・・」

記憶喪失によって、事故にあったり自殺をするなど命の危険に晒されもする。

また何度も繰り返すうちに、認知症のリスクを高めることもわかってきた。

「単なる飲みすぎによる一時の記憶喪失・・・」と、軽く考えるのはやめたほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


不甲斐ないアルディージャへ一言

2014年04月27日 | 大宮アルディージャ

昨日のヴァンフォーレ甲府戦。

仕事だったためNackには行けなかったが、足早に帰宅するやいなやテレ玉でTV観戦。

後半開始6分頃からの視聴だった。

しかしほどなく・・・楽しみが・・・期待が・・・見事に・・・裏切られた。

アルディージャサポ歴5年(それまではあえて言おう・・・レッズサポ・・・(・・;))。

ひどい・・・つまらない・・・ありえない・・・ほんとにプロか???と、疑うほどの体たらくな内容。

私は今までどんな負け試合も、スタジアムであろうがTVだろうが最後まで信じて見続けてきた。

しかし昨日は違った。

後半2点目を取られ、その後意地を見せ気持ちを切り替えるかと思いきや・・・。

もう・・・言うに及ばずだ。

思い出すだけで、悲しいし、虚しいし、そして怒りの感情がこみ上げてくる。

残り5分のところで、一人ため息をつき項垂れてTVを消した。

日本代表クラスがゴロゴロいたり、サブメンでもう一チームできそうな所とは元々レベルの差が

あるのは否めない。

万年残留争いを繰り返しているアルディージャに、毎試合の勝利を端から求めてもいない。

アルディージャサポの大勢は、2005年のJ1昇格以来、降格することない我がチームに《誇り》を

J1の舞台で戦い続けられることに《幸せ》を感じていると思う。

昨年の2度にわたる8連敗で、負け続ける辛さを痛いほど体感した。

だからこそ勝利がこの上ない《喜び》なのだ。

その純粋なサポの気持ちを踏みにじるような試合は、今後しないでもらいたい。

大宮を愛してるかどうかなんて、明日も知れぬプロJリーガーにあえて問わない。

だが〈J1大宮〉のオレンジユニに袖を通す以上は、誇りをもってシーズン最後まで闘ってほしい。

今のアルディージャの選手に、降格後涙する選手はいったい何人いるのだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メニエール発症から1ヶ月半

2014年04月22日 | つぶやき

仕事帰りに耳鼻科へ寄った。

薬を飲み始めて1月半あまり。

まだ耳鳴りと難聴は治っていない。

おなじみの聴力検査を行いグラフの数値を見せられるが、あいかわらず低音域が悪い。

医師の口からは「微妙だなぁ~」という言葉が・・・。

「ステロイド治療するほど悪くないし・・・何か(最近)・・・ありましたか?」と。

思わぬ問いかけに一瞬何も言えなかった、いや思いつかなかったのだ。

「特には・・・。」

春は生活環境も変化し、ストレスを受け心を病む人も多くででくる頃。

メニエール病を発症する人が多い季節でもある。

それを察しての質問なのだろう。

症状(耳鳴り、難聴)が落ち着かないのは「心因的に何かあるのでは?」との疑いか。

メニエール病は耳の病気であるが、発症は心との関係が大きい・・・。

2年前に軽いうつを発症し、その後後頭神経痛、慢性的な腹痛、肝臓の数値悪化・・・。

ここ数年、我が身には立て続けに不調が襲いかかっている。

帰宅後思い起こせば、医師にそのことを話すべきだったのだろうか。

難病指定故に、メニエール病は簡単に治癒するとは思ってない。

しかしこう治らないと「今の薬が合わないのでは・・・」「実は違う病気なのでは・・・」。

不安が増しそれがまたストレスに繋がる。

内心では半年前から続けている「禁酒が発症の発端!?」と、半ば本気でそう思っていたりもする。

ストレスを酒で紛らしていたわけだし、あながち間違っていないような気が・・・。

いずれにせよ次回検診時には、心の不調が過去にあったこともきちんと話しておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


41歳の春難デス。

2014年04月17日 | つぶやき

今年もあっという間に散ってしまった桜。

ルーキーの散歩をしながら「きれいだな~・・・」と、愛でると同時に

今春は特別散りゆく桜に我が身を重ね感傷にふけった。

なぜなんだろうか・・・。

人生の悲哀、憂愁の思いを感じる歳・・・そう

41歳の春」だから・・・(全然理由になってないし!(・・;))。

41歳の春だなんて、遠く、ずっと遠くの話だと思っていたよ。

バカボンのパパ~。

団塊ジュニア世代の私にとって、バカボンのエンディング曲は

幼少の頃から耳にしているので、未だについ口ずさんでしまう。

「41歳の(私の)春・・・これでいいのだろうか?。」

バカボンのパパに聞くと、間違いなくこう答えるだろう!。

「これで  いいのだ~!?。」

(あ~・・・やっぱり聞くんじゃなかった~。)

さて41歳の次に歳のつく私の知りうる曲は・・・

先日の柏訪問ではないが、爆風スランプの「45歳の地図」だ。

「私の 青春を 返せ~!?。」

45歳になった私は、おそらくこう叫んでるだろう。

〇△に捧げた月日は、もう・・・戻りません。

〇△は何かって?。

あれこれありますが、秘密ですよそりぁ~。

 


菜の花の咲き誇る荒サイへ・・・

2014年04月14日 | 自転車

サイクリングロードを走るには最適な季節になった。

荒サイを走るようになって3度目の春・・・。

この冬は寒さにかこつけて、ほとんど走らずに終わってしまった。

なので『乗るぞ~!』と気合を入れるが、クロスを見ると砂埃まみれ・・・(・・;)。

前輪を触るとペッシャンコ。

空気を入れてしばらくタイヤの様子をみるが、今すぐに漏れる心配はなさそうだ。

いかに走ってなかったか・・・一目瞭然。

埃を拭き取り、いざ荒サイへ。

川越線の踏み切り近くの土手は菜の花に覆われていた。

今日は無理せずゆっくり走ろう・・・。

秋ヶ瀬公園を通過し彩湖に到着。

今までに渡ったことのなかった、幸魂(さきたま)大橋も走ってみた。

右岸に渡ったものの、なかなかサイクリングロードに戻れずウロウロ・・・。

これもサイクリングの楽しみの一つで、迷いながら道を覚えていくのだ。

帰路、治水橋を超えてすぐのグラウンドを見ると、甥のサッカーチームが試合をしていた。

自転車を止め甥を探してみるがわからない。

姉にメールをするとすぐに返事が来て、100メートルほどのところに車を停めていた。

試合は始まったばかりでまだ出てないようだ。

姉、義理兄さんと「〇〇←(甥を)出せ~」と念じていると、願いが伝わったか後半も

残り10分くらいのところでコーチ(監督?)に呼ばれた(´ω`)。

ポジションはFW。

「よし!待ってました~19番。」甥が出るようだ!。

なかなか機会がなく、甥の試合を見るのはこれが初めて。

私がこれまで見たことのないほどの真剣な表情、そしてプレーだった。

いつのまにか身長も私(171cm)と変わらぬ程まで成長した。

「たくましくなったなぁ・・・。」

一方おじさんは、「歳だなぁ~・・・る、涙腺が・・・ゆるんじまって・・・仕方ねぇ~。」

サングラス越しに目頭が熱くなるのを感じる・・・。

〈Uー15〉ともなると、思っていた以上にプレーは大人顔負けで、ポジションの役割も

かなりしっかりしている。

試合は終了間際にゴールを決められ、惜しくも「1-2」で敗れた。

悔しさが表情から見て取れた。

「この悔しさは、次にぶつけるぞ~。」

私も負けじとこの日50kmを走ってきた。

しかし翌日・・・疲労からか発熱、頭痛、メニエール病の悪化による耳鳴りを伴いダウン。

(情けないなぁ・・・(;>_<;))。

でも甥のがんばってる姿を見れたし、気分はすっきりした一日だった。