弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

自分自身を知るスキルの原点

2012-12-28 18:29:48 | 日記
 人生や社会という常識(パラダイム=情報処理ソフトウェア)に合うように考えている限り、私がなぜ存在しているのか?の答えが出ないことに気が付いたとき、人生や社会等について書かれているものの全てが、そのままでは私が何か?を知る為に役立たないことを確信しました。
 人生や社会について書かれたものやさまざまな発言等を分解して、役立たないと判断した事柄についてはそれを取り除き、残ったものについて、試行錯誤しながら分類整理をし続けることで、答えに近づけると考えたのです。
 それは、そのパラダイムの外部に答えが有るのではないか?という漠然とした思いがあったからです。
 したがって、社会や世間の常識は、ただそこにあるだけのもので、ことさら反発すべきものとは考えませんでした。
 考え続けるために必要なある程度の身体的・精神的状態を維持するために社会・世間と関わる以上には、社会・世間になるべく依存しない存在に向かうことを選択したのです。
 もちろん、常に、さまざまな情報が充満している中にいる以上、それらにより内部にこまごましたインセンティブを得ようとする考え(いわゆる欲求・欲望等に関わるソフトウェア)が形成され変化して消滅し、次のものが形成され というように、形成されて消滅していないものが重ね合わされて存在していると考える必要があります。
 そうして、それによる情報処理は休むことなく行われています。
 しかし、そのような情報処理を中心にしていると、その形成に関わった情報に近い情報に対する依存度が増大していって、より広い範囲の情報処理ができなくなると考えたので、抑制できる範囲でそれを抑制していくことを考えました。
 人生・社会・世間等は、パーツとして存在するためのパラダイムに過ぎないのではないか?と漠然と思っていました。
 パーツの範囲のそとにある, パーツを重ね合わせて全体として存在できるものはどのようなものか? について漠然と、宗教的概念ではない、物理学の概念と矛盾しない、  人生・社会・世間等のパラダイムからテイクオフ(離陸)した存在という概念を思いつきました。
 それがハイパー哲学・ハイパーリテラシーへと進化していったと考えています。

 


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