風信子(ひやしんす)の☆本の紹介&エッセー☆俳句

濫読・雑読の風信子(ひやしんす)が気の向くままに、お気に入りの本を紹介いたします。

☆ 神はいるのか?

2011年08月12日 | ☆風信子(ひやしんす)の思い出。
東日本大震災でも被災者同士がお互いに助け合ったということですが、長崎で被爆した16歳の父も色々な大人に助けられて宮崎に戻ることができました。

しかし、夜学へ行けるというのでやってきた三菱重工業(株)長崎兵器製作所茂里町工場では夜学どころではなく、おまけに寮の食事は大変、お粗末なものだったようです。

オカズは、連日のようにラッキョウ漬けのみ。それにも蛆が湧いていたことがあったそうです。それでも食べるしかなかったとのこと。

個人では人情もあるのに、企業ともなると人の情けはなくなるものなのでしょう。

父は、このときの不快な気持ちを忘れることができず、(一生分のラッキョウを食べたので、ラッキョウ漬や酢の物の匂いが大嫌いになったようです。)この二つは新婚の家庭ではご法度だったと母が言っていました。

御飯は混じりけのない白いご飯に限り、こっそり昼のうちに酢をさわろうものなら、すぐに匂いがわかり、「酢、さわったやろ!」と父が怒ったそうです。

それくらい、ラッキョウ漬を嫌っていたのだそうです。

他に嫌っていたものに戦時中の戦争推進していた大人の言動があります。戦後の大人の変わり身の激しさを許すことができなかったようです。

そのくせ、子供の頃に受けた教育のせいか皇室への尊重の想いはあり、懐かしむ風もありました。

私が子供の頃から日曜日に遅くまで寝ていると、父がやってきて起こします。

「起床!起床!」と言って起こすのですが、しぶしぶ起き上がっていると、

姿勢を正して直立し、「皇国の少年、これにあり!」と芝居がかっていうのでした。

続けて、「じんむ、すいぜい、・・・」と歴代天皇の一覧を唱えたりするので、私はうっとうしく感じ、父に「右翼!」と声をあげていました。



原爆が落とされたあとの長崎で見聞きした凄まじい情景により父は、「神なんているか!」と怒りに燃えたということです。

でも、後に私が父に、「今でも神様なんていないと思う?」と聞いてみると、

「長い間、生きているといないと断定することも出来ないと思うようになってきたよ。」と言いました。

ただし、神とはいうものの、ある大いなるものであって、キリスト教のとか宗教の唱える神というものではないということでした。

人間が作った宗教というものではなく、もっと本当の大いなる神の存在は感じるという事でした。

「潮の満ちるときに人間は生まれてくるし、潮が引くときに人間は死んでいくということもあるからね。」

生後12日の兄が病死したとき、父は一晩中だいていたそうです。

そして、まだ幼くして死んだから戒名もないし位牌もないと聞いて不憫と思ったのか、父は自分で彫って位牌を作り戒名もつけたそうです。

子供の頃から見慣れていた仏壇のなかの位牌が、まさか父が自分で我が子に拵えてやったものだとは思いもしませんでした。丁寧に彫ったものでした。

そのことは父が亡くなってから叔母から初めて聞きました。

父の葬儀のあと、その父方の叔母が、「浄土真宗では仏壇に位牌は置かないのだから、置いておいてはいけない。こうしたものは御寺さんに納めないといけない。」と父の手作りの位牌を勝手に持っていってしまったのは悲しい気持ちです。よく考えたら兄の形見は位牌以外に何もないのでした。




 
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