全国的に、小中学校での学習指導に『学習塾が持っているノウハウの活用』や、正規授業・補習等に『学習塾の教師を活用』する状況が生まれています。
最近でも、大阪府の橋下知事が1月25日、民間の塾講師による補習授業を取り入れた大阪・豊中市立第七中学校を視察したことが新聞で報道されていました。
そうした例を都内で挙げると、港区で行われている土曜日を活用した補習学習指導、話題を呼んだ杉並区和田中の授業終了後の「夜スペ」発展的学習指導、各地の夏休み等の長期の休みを活用した補習学習指導などがあります。
その中でも特に江東区では、平常授業において習熟度別の学習指導を行うときに、上位クラス指導に塾教師を活用する発展的学習指導を行い、全国的に見て最も積極的な取り組みが為されています。
私自身が、現在江東区において、公立の小学校の5年・6年、および中学校の2年・3年の正規授業を担当していますので、こうした流れの中に身を置いて、生徒の学力の向上と、知識を深めることの大切さ、自分の限界にチャレンジする楽しさを教えているわけです。
そこで、こうした流れがどういった状況で生まれたのか、そしてそうした塾を活用した公教育の学習指導が、どういった位置づけで行われているのかを、今回のブログで考えてみたいと思います。
まず第一回目として、『公教育に学習塾が関与するに至った要因』について考えます。
そして次回・次々回ブログでは、『学習塾を活用した学習指導の位置づけ』その1・『学習塾を活用した学習指導の位置づけ』その2について考察します。
【公教育に学習塾が関与するに至った要因】
私は、大きく以下の『5つの要因』があると考えています。
1.ゆとり教育による学力の低下および生徒の学習意欲の低減!
『ゆとり教育』の名の下に、学習内容が大きく削減され、それに対して家庭の不安が増大しました。
しかし、実は「ゆとり教育」を推進する原動力は、「家庭」にあったことも事実です。
公立小学校では、家庭から「授業が分からない」と言われることに対し、強すぎるアレルギーがあります。
「モンスターペアレント」と呼ばれる人たちが象徴するように、学校および教師に対する家庭からのプレッシャーが強まっているのも事実です。
そうした中で、「だれもが理解できる範囲で教える」こと、すなわち「学習範囲を狭く限定する」ことは、当然の流れだったと思います。
その事象を裏返せば、多くの子供たちは、薄っぺらな教科書の範囲をマスターしさえすればそれで良いと考えるようになり、学力上位生からも、自分の分からないことを学習しようという知識欲を削ぐ結果となりました。
私は現在、塾で小学生から高校生までの指導の他に、公立小学校の5年生と6年生、および公立中学校の2年生と3年生を指導するという、貴重で希な授業体験をしています。
そうした指導の中で、最もまずいと感じる現象は、公立で学ぶ多くの生徒が「自分が分からないことに、取り組もうという姿勢が、極めて弱くなっていること」が挙げられます。
智の海原は、果てしなく広いのであって、「分からない」ことが多いのは当然であり、指導要領の範囲である自分の足下の知識だけに満足していてはいけないはずです。
そうした『海原にこぎ出す意欲とエネルギーを与える教育の役割』が、現在の公教育には希薄になっているように思います。
学習塾特に進学塾において、その指導は、生徒に対して遙かに広がる海原を示しつつ、「自分が分からないこと」に対して、常にチャレンジさせるスタンスがあります。
このスタンスは、教師も認識しているのは無論のこと、生徒も認識しているので、「分からないこと」にチャレンジさせる指導者としては、もってこいの存在が塾教師だったわけです。
2.学校週休二日制による学習量の減少を補完する補習体制の整備!
『学校週休二日制』は、明らかに就業する教師の完全週休二日制を念頭に出来上がった制度です。
この制度は、生徒および家庭の要望によるものではなく、または発足時に付与された言い訳がましい生徒の教育上配慮によるものでもなかったことは事実でしょう。
生徒が土曜日をどの様に活用すべきかは、生徒の置かれた状況を判断すると、理想と現実の乖離は大きくなるのは明瞭でした。
その結果、土曜の学習指導を行っている私立の優位が顕著になり、また子供の学習量減少に対する父母の不満等が増大する状況が生まれました。
それを解消する手だてとして、土曜の補習や、長期休暇時の補習指導の必要性が増し、家庭の要望に応える形で、実施されるようになりました。
3.閉鎖的な学校・視野の狭い教員に風穴を開ける意識改革!
教育に携わる人たちの、意識改革は、小学校から大学まで幅広く行われ始めました。
それは、学校間の指導力格差・地域的な教育格差・公立と私立の指導力格差等を直視し、その是正を目指す『競争原理の導入』が緊急の課題となったこともその理由です。
そして、教育に関しても他の分野と同様に、『限られた予算の中での費用対効果の向上』が至上命令と考えられるようにもなりました。
またさらに一歩進めて、『教育をサービス業の視点で見直す風潮』が、そこに働く『教師の意識改革を伴った変革』を求めました。
しかしこれらの変革が、内部から自立的に起こった動機によって行われているというより、外部からの圧力によって行われている面が大きく、未だ成就していると言いかねます。
この改革は、組織的な改革のみに止まらず、教師一人ひとりの意識改革が必要でした。
職業として、かなり特殊な環境におかれた教師職は、一般社会から遊離した面があります。
小中学校の教師は、まじめで善良な人たちが多いものの、「でもしか先生」と呼ばれた頃から、現状はどの程度変わっているのでしょうか。
そうした状況を『打破するカンフル剤』として、塾教師の指導を導入する面も指摘できます。
4.習熟度別クラス編成・補習等に伴う人件費抑制のための塾活用!
公立学校で、習熟度別に分けて指導することに、以前は抵抗がありました。
しかし、科目によっては『習熟度別クラスによる学習指導効果』が認められるに従い、そうした指導は一般的になってきています。
クラスをより細分化して指導するために、『指導要員の確保』が必要になり、費用対効果を考えると、現職の塾教師の活用を考えざるを得ない状況が発生しました。
質の高い習熟度別クラス編成や補習指導は、学生等のボランティアでは補完できないことは明らかです。
それを、教員増でまかなえるほど、現在の予算は潤沢ではありません。
そうした流れから、塾教師が、公立学校で教える状況が生まれたと考えられます。
5.学習塾の社会的評価の高まり!
かつては学校が担ってきた、生徒の学力向上に果たす役割のかなりの部分が、現在『学習塾を中心とする民間教育機関に委託』されて行われているのが実情です。
学習指導だけに限定すれば、学校よりもむしろこうした学習塾を中心とする民間教育機関での指導が、父母に評価されているというデータが出ているのも事実です。
学校教育は、知育だけではなく、広範囲での全人格的な教育を実施しているので、学習塾と比較するのは可哀想なのですが、特に学力上位生に対する学習指導において、学習塾なくしてその指導を語ることは出来ないのが現状でしょう。
そうした中で、塾の教師である私が、公立小中学校の習熟度別クラス編成の上位生指導を、任されることとなったのでしょう。
今回のブログでは、学習塾が公教育とタイアップして、生徒の学習指導を行うようになった現状の要因についてお話ししました。
そうした現在の改革が、公教育に及ぼす『影響および評価』は、より慎重に判断し考察しなければいけないと私は考えています。
いずれ、この点に関して、このブログで考えを述べたいと思います。
人気投票に、応援のクリックをお願いします
人気投票に、応援のクリックをお願いします
最新の画像[もっと見る]
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:近所のアジサイ 5ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:早春の花木 8ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:早春の花木 8ヶ月前
- マッキーの「四季を楽しむ」:早春の花木 8ヶ月前
ちょうど一年前から、学習塾と公立学校の連携については、私も記事にしておりましたが、今回のこちらの記事のまとめはたいへんわかりやすく、きれいに整理されていると思います。
今後の記事も楽しみにさせていただきます。
私の一番の関心事は、学習塾と公立学校の教師の、教育的な意味(学習指導だけでなく、生き方指導等も含めたもの)での「連携」についてです。
精力的に、投稿されていますが、そのエネルギーに感心していました。
今回のブログ、お褒めの言葉、ありがとうございます。
ご指摘の通り、教育に携わるものが、その垣根を取っ払って、広い意味で『教育』について、忌憚のない意見交換が出来たらいいと思います。
では、これからもよろしく!