「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教育:有害な外野の雑音

2017年04月01日 | 教育


 
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 個人が、多数の人に向けて自分の考えを発信できるようになると、クレイマーの存在が問題となります。教育に関することでも、知識が無い人が、指導に関してクレームを発信することも多くなりました。そうした点でも、学校教師にとって、大変な時代になったといえるでしょう。

 また、学術経験者という立場にある者が、教育現場にいい加減な注文をするといったことも増えました。その結果、文部科学省の指導方針がぶれるといったことも起きています。「聖徳太子」「鎖国」など、方針が示された途端に修正が入るなどは、そうした例の一つでしょう。

 ところで、脳科学者と名乗っている茂木 健一郎が、コメントした内容に、黙認できない問題があることを今回綴りたいと思います。この人物は、科学者というよりは、バラエティ番組に頻繁に出ているタレントといった方が正確です。医学部出身でもないのに、何で脳科学者なのか?また、茂木 健一郎悪質な脱税行為を行い問題となった人物でもあります。私は、以前から如何わしい人物と感じて、彼の考えには懐疑的な見方をしてきました。現場の教師は、こうした人物のクレームに惑わされる必要はありません。

 まず、茂木 健一郎が指摘した問題点を載せましょう。・・・・・・『昨日、小学校の算数のテストで、「3.9+5.1=9.0」と書いたら、減点されたというツイートが流れてきて、とてもびっくりした。これははっきり言って一種の子どもに対する「虐待」である。』

 そのままにして置くと、小数点以下に0が残る筆算や問題は多くあります。上の例だけではなく、小数の掛け算、単位の変換などでも、そうしたことが起きます。例えば、2300mをkmに変換するとき、2300の小数点を左へ3つ移動させ、筆算は行いません。すると2300m=2.300kmとなりますが、小数点以下の0は意味がないので、とる必要があります。同様に、茂木 健一郎が指摘した「3.9+5.1=9.0」についても、小数点以下の0に意味はないので、取る必要があります。それに、9.0の表記をそのままにした場合、少数第二位で四捨五入した概数と受け取られます。

 逆に、温度計を読み取る時には、目盛りの1/10まで目分量で読み取るルールになっています。すると、ちょうど気温が20度だった場合は、20℃ではなく、20.0℃と表記する必要があります。20℃と表記した場合、何らかの都合で目盛りの数値だけ読んで、19.5℃以上20.5℃未満の示度を、およそで読み取ったことになります。この時の小数点以下の0は、そうした意味で必要な0です。

 小学4年で学習する「およその数」についても同様なことが言えます。「19.95を小数第一位までのおよその数で表す」場合、少数第二位の数を四捨五入します。すると切り上げられて、ちょうど20となってしまいます。ですが、この時の小数第一位の0は、省いてはいけません。答えは、20.0と表す必要があります。およその数で20と表した場合、小数第一位を四捨五入した値で、元の数の範囲は19.5以上20.5未満となります。ですが、20.0と表記すると、少数第二位で四捨五入した数値で、元の数の範囲は、19.95以上20,05未満となり、その表す数の範囲が異なってきます。

 このように小学生に対して、小数点以下の0が必要なのか不必要なのかをしっかりと指導する必要が教師にはあります。そうした基本的な考えを指導する場合、3.9+5.1=9.0」に○を付ける教師こそ問題があり、✖を付けて減点することには意味があります。

 また、茂木 健一郎は、こうも指摘しています。・・・・・・かけ算の順序、足し算の順序、という「問題」があって、2x3=6は正解だが、3x2=6は不正解、同じように2+3=5は正解だが、3+2=5は不正解、という「世界」があるのだという。詳細はアホらしいので書かないが、もし興味がある方は検索してみて欲しい。』

 この指摘も、上記の例と同様に、現場教師の努力を無視した的外れの指摘といえます。小学校の算数において、答えが合っていればよいという指導は、好ましくありません。結果ではなく考える過程を重要視して、自分がどのように考えて答えを出したのか、論理的に説明できることが重要です。その考え方を記す手段として、式を表記するという指導法をとる場合、私はそうした指導を肯定的に捉えています。無論、掛け算やたし算には交換の法則が成り立ちますので、計算上では自在に数値を交換して行うのが一般的です。この点に関して興味ある方は、以下のブログを参考にご覧ください。

マッキーの教育:考え方を式にしっかりと表記することが算数の学力を高める

 茂木 健一郎のえげつない所は、そうした現場教師の努力を、全く無視して「アホらしい」などという言葉を使って語っている点と、子どもに対する「虐待」などという表記を行い、恫喝するような記述をしている点です。茂木 健一郎は、以上のことを考慮すれば、全くノー科学者と言って差し支えない、屈折した性格の人物と言えるでしょう。

 ところで小学校において、分数計算で、以前は答えを帯分数で表記していたのを、中学生と同様に仮分数表記が小学生算数でも認められました。私自身、中学生になって仮分数表記で良いのだと知っても、しばらくはその答えが気になったことを今でも覚えています。この変更にも、小学生の現状を理解しない者の指摘が加味されたのだろうと、私は考えています。

 最終的な答えを帯分数にしてきた意味は、出した答えが妥当かどうか見積もる手段にすることができること。また、約分し忘れなどもチェックし易くなります。そして、仮分数・帯分数の変換の練習にもなります。無論、割り算の練習にもなります。こうした、小学生の学習上の特性を考えれば、あえて帯分数で答えを出すという指導は、意味の無い指導ではありませんでした。この変更には、現場を理解していないのに知ったような素振りを見せる茂木 健一郎のようなクレーマーが介在した可能性があります。外野の雑音が、実際に悪影響を与えた例と言えます。

 保育園の現場で、子どもたちの指導に合う様々な教材を手作りしているのを見て、感動を覚えたことがありました。また、小学校の現場でも、教師たちが様々な工夫を行っているのを知っています。けれども、何故か中学校・高校と進むと、現場では学力下位層に対する指導の工夫が少ないように感じます。閻魔帳を片手に、出来ないのはお前たちの努力が足りないからだ!・・・・・・そうしたスタンスを感じます。私は、塾での学習指導以外に、教育委員会と提携し、7年間小学校と中学校の本科授業を担当しました。その経験から感じたことです。

 小学校で指導している児童全員に対して、基本をしっかりとマスターさせようとする努力や工夫は、賞賛されこそすれ非難されるものではありません。アホらしい」という言葉は、茂木 健一郎自身にお返ししておきたい。ネトウヨの如き茂木 健一郎のような輩の誹謗中傷に負けないで、小学校の教師は、自信を持ってしっかりと指導していただきたいと私は考えます。

 具体的にこうした雑音を排除するためには、教師間で指導情報の共有が一層必要となります。ただ、保護者からの質問には、的確に親身に応答する必要があります。そうした教師の煩雑な仕事が増加していることを、多くの人たちが理解を示す必要もあります。

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2 コメント

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久しぶりの硬派の記事 (tsuguo-kodera)
2017-04-01 17:51:49
 以前、蛍の光の記事でフアンになったものです。なれそめを覚えていますか。私はしつこい質ですので良く覚えています。何時も記事は読んでいます。
 久しぶりに硬派の記事、楽しめました。だらしない私ですので、人を腐すのは好きでなく、褒めるのが好きなお調子者になりました。流石にマッキーさんは素晴らしい、とだけにさせてください。
 時代の流れは早いもの。バドバカが校長になり、鈴木さんは首になりました。私は昨年末、本当に死んでもおかしくない状況になりました。凄い名医の脳外科の先生は年を越せる確率は25%と言いました。夢か幻か、仏様にあの世から追い返されました。本当なんです。
 この冬休み、気が早い快気祝いを兼ね手、孫二人と娘を連れて、私たち老夫婦は湯沢にスキー温泉旅行に行きました。
 孫はビフテキが好きですので、今回はのっぺじるなし。でも発病前の10月にやはり湯沢に行きました。のっぺじるやお蕎麦をたんと食べました。お刺身も。(笑)
 私はもうのんびりと毎日犬と遊んでいます。でも、鈴木さんが下巻を作成し始めたので、集大成の本にしようと原稿だけは書きなおしています。
 彼の予定では10月発刊。でも遅れるのが常でしょうが、もし完成したらまたお持ちします。
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Unknown (藤村眞樹子)
2017-04-06 12:09:42
たしかに電卓やパソコンを使っても、有効数字のような考え方あるいは誤差というものに注意を払うことが必要そうです。
公立の小中学校では無理でも、塾や私立小学校では能力別での授業が行われているのなら、細かい指導が可能かもしれませんね。
また、経済的に難しく、能力のある子の個別指導が地域のボランティアの力で可能になるといいでしょうね。
少子化であるならなおさら、子どもの個性、能力を引き出すということが大事そうです。
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