「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの公立中学の習熟度別クラスによる数学指導

2008年07月02日 | 教育
私は、週一回ある公立中学校で、数学を指導しています。

中学3年数学の習熟度別のクラスで、発展的な内容を学習する生徒達を教えています。
そのクラスは、中3の4クラスから、ある程度数学の基礎が出来ている生徒達、二十数名を集めて編成されていることになっています。

習熟度クラス編成が為されていると言っても、学習意欲も学力もかなり生徒間に差があります。

定期テストも終わり、公開模試を受ける時期に入ってきましたので、昨日は中1~2年の復習として、1次方程式・連立方程式を指導しました。

塾に通っていると思われる数名を除き、少し複雑になった方程式を,
「どうやって解くんだったっけ?」
と言いながら、頭を抱えてしまう始末。

Tea Break

道端の花壇

公立中学校レベルですと、この時期に及んで、まだまだ「受験生の自覚」が少ないように思います。

中学受験生は、地域により雰囲気が異なりますが、小学4年位から「受験に対する意識」が出てきます。
受験しなくとも公立中学に進学できるのですから、あえて受験するという「特別な意識」が、中学受験には必要になります。

また、小学校で学習する内容は、基本的な内容のみですので、中学受験するためには、受験対策を相当やらないと、ある程度の中学校には合格できません。
学校で最も出来る生徒でも、その対策をしていなければ、ほとんど中学受験の算数は解くことが出来ないのが事実です。

それに対し、公立の中学生は、ほぼ全員が必ず受験生ということで、逆に受験生という意識が希薄になります。
上に述べたように、中学3年の夏休みを迎える時期に至っても、
「俺、受験生か
 と言うことになります。
また、私立上位校をねらう生徒を除き、都立(公立)高校の入試問題は、基本的な問題の出題が多く、中学校で学習した内容の域を出ません。

そうしたこともあり、「何とかなるべえ」と、ほとんどの生徒が思っているうちに、この時期に至ると言うのが一般的なのでしょうか。

Tea Break

道端の花

ところで、公立高校入試には、「学校の内申」がものを言います。
「相対評価」から、「絶対評価」に評価基準が変更され、学校内申自体が、シビアなはずの「受験の選抜資料」として、「公平な資料価値」があるのかどうか、問われています。
それでも、入試選抜資料に、学校内申は必ずや残っていくでしょう。

それは、学校教師にとって「内申を書く」というのは権限であり、学習指導上大変頼もしい援護射撃になっているからです。
道徳を教科として、教師が評価するという提言もありましたが、この話には「道徳の重要性」の他に、教師の「権限もしくは権威の復活」と言った側面が見え隠れしています。

Tea Break

定期試験対策指導に集まった塾生

私が、公立小中学校で教える最も大きな魅力は、
「こうした生徒の成績を評価し記録に残す権限を持たずして、自分が培ってきた学習指導力のみで、満足のいく生徒指導が出来るのかどうか
と言うことでした。

小学生は、たぶん担任の教師よりも、私の授業のほうが、緊張感を覚えているようです。
そうした態度は、嬉しくも「かわいいな」という感想ですね。

しかし、中学生になるとこの点について、直感的に感じ取っているように思います。
この人は、「自分を評価する権限があるのかどうか」と言うことです。

塾のように、絶対私語雑談は許さない。授業中は、徹底的に学習に集中させる。
そんなことが、公立中学で出来るのか。
「評価する権限」無くして、生徒を引きつける授業が出来るか。

…ワクワクするその難問の答えは、私の真の学習指導力にかかっているのです。



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