「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教育:モース著『日本その日その日』 ・・・明治の日本

2013年11月19日 | 教育



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 およそ今から130年前、明治維新を経て「鎖国」の眠りからようやく覚めた日本の姿を、外国からやってきた人物が、驚きの眼で綴った文章があります。それが、前回のブログで紹介し、今日再び取り上げるエドワード・モースが著した『日本その日その日』です。

 私は、この文章に綴られた内容を読んで、かつてモースが驚嘆したと同様な驚きを感じます。この百年余りで、日本がかつて持っていた美点を、私たちはすっかり忘却してしまい、それを振り返れば、既に別世界のように感じる現実があります。モースの日記を読みながら、今日の私たちを自省してみる必要があるようです。未来を思い描く前に、まず過去を省みる必要があります。かつての日本人がどうであったかを、モースの日記から抜粋し、私の感想を述べたいと思います。


【正直な日本人・あるいは日本人の道徳性】

人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。』

日本人が正直であることの最もよい実証は、3000万人の国民の住家に錠も鍵もかんぬきも戸鈕(ちゅう)も、いや、錠をかけるべき戸すらも無いことである。』

『外国人は日本に数ヵ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は日本人にすべてを教える気でいたのであるが、驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているらしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正さ、他人の感情についての思いやり・・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。』

【感想】
 昨今、有名ホテルや百貨店のレストランで、食材の偽装問題が世間の注目を集めています。メニューに表示されているものとは異なる安い食材を使用し、価格は表示通りの食材を使用した高額な対価を、客に要求するという詐欺的な行為です。
全国的に発覚したこうした行為は、店側の言い訳がましい論理で、うやむやになっています。しかし、店の人たちが逆に客の立場となったなら、自分たちが犯した行為を、「世の中なんて、そんなものさ。」などとあきらめ、高額な規定料金を支払うでしょうか。

 調理師の徒弟制的な世界が持つ閉鎖性などを指摘して、こうした事例の原因としているマスコミもあります。けれども、資本主義社会にどっぷりと浸かって、拝金主義的な風潮に身を置くと、利益がモラルよりも優先されることは、残念ながらあるのではないかと思われます。中国における食品等の倫理無き商売に対して、強く指弾した私たち日本人でしたが、それが鏡に映った我が身だったとは、誰が知り得たでしょうか。

 モースが感じた、日本人の正直さや道徳性は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。今回の偽装問題が、健康に害を及ぼす食品に関わる問題ではないからといって、見過ごすわけにはいきません。外食産業全体の問題として、モラルの確立に努力してほしいと思います。住み良い社会を実現するために、古き良き日本を単に懐古調で語るのではなく、議論を前進させることが必要です。



【子供の親切な扱いは世界一】

『いろいろな事柄の中で外国人の筆者達が一人残らず一致する事がある。それは日本が子供達の天国だということである。この国の子供達は親切に取扱われるばかりでなく、他のいずれの国の子供達よりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく、気持のよい経験の、より多くの変化を持っている。』

『日本の子供が受ける恩恵と特典とから考えると、彼等は如何にも甘やかされて増長してしまいそうであるが、而も世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。』

『日本人は確かに児童問題を解決している。日本の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。』

【感想】
 封建社会が崩壊し、それでも身分制度が根強く残っていた明治の初め、外国人の目からも、日本の子供たちが恵まれた環境で育ち、それを支える母親の態度に畏敬の念さえ覚えた明治の社会状況を、検証してみる必要があります。東洋人、特に日本・韓国・中国などは、子どもの教育に熱心だと言われています。明治の日本社会では、一家庭レベルではなく、地域社会が一体となって子どものことを考え関わっていたのではないかと思われます。

 犯罪の防止の観点から、子どもに対する「声かけ禁止条例」が各地で制定されています。これは、子どもに対する意識的無関心を助長し、逆に子供たちの犯罪や不良行為の防止を妨げることにもつながります。地域社会が、子どもに対するアドバイスや注意を行う機能を、放棄するようなものだと私には思われます。

 子どもに注意を払い、問題があれば指摘する人が、犯罪者的に見られ、そこまで行かなくとも、お節介な人と見られる地域社会は、問題があります。母親の子育ての労苦を、地域社会が積極的に軽減するよう、子供たちを社会全体が見守っていく姿勢が求められます。



【明治日本の子供たちのしつけを見て】

『あのクリスマスツリーは今年も彼等のために飾られたのですが、私は、去年見た使用人の子供たちの行儀と、今年招いた貴公子たちのそれとを比べて嬉しくなりました。

そう、貴公子たちの方が物腰がやや重々しく、見映えははるかに良かったという点を除けば、ふたつの階層のいずれが勝れているということはありませんでした。

どちらもおなじようにものやわらかな落ち着きを示し、贈り物を頂く時には一様に静かな感謝をあらわし、自分を抑えて他人を思いやるについても、なんらの差はありませんでした。

思うに、子供時代の折々の輝かしい幸福を奪うことなしに、いかなる環境にある子供にも完全な礼儀作法の衣を纏わせるこの国の教育制度は、大いにほめられるべきです。これに匹敵する例は、オーストリアやイタリアの幼い王子王女のあいだで、一、二度見かけた以外、ほとんど見たことがありません。』

【感想】
 ここまで日本の子供たちの躾を褒められると、モースがどういった理由かは知りませんが、日本に対してたいへん好意を持っていたのだろうと思ってしまいます。その分を差し引いて考えても、公的な場における子供たちの振る舞いが、一律にしっかりとしていたことは確かでしょう。当時の子供たちは、自分の欲望を抑え、周囲の状況を判断して行動する、儒教的な躾ができていたと考えられます。それも、各家庭や教育の場というよりも、社会全体でそうした躾を身に付ける状況があったと思われます。



【世界無二の日本の意匠】

『日本人のこれ等及び他の繊美な作品は、彼等が自然に大いなる愛情を持つことと、彼等が装飾芸術において、かかる簡単な主題を具現化する力とを示しているので、これ等を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。

彼等は誰も夢にだに見ぬような意匠を思いつき、そしてそれを信用し難い程の力と自然味とで製作する。彼等は最も簡単な事柄を選んで、最も驚く可き風変わりな模様を創造する。彼等の絵画的、又は装飾的芸術に於いて、驚嘆すべき特徴は、彼等が装飾の主題として松、竹、その他の最もありふれた物象を使用するその方法である。』

『この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。』

【感想】
 黒船来航以来、日本の芸術は、写真や印刷といった媒体を経て、西洋芸術に大きな影響を与えました。それはジャポニスムと呼ばれ、皆さんが知っているとおり、ゴッホやクロード・モネなど印象派の画家たちを語る上で、重要な要素となっています。

 菅原道真による遣唐使の廃止で、国風文化が加速したのと同様に、江戸時代の鎖国は、日本独特の芸術を進化させた時期でもありました。西洋芸術の系譜から離れた日本独自の芸術は、維新後に日本を訪れた外国の人びとに、強い印象を与えたことは確かでしょう。

 ただし、前回も指摘したとおり、陶芸における日本独特の美意識を進化させた陶器(土物)の味わいを理解するには、もうしばらく時間を要したことでしょう。もっと言うなら、いまだに日本の陶器の味わいを、西洋では理解できないのではないかと、私は考えています。



【熱心な学生たち・あるいは生徒と教師の関係】

『ここにあげた抽象概念――それらは今日の英国なら、自分の弱点を照れながら言い繕うのに用いられるだけですが――にたいする一途な信頼が、今もって日本の教育の根幹をなし、子供の教育にあたって親や教師に強さと威厳をあたえています。そんなことは我が英国のみじめな校長たちにはとうていかなわぬ夢です。

私は英国でそのような不幸な先生を数多く見てきましたが、まだひとりとして生徒から信頼されている人に会ったことがありません。彼等はせいぜいのところ、年長組の生徒からは余裕たっぷりに、「おいぼれの何某はひどい嘘つきだが、こっちが大人になって恐くなくなれば、どうってことないさ」などと寛大なところを示されます。

また年少組の生徒は、自分たちの主たる虐待者がたいてい善について説教する者でもあるために、道徳はいっさい混乱し、ただただそのような教師たちを憎み恐れるばかりです。

これが我が英国の教師が生徒から期待できる態度であり、かの結構なるプロテスタントの英国で私が長年見てきたぞっとするような光景なのです。』

【感想】
 『これが我が日本の教師が、生徒から期待できる態度であり、かの結構なる儒教・仏教の影響を受けた日本で、私が長年見てきたぞっとするような光景なのです。』と、上記の文を書き換えても、今日の日本では通用するように思います。百年を経て、現代の教育者が、その当時の子どもたちと現代を比べて報告書を書くなら、今私がモースの文を書き換えたように、最後を括るに違いありません。

 世の中は、波のように世相が移り変わります。引いては満ち、満ちては引いていくように。『ゆとり』が叫ばれた後に、『道徳』の教科化が叫ばれるといったことが起こります。また、グローバル化が言われる反面、民族や宗教、国家間の優劣を競う対立が際だつといったことも起きます。長いトレンドでは、ある方向性を示すのでしょうが、短期的に見ると真逆なことをくり返すのが、世の常なのでしょう。

 道徳の教科化は、子供たちに対する道徳の重要性と必要性を考える以上に、現状の教師の資質を補完し、悩める教師を救済する一つの手法として位置づけることができます。ただし、道徳の教科化は、教師たちが考える真の教育の姿との対比において、救われたと思った教師たちを悩ませ続けるはずです。

 百年以上も前、明治維新後の日本の姿を記録した、エドワード・モースが著した『日本その日その日』を読んで、現代日本の姿を省みるとき、私は上記したような思いを持ちました。さて、皆さんはどういった感想をお持ちでしょうか。

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6 コメント

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押さないときの世界と同じ (tsuguo-kodera)
2013-11-19 13:06:46
 素晴らしい記事をありがとうございます。
 今の日本から無くなった我々の美徳が明治維新の前後に、いえ、ずっと日本にあったのでしょう。
 私が物心ついて昭和28年ごろまで見聞きした世界と、ほとんど変わらないように感じました。私にとっては別に、と言う世界です。焼け野原になった故か、またはずっと継続していたのか、幼児期だった私は分かりません。でも間違いなく周囲の世界は同じようなものでした。
 朝鮮戦争で日本はアメリカの前線補給基地として大盛況。その結果でしょうが、昭和28年ごろから日本が大きく変わり始めました。コカコーラを飲んだクラス会。紅梅キャラメルのカードをゲームで集め、川上のバッドと交換。クリスマス会。誕生会などなど、今の風俗とさして変わらない世界が毎日追加されました。
 炭坑節、お富さんなどなど、戦前戦中の流行歌と違い、元気な歌が大ヒット。今のテレビとさして違わない歌や映画が流行りだしました。映画はテレビやネットのメディアに置き換わっただけかも。
 人の心は変わらないのでは。世界が変わったように見えるだけでは。ここ60年ではなく、3000年あまり人は変化していないのでは。
 人が変わらないと仮定すると未来は予測できます。NHKが政府の統制下に入ります。それで決まりです。
 やはり確率70%以上で戦前の世界に一直線かも。NHKの新しい経営会議の参加者が発表され、落胆しました。仕方ないです。
 皆さん、頭が固い老人のように思えます。彼らの過去の業績を見たら、日本人の世界感は予測できるでしょう。
 私は何度も言いますが陽明学。政府の好きなお偉いさんは別世界です。しばらく今の活動を続けます。そんな立場に今は感謝しています。大塩平八郎の偉さがやっと分かったように感じていますが、私にはそんな甲斐性はありません。
 今日は難しい話だけにさせてください。簡明にすると身が持ちません。此処で停めます。失礼しました。
人の心 (マッキー)
2013-11-20 14:40:53
 koderaさんが幼かった頃と、明治の子供たちとの差異が、さほど感じられないというお話には、興味を覚えます。けれども、東京オリンピック、それに続く高度経済成長で、日本は経済大国になりました。それに反比例するかのように、心が貧しくなっていったように私には思えます。ですから、「人の心は変わらないのでは。世界が変わったように見えるだけでは。」という指摘に、少し違和感を感じました。
 厳密に言えば何を心と定義するかが問題となりますが、その人を取り巻く家庭環境や社会環境などにより、心さえ変化するように私には思われます。
 家庭の機能の変化や、親子関係・教師と生徒の関係・地域社会と子どもの関係なども、大きく変化しました。そうした環境の変化によって、人の心の有り様も多大な影響を受けているように考えられます。
 人の心にも変化する部分と、変化しない部分があれば、koderaさんがおっしゃるように、変わらない部分を強調することもできると思われます。
 善悪を判断し、己の責任において行動する陽明学は、個人主義が尊重されすぎて、社会的無関心層を増大させた今日の閉塞した社会を、変革する力があるかも知れません。
 koderaさん、コメントありがとうございました。
Unknown (tsuguo-kodera)
2013-11-20 15:19:33
 人それぞれが知見を持ち、己の信じることに向かって生きる。求むる所第一義。学びたいものには無料の最高の教えを提供するのが正しいと私は信じています。
 たとえたら、ツクコマか開成で勉強したいと望むものはすべて入学でき、月謝もただにするようなもの。公教育や私立を超えています。
 微力ながら、私は無料でバドを子供やお母さんに教えています。これが今の私の限界なのです。
 朱子学が好きなお偉いさんに期待しません。多くの人の持論を理解したうえで先のコメントをしています。多くが各自の持論を離れないように私には思えます。
 管理人様は朱子学の範疇を越えているのでしょう。私は賛同できる記事ばかりですので。しかし、影響範囲が小さすぎることを悲観しています。
 結論です。ぜひ、今の塾を流行らせてたくさんの生徒さんに管理人様が関わることを期待しています。でも、こんなことを言うのは、無責任、陽明学を逸脱しています。ダメな男になりました。
 正しくは、私がスポンサーになるべきなのでしょう。でも、私はビルやバフェットのような資産家ではありません。
 正しいことをいう人も他にもたくさんいますが、皆さんお金は持っていないように見えます。正しいから出世できず、財産も少ないのでしょう。これもポジティブフィードバックです。日本の限界です。
 すみません。
Unknown (マッキー)
2013-11-21 14:29:17
 koderaさん、考えさせられるコメント、ありがとうございます。ぶれない筋の通った生き方をすることや、己の信じるところを行動で示すことは、なかなか難しいことです。koderaさんが、無料でバドを子供やお母さんに教えていることなど、社会との関わり方で学ぶ点があります。
 私も、本業である進学塾運営を、常に初心を忘れずに行っていかなければならないと考えています。また、活動が停止中のNPO活動についても、本格的に始動させようと準備しています。そうした思いと、それを実施するためのさまざまな条件とは、なかなか整合しないのが現状ですが、前進させる努力は続けます。
 また、最近ブログ村は、再び空しくなるようなタイトルが目立ち始めました。みんなが趣味で集まる場を、なんで汚すのか?一人の放火魔が出現すると、地域全体が恐怖におののくのと同じように、極めて少数の情けない者たちに依る行為なのですが。
 大人げないというか、それが教育に関わる者だということが信じ難く、また極めて虚弱で哀れさえ感じる体質を持っているようです。子どもならまだしも、こうした者たちを啓蒙することなど不可能で、放置し無視するしかないと考えています。
Unknown (藤村眞樹子)
2013-11-23 12:32:47
>放置し、無視するしかない

マッキ―さんらしからぬご発言のように思います。
マッキ―さんのように順序立てて意見を述べられたら
どんなにいいだろうか、と思っているんですが・・・・・

啓蒙しようという考えではなくて、マッキ―さんの引き立て役だと考えて、ブログ村を盛り上げようぐらいの考え方はいかがでしょうか。
Unknown (マッキー)
2013-11-26 12:14:16
 藤村さん、コメントありがとうございます。
 私は、以前に極めて問題のあるブログの管理人に対して、問題点を指摘しました。多くの方も問題は感じていても、指摘する所まで至りません。その結果、そのブログの管理人の親戚と称する尋常ではない方から、極めて悪質な、犯罪的な誹謗中傷を受けました。そのことに関して、ブログ村の方々から、さまざまなアドバイスをいただき、嬉しかったこともありました。
 この経緯について、知っている方も多いのですが、藤村さんはご存じないようですね。その悪質な誹謗中傷に対して、バカバカしくて、でいちいち反論する気もなかったので、今回のコメントで記したように「放置し無視するしかない」という対応を取りました。
 こうした状況が日々発生するのが、現代のネットなのです。ただし、悪質な者は、極めて少数なのですが、多くの方が不愉快になる状況を作り出す原因となっています。
 私の生活の中で、ブログの占める割合は小さく、いつもネット上を観察しているわけでもありません。限定した幾つかの特定のブログを見るのみです。その中に、最近は藤村さんのブログが入りました。有意義な情報を提供して頂きありがとうございます。今後も宜しく!

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