ほしちゃんの「続・なるようにしか、ならん」。

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達郎63歳の誕生日に、ゲスの勘繰り…

2016-02-04 21:00:00 | No Music,No Life.

今日は、我が尊敬してやまない「歌う人間国宝」山下達郎63歳の誕生日である。
今回のデビュー40周年ツアーももちろん鑑賞したが、全く衰えぬ伸びと艶のある声は健在、ヘビースモーカーだった20代の頃より声が出ている。
本人は「72歳の三波春夫のステージが素晴らしかったので、とりあえずそれが目標。しかし上には上がいて、加山雄三さんはもうすぐ80歳だから…」
と謙遜するも生涯現役を宣言した。
どうか、いつまでもライブをやり続けてほしいと願う次第である。

さてその達郎フリークが、ツアー以外に騒がしくなっているのはワケがある。
実はこのほど、あのスーパーアイドルグループ・嵐に曲を提供した。2/24発売「復活LOVE」で、作詞は夫人の竹内まりや。作・編曲を達郎が担当しており、ギターやコーラスも達郎自身が手がけている。
一聴するとわかるそのギターのカッティング、コーラス、そして風通しのよいメロディ。今までCDを買わなかった層がこぞって購入する事が予想され、この曲も大ヒット間違いなしである。

ここからは、100%根拠のない単なる私のゲスの勘繰り。
このタイミングでの曲提供は、先日来のSMAP解散騒動と一対だ、と私は見ている。

達郎とジャニーズは、実はとても密接な関係にある。
時は1982年。達郎はその2年前に「RIDE ON TIME」で大ブレイク、そしてこの年に出したアルバム「FOR YOU」は空前の大ヒット。「夏だ海だ達郎だ」のキャッチフレーズと共に、完全に時の人となっていた。
(そのイメージで見られるのがイヤで、翌年から自身で作詞を手がけるようになり作風に変化が生まれる)
加えてこの年の4月に竹内まりやと結婚。公私共に充実していた年である。

ブレイクの立役者であるRCAレコード(のちにRVC)の小杉理宇造氏は、マッチこと近藤真彦も手がけていた。そこでマッチに達郎が曲を書く事になり、生まれたのが「ハイティーン・ブギ」。当然のごとくヒットし、ここで小杉氏とマッチを通じジャニー喜多川氏と達郎の縁も深まる。

のちに達郎は、ジャニーズ関係では少年隊、KinKi Kidsに曲を提供。なかでも「硝子の少年」は歴史に残る名曲となった。
一方達郎は同じジャニーズでも光GENJI、SMAP、TOKIO、V6らには書いていない。

これでお分かりであろう。達郎が曲提供したアーティストは、みなジャニーズの中でも「本流」だけである。
SMAPは本流ではなかったが、飯島マネージャーが苦労に苦労を重ねてブレイクに至った。そもそも本流として寵愛を受けていれば、脱退騒動など起こすはずがない。
小杉氏は達郎・まりやの所属するスマイル・カンパニー社長であり、ジャニーズ・エンタテイメントの社長。ジャニーズ事務所の顧問でもある。言わば、小杉氏に足を向けて寝られない達郎は82年のアルファ・ムーンレコード創設時から完全に共同歩調なのだ。

センテンス・スプリングの受け売りだが、SMAPの周辺は去年からザワついていた。
そこで小杉氏が達郎に嵐の曲を書かせる事により、
「嵐は、ジャニーズ本流の後継者である」
事を誇示したかったのではなかろうか。
別の言い方をすれば、山下達郎というミュージシャンは正統派ジャニーズを応援します、という踏み絵を踏まされたのでは、と見る事も出来るが、コレは勘繰りにも程があるだろうか…?