「美しき虹を求めて」 ・・・ 到達点の無い自分探しの旅に行ったり来たり、
時にはいい風に吹かれた時の記録です!
星屑のふるさと-NIPPON
雨のおでかけ
雨の一日ならばどうせ家に居ても何も出来ない!と思い切って早朝起床し雨の降る中、車で東北道から群馬県太田市に向かいました。目的は太田金山城です!昔訪れたときは発掘調査中でしたが・・その後が見たかっただけです!金山城跡はまだ斜面一部が調査中でしたが石垣は復元されておりました。しかし、木製の渡り橋などは腐食部分の交換が遅れており維持管理水準のレベル維持が大変そうでした。また以前なかった金山城ガイダンス施設が建設されて居たので中を覗いて新田の庄と新田義貞の歴史の勉強してしまいました。朝一で星屑一人にも関わらず中の職員は声掛けしてくれて説明も親切で嬉しかったです。
ここまできたならば!・・・と今度は「高山彦九郎」記念館に行き説明員のお話を聞くことができ新しい知識を獲得しました。「吉田松陰」は高山彦九郎を知らなかったが彼の行動知った後には自決前の歌に返歌し、松陰は彦九郎と同じ行程(箇所)を旅したそうです!また、「久坂玄瑞」も新田のお墓にきているそうです。
また、彦九郎の自決前の九州のたびの目的は薩摩藩に同志を求めていたのではないかと?教えていただきました。ここでも説明員の親切な対応が嬉しかったです。大変勉強になりました。お昼近くになり雨が強くなってきたのですが近くの「冠稲荷」に立ち寄り「彦九郎」のが愛した松(生家から移植)を見学してついでに一寸だけ「新田の庄歴史館」にたちより利根川を渡り深谷市の「渋沢栄一記念館」に入りました処説明員が見学ですか?と声かけて下さりそれは親切な説明で大変うれしかったです!
栄一は幕末の高崎城乗っ取り計画の中止を諭されて一橋家に士官して「徳川嘉信」の弟に従いパリ万博に随行した通訳のフランス人銀行員の影響もあり実業家としての才能が開いたと知りました。彼がフランスに行っている間に大政奉還があり混乱に身を置くことなく幕末から明治と昭和を生き、日本の経済ために自分は株を一つも持たずに多くの起業と福祉に功績を残さたその思想が素晴らしいと思いました。日本で一番多く銅像が建てられているのは渋沢栄一氏だそうです。
雨の一日でしたが星屑にとっては有意義な時間活用ができたお出かけ日でした!