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脳梗塞で無かった技師の勘違い

2015-04-26 20:34:56 | 日記
朝129-51-58夕方125-54-62今八時半108-46-58昨夜十一時半に布団に入る、一時過ぎに寝たらしい、五時半に目さまし七時に起きようとすると右股関節痛く膝に力入らず横になり足伸ばして寝る、七時半に何とか起きて母屋に行く、お茶にスイッチ、牛乳飲み、パンと関口さんがくれた玉ねぎの刻み、オカズにして食べようとしたが玉ねぎ口に入れると口内炎に沁みて痛く食べられない、パンだけで朝食、目薬、薬飲み、九時にパソコン開き検索していると頭の後ろが重く成る、頭も痛くなる、昨日の脳梗塞が頭に有り頭おかしいかなと心配してますます重く成り病院に行こうと三豊に電話する、症状聞かれて薬全部持って来てください、お薬手帳も持って来てくださいには参り昼過ぎから行きますと言って電話切る、右股関節痛く頭重いので車に乗る元気なく昼飯に小さい菓子パンで昼飯にする、一時過ぎに三豊に電話する、駐車場から歩いて救急まで行けないと言ったら女の事務員が救急の前の駐車場一つ空いてます、他の人が使用できないようにしときますから来てくださいと言われて三豊に行く、障碍者用に入れる、受付に行き待っていると直ぐよばれ行くと金曜日の女医、手押しのカート持って来てくれる、朝からの症状言ったら金曜のCT昨日調べると脳梗塞では有りませんでしたと言われる、安心して頭の痛み止め貰い口内炎の薬も貰う、今飲んでいる痛み止め腎臓悪いから良くないですといわれる、それで造影剤の事言ったら透析すればよいと酷い事言った、理由解る、帰って四時、お茶沸かし、バン一つで晩飯食べる、五時半に終わる、六時十分に風呂に入る、六時四十分に出る、体重七十二キロ、両足膝、腿背中に湿布薬貼る、七時半に此方に移る、八時前からパソコン検索して競艇、野球見て八時半ころから日記書き始める、脳梗塞でなければ薬十日くらい止めても大丈夫、五月に脊柱管狭窄の手術出来る。腰、腿の痛み広くなり座る事にあずる、右目大分イカレテ開かず視野狭くなっているのが解る。視力も二月より大分落ちた。

関谷の綿屋の歴史を国会図書館に納本する

2015-04-25 20:38:16 | 日記
朝114-43-61夕方129-48-62今九時前124-50-60昨夜十一時半に布団に入る、一時前に寝たらしい、五時半に目さまし七時に起きようとするが右足膝に力入らず足伸ばし仰向けに寝て七時半に起きる、右足ますます重く成っている、やっと母屋に行きお茶にスイッチ、牛乳飲み、バナナ、パンで朝食、目薬、薬飲み、九時にパソコン開き検索して、国会図書館のあて名書き直して、大学図書館に電話して民俗学の資料と成るかも知れませんと話す、送って下さいと言われて宛名書くが万年筆が旨く使えない、十時ごろ横内さんが長寿会の弁当持ってきてくれる、昼飯の心配せず十一時半に背中寒くなったので布団に入る、十二時半に起きて弁当食べる、私が昼飯として食べている弁当より量多い、一時頃終わる、二時過ぎにヤマトに行き送って下さいと紙袋に入れた本出すが今までの八十二円の制度無くなり郵便局から送ってくださいと言われる、駐車場から中まで現在歩けないので少々高くてもヤマトで送りますと言ったら送ってくれることになる、時間掛りますと言われてハローズに晩飯買いに行き帰り寄るとまだ出来て居ませんと言われて車で腰痛いが座って待つ、三十分位して出来る、五軒送ったが箱代入れて三千円少し掛る、四十六頁の本五冊送るのには高すぎるが今は身体動かないから仕方ない、やはり脳梗塞で身体固まっているのか、毎日身体重く動かなくなっている、帰って三時半パソコン開きブログ書く、五時に母屋に来てお茶にスイッチ、晩飯食べだす、口にヘルペス出来て暖かいお茶飲めず辛い、五時半に終わる、六時に風呂に湯入れて六時十五分に入る、六時四十五分に出る、体重七十三キロ、両足膝、腿背中に湿布薬貼る、七時半に此方に移り野球、競艇見て九時前に日記書き出す。国会図書館に納本した事で五六百年は資料として残る、現在出鱈目ばかり綿屋の事言っている人間は少しづつ恥かくだけ。誰も調べないで自分の都合の良いことを行って居るだけの事腰の痛みも背中の背骨辺りに広がっているし座る事も中々出来ない、本当に三月ころ脳梗塞起きていたら五月六月に脊柱管狭窄の手術出来ない。リハビリ優先。正身に時前に本取りに来る、嫁の親が亡くなって行くとか、昭和四十六年には親戚で何人も亡くなり打ち止めは一番下の弟事故で亡くなり打ち止め、四五年前は修造で始まり岡田で打ち止めになった、今度は薫さんが亡くなり、正身の嫁の親か、次は嫁になるか、不幸が続くと何処までも続く。

身体おかしいと思い夜七時三豊に感当たっていた

2015-04-24 21:53:57 | 日記
朝109-42-56夕方147-54-58今十時前121-50-60昨夜目重いので十一時過ぎに布団に入る、一時前に寝たらしい。五時半に目さます、七時に起きようとするが右膝裏に力入らず横になり足伸ばして寝る、七時半に起きる、お茶にスイッチ、牛乳飲み、バナナ、ブドウパンで朝食、目薬、薬飲み、九時にパソコン検索する、十時ごろ背中寒くなり布団に入り毛布被り足伸ばして横になる、十一時半に起きてハローズに弁当買いに行く、帰って十二時半、直ぐ昼飯食べる、一時前に終わる、二時にパソコン開き検索しては綿屋の歴史、国会図書館に納本するために図書館のあて名書く、半年振りで万年筆使うが書けない、ブログ書き、競艇見てはす検索して五時過ぎになり急いで晩飯食べる、六時半に三豊に電話して最近右足毎日重く成っている、右手も重いと言って三豊に七時に行く、椅子に腰かけて待つが腰痛くたまらない、やっと呼ばれる、内科の若い女医、少し話してCT撮ります、と言われて西病棟のCT室に行きCT撮る、椅子に乗って待合室に出来上がるまで待ってくださいと言われて、待合室で車椅子によ掛けたまま待たせれる、一時間近く待ち、呼ばれる、最近出来た跡が有りますが二十日以内の急性でないので治療できません、今飲んでいる薬飲み治療してくださいと言われる、急激に右足重く成ったのでおかしいと思い今夜診察に行き最近の血管詰まった跡見つけたのは私の勘が当たった、行って良かった、帰って九時半、風呂止めて両足膝、腿背中に湿布薬貼る、十時前に此方に移りパソコン開き日記書き出す、これで労災の手術出来なくなった、幸登ちゃん脳梗塞で病院に行き今井下に入院中足立たず、でも言葉は言えると多田さんから今日聞いたばかり。俺が二の舞いに成りかけた。

腰も痛いが目が大分ボヤケテ来て運転危ない

2015-04-23 20:46:27 | 日記
朝115-44-58夕方135-63-60今九時前121-47-59昨夜右目重いので十一時半に布団に入る、一時過ぎに寝たらしいが二三時間おきに目さます、七時に起きようとするが右膝に力入らず右下にして布団に入り七時半に起きる、何とか身体ひこずり母屋に行く、お茶にスイッチ、牛乳飲む、バナナ、ブドウパンで朝食、目薬、薬、九時過ぎに此方に来てパソコン検索するが寒くて敵わずヒター点けて暫く検索する、十時半に布団に入り毛布被り足伸ばして横になる、十一時半に起きてハローズに弁当買いに行く、帰って十二時半、直ぐ昼飯食べる、一時前に終わる、二時過ぎにパソコン検索していると都が来て母屋掃除してやると言ってコタツの周りの新聞紙少し袋に入れる、おかしいと思っていたら事務所の横の土地を俺名義にしている、十九年に富田が勝手に会社から俺に贈与したことにして名義変えたと変な事言った、土地は会社名義で何億の共同担保に入っているはずそれを貰うとは何を言っているのかと思っただけ、三時にブログ書き、後綿屋の歴史を話聞いた家に持って行く途中都に合い書類見て十軒ばかり行く、歩けないので車で行き渡す、帰って四時母屋で横になるが腰痛く中々横になれない、お茶にスイッチ入れたが冷蔵庫に有る何とかのお茶で晩飯食べる、五時半に終わる、六時に湯入れて六時十五分に入る、六時五十分に出る、体重七十三キロ、両足膝、腿背中に湿布薬貼る、八時前に此方に移りパソコン開き検索して綿屋の歴史配布した家の名前書き出す、来週国会図書館に納本する、九時前に日記書き出す。都のやり方親のやり方と同じその場限りで行い後の事考えていない、未だ四国製綿が有るとは都が社長名義、昭和五十七年に倒産してから何十年になるのか、普通倒産した会社など相続しない、それを相続して住んで居る、それに智子が噛んでいるとは知らなかった、京子は旦那が三十代で役員なって居るので退職して郷里に帰っても住所、電話も話さない、智子の旦那は大手の繊維会社の研究職、同じ研究職で剛と知り合いだった、都の息子が何かやらなしてはその都度智子が金出している、兄弟助け合うのは良い事だが悪い方向に持って行っている。

関屋の綿屋の歴史今日出来上がる

2015-04-22 20:28:50 | 日記
朝139-46-63夕方148-55-64今八時半119-48-61昨夜目重いので十一時過ぎに布団に入る、一時前には寝たらしい、五時半に目さまし七時に起きようとするが右足膝に力入らず横になり足伸ばして寝る、七時半に起きる、何とか杖で母屋に辿り着く、お茶にスイッチ、牛乳飲み、バナナ一本で朝食、目薬、薬、八時半にパソコン検索始める、印刷屋からメールあり、綿屋の歴史出来上がりました、ヤマトで送りますとあったので午後から取りに行きますとメールする、すると十冊づつ袋に入れますとの返事あり、ブログ書いて背中寒くなったので布団に入る、十時過ぎ、十一時半に起きてハローズに弁当買いに行く、帰って十二時半、直ぐ昼飯食べる、一時前に終わる、一時半過ぎからパソコン検索していると正身来る、座敷の電気紐引っ張ると点いた、がらがらとも言わず綺麗に点く、小さい豆電気が点かなくなっているだけ、正身帰る、観音寺の印刷屋に行き前に止まり前に居ますの電話して本車まで持って来てもらう、二三日のうちに国会図書館に寄贈する、五六百年は残るだろう、帰りに薬局により井上肛門の薬貰う、薬局で一日一日と足重く成っている脳梗塞の可能性あると聞くと検査しないと解りませんの答え、帰って四時、少しパソコン開くが腰痛く座れないので横になる、五時過ぎまで足伸ばして寝る、五時過ぎに起きてお茶にスイッチ、晩飯食べる、五時半過ぎに終わる、六時過ぎに薬飲み、六時半に風呂に入る、七時二十分に出る、まだかけ湯して何とか立ち上がり湯船に入れる、力居る、体重七十三キロ、両足膝、腿背中に湿布薬貼る、腰痛いので動き鈍い、時間かかる、八時十分過ぎに此方に移りパソコン開き野球見て八時半ころに日記書き出す。薬局の前で合ったがあいつ関谷の事調べているのか堀切の事調べているのか解らない、資料全然解っていない、何が資料かとも解らないで堀切の人達に話聞いているだけ、それが本当と考えている、少し考え方おかしい。明日夜三豊に行き頭撮ってもらう、右半分が変だと思う。綿屋の歴史今年は四十六頁少し重く成る、十五頁増えた。