ブギーナイツの館 - 青春の蹉跌から超暇人への道までを記すブログ

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トイズファクトリー時代までの筋肉少女帯について 2 エリーゼのために

2013-02-14 01:45:11 | 音楽
本願寺月光蟲です。

ナゴム~トイズ時代までの筋肉少女帯を私的に解説を勝手にしたいと思ってたりします。
しかもあえて時代を遡って書いてます。
一回目はコレ→「トイズファクトリー時代までの筋肉少女帯について 1 UFOと恋人」

てか、こんな自己満足的なもんを書いてもしゃあないんだけど、当時を知らない方や生まれてない方もいたりするでしょうし、て事で。
ただあくまで個人的な話なので。


2回目はメジャー進出後のいわゆる7枚目のアルバム「エリーゼのために」です。
大槻ケンヂ - ボーカル
橘高文彦 - ギター
本城聡章 - ギター
内田雄一郎 - ベース
太田明 - ドラム

発売は1992年5月。


1. 人生は大車輪
2. 世界の果て~江戸川乱歩に
3. ソウルコックリさん
4. 戦え!何を!?人生を!
5. じーさんはいい塩梅
6. 生きてあげようかな
7. スラッシュ禅問答
8. 妄想の男
9. 悲しくて御免なさい
10. 新興宗教オレ教
11. 愛のリビドー(性的衝動)

メンバーはいわゆる一番長い面子で構成されています。

■■■
時代は1992年。
完全に「80年代のバンドブーム」が終わりつつあったというより完全に終わり、表舞台に渋谷系やビジュアル系が出てきはじめる頃である。
ライブハウスでは実は混沌としていた。

音楽自体はまだまだ売れていたが、音楽のジャンルが拡散化しすぎの80年代、そして時代はある意味まとめ的な感じに。
80年代~90年代はアイドルから地下バンドまで色々いたわけだが、90年代は80年代の美味しいトコ取りをするバンドや歌手が跋扈していく。
90年代初頭はレコード屋は小奇麗になり、泥臭くならなくなっていた。
そう、聞き手にも新しい世代が出て来ていたのです。
80年代子供だった奴は大人になりつつあり、いわゆる80年代子供だった奴らがバイトを始められる時代に。(まあ人間みんな年とるが)

80年代のバンドブーム期にガキだったバンドも客も一気に社会人に。
そしてレコード屋はオシャレに。
80年代ライブハウスに行く年齢じゃなかった子供が成長しライブハウスに現れ始める。
いつの時代もバンドも客も年齢を重ね、そして新しい世代も出てくる。

90年代に思春期を迎える世代は「音楽はオシャレ」という刷り込みを受けていく。
90年代初頭、このアルバムが出る頃はタワーレコード、HMV等のビニール袋をもってるだけでオシャレだったのだ(←これ、今の20代前半までの人はわからんだろうけどマジです)
ディスクユニオンなんかの皮のバッグ持ってるだけで音楽通の時代に。

そんな中筋肉少女帯のこの7枚目のアルバム「エリーゼのために」はどんな状況だったのか?
発売日は5月。
ちょっと解説するとこの半年後にボアダムスの「POP TATARI」も出る時期でもあった。
地下バンドですらオシャレなイメージを各レコード会社や事務所の方針でオシャレでハイセンスになっていく。

このアルバム。
ジャケットを見るとわかるが大槻の顔である。
しかも一人でジャケットで裏ジャケットにほかのメンバーである。

もうこの時点で大槻頼みである。しかもワンマンバンドではないため、ファンで年期入ったやつは苦笑したものだ「なんで大槻だけなんだよ」と(笑)
色んな理由が考えれるが、エッセイにも書いてあることを書いても面白くないので私の考察なんですが、
当時バンドブームも終わりを告げたが音楽がオシャレなものになりつつあり、なおかつ「ヘイヘイヘイ」の放送まであと2年という時代、テレビの深夜も何故かミュージシャンがいっぱい出ていた。

不景気突入、お笑いよりもギャラが安いミュージシャンが深夜に司会業を。
氏神一番、電気、パッパラー河合、サンプラザ中野、デーモン小暮、そして大槻。
これ、共通しているのは「テレビで話せる奴」&「バラエティーでも問題ないやつ」だ。

この時代大槻は結構テレビに出ていた。
そして音楽番組だかゲーム番組だかバラエティだかわからん番組「モグラネグラ」にも司会業を。

司会までやってるのにおまけ程度で演奏がエンディングに流れるとか。
大槻の顔はアルバムのセールス以上にさらに売れていく。
もう少し過去の「サーカス団パノラマ島にかえる」の時代もテレビに出ていたがそれは演奏がメインでトークはおまけであった。
この時代は「トークが先で演奏は最後のおまけ程度」になっていた。

テレビの中では大槻が幼稚園児と遊んだり、フェイスノーモアの来日記念に番組に呼び一緒に屋形船で鍋を食べる、とかそんな事ばかりしていた。

音楽のプロモーションにも多少なったとは思うがこの前のアルバムよりも全く売れなかったと記憶している。
そりゃそうだよ、幼稚園児と遊んでるだけの大槻見て誰がアルバムを買うというのか(笑)

バラエティーでさらに顔を売った大槻、だからこそこのジャケだったのではないか?と。
当時「ほかのメンバーはバックバンド扱いかよ、おーけん・・・・」と思った次第であります(笑)

そんな状況の中の「エリーゼのために」だがアルバムはさすがな出来。

みんな大好きでしょうがないウィキペディアに「サウンド面では本城聡章がこのアルバムより作曲に参加している」と書いてあるが微妙に違う気がする。

そもそもこの前までのアルバムはギターアルバムであり、さすがにコレでまた行くと似たようなサウンドになるわけで。

本城氏は元々有頂天と筋肉少女帯を行ったり来たりしてた時期があるわけで、そりゃキャッチーでポップなサウンドは得意であろう(←キャッチーでポップなんて言い方だせえよなあ・・・ごめんねw)
有頂天は元々ポップなバンドだし。
そもそも筋肉少女帯のサウンド面のクレジットはいい加減も良いとこなんだよな。
初期なんか金でもめないように「作曲 筋肉少女帯」ばっかだったし。

大槻が「似たようなサウンドになっちゃうから本城に今回活躍してもらった云々」みたいな事を当時のインタビューで語っていたのを覚えている。
だが、実際は違う。
ようはバンドブームも終わり、音楽番組も消え、オシャレな物が売れる時代になった。
そこでアングラの臭やギターバリバリの音楽が売れなくなってきた時期なのだ。
わかりやすい歌詞にわかりやすいメロディー、良くも悪くもそういうものが求められてきていたわけです。
前作の「断罪断罪また断罪」はアングラ色があるし物語的な歌詞もまだ残っていたが。


サウンドはこの前までの数枚のアルバムよりもキャッチーこの上ない出来。
素晴らしい音楽が詰まっている。

だが、この時期の謎がある。
この前のミニアルバム「断罪断罪また断罪」の後にシングル、「氷の世界」という井上陽水のシングルを出しているが何故かこのアルバムには未収録。
この理由が当時も今も全くわからない、権利問題なのかもしれませんがどうなんでしょうか。




この井上陽水カバーの「氷の世界」のカップリング曲はこのアルバムの「戦え!何を!?人生を!」が入っている。
が、カップリングなので実質的に言うとこのアルバムからのシングルカットはない。
しかし、最初に少し書きましたが時代は「オシャレなもの」に社会にも音楽にもシフトしつつあった時代だ。
で、このジャケット。
発売日に私は「なんかダセぇなwww」と苦笑した覚えがあります(笑)


脱線するがこの「氷の世界」は最初橘高がカバーは嫌がったらしい。
ちなみにこの井上陽水の「氷の世界」はナゴム時代もカバーしていた。

アルバム「エリーゼのために」は地味ながらもさすがな名曲ばかり。
「戦え!何を!?人生を!」のプログレ的展開、そして綺麗すぎる泣きのメロディ。
「妄想の男」はこの時期アンダーグラウンドは鬼畜ブームでもあり、電波系という言葉が定着する直前。
さすが大槻だけあってこの手の歌詞は上手すぎる。
そしてこのアルバムのハイライト的な「生きてあげようかな」は流石なポップチューン。(のちに大槻ソロアルバム3枚目にカバー)

何より「新興宗教オレ教」もオウム事件直前でもあり、時代が早すぎた気もするから気の毒な気な感じもするがオウム事件後ならこの曲はできなかったのかもしれませんね。

全体的にメジャー世界のアルバムの中でもものすごくバランスが良いアルバムになっている。
だが・・・まあ例によってパクリなメロディも多すぎ、いやコレはリスペクトなんだ、みたいな感じも(笑)


ちなみにみんな大好きでしょうがないウィキペディアに

タイトルにある「エリーゼ」とは当時大槻ケンヂが付き合っていた自殺志願の女性の事で、何度もリストカットを繰り返す彼女のために大槻が「生きてあげようかな」の歌詞を書いたのがきっかけとなっている。しかし彼女のリストカットは止まらず、自身の無力さを痛感したと大槻は語っている。

とか書いてあんだが、煽るつもりは毛頭ありませんが、「この当時、てかデビュー時期からそんな女ばっかじゃねえかよ」と思った次第であります(笑)

そしてこのアルバムのセールスですが、勿論バンドブームも終焉でスカしっぺレベルは売れたと思うが一気には売れなかったと思う。
そもそも筋肉少女帯のトイズファクトリー時代の作品が入手しずらくなったあたりの時代にこのアルバムだけは新品で売ってた店が多くあったのを記憶しています。
プレスしすぎ、とは思えないし売れると見込んだプレス枚数が多すぎたためだと思われる
だからこのアルバムだけはトイズファクトリーから首になった後も細々と売っていたため、当時の若い奴はこのアルバムの曲だけはライブで一緒に歌えてたように思う。

そしてこの後のアルバム「UFОと恋人」ではバンドブームはとっくに終焉している時代に出る事になる。
音楽もさらにポップでオシャレな音が聞き手も欲している時代に(サビ重視&馬鹿でもわかる歌詞が重要になっていく)



■■■
気が向いた時にでも3回目、「断罪!断罪!また断罪!!」について遡ってみたいと思います。
しかし・・・・ナンでこんな下らない事書いてるかというと・・・・
いやさあ、、なんかみんなTwitterやフェイスブックばかりになってる時代で、なおかつ長文読むのだるいわけでしょ?
だからこそ書きたくなったのと、snsだと自分なりの解説なんか書けるわけないもんね文字数ないし。
あとね、客レベルと言いますか、こういう話ってのは誰かが書いて「若い奴に上から目線ではなく、むしろ若い奴に丁寧に伝えてさらに好きになったらいいんじゃないかなあ?」とか思う次第であります。

ま・・・すいません、何故トイズファクトリー時代に限定しているかというと・・・うまくいえないなあ。
その時代まで私も若者であったから、かな・・・。