蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

温かいのが嬉しい季節

2010-10-26 23:43:26 | Weblog
夏の暑い間は、あー涼しいって喜びますが、寒くなると
ああ、温かいって喜びます。だから私は寒い季節が好きです。

温かい嬉しさって、幸せな感じがしませんか?

最近は異常気象とかで、四季の区別が分からづらい・・・。
暑い日ばかりが続くと思ったら、急に寒くなり・・・今夜は寒くなりましたね。

温かい夕飯を食べて嬉しくて、温かいお風呂に入って嬉しい。
寒い季節はなべ物とか、煮込み料理とか。
温かいからホッとする。これは寒いからこそ感じる喜びです。

辛い時も同じです。辛いからこそ、人に優しくされたり
助けられた時には人の温かさが身にしみます。

寒い季節も辛い時も悪い事ばかりではありませんよ。
季節は必ず巡ります。どんな場所でも。

本当の温かさを感じられるのは、寒さや冷たさを知った人だけです。
そうじゃないよと言う人もいるだろうけど、私はそう思います。
だから、温かさを心から感じられる事は特別な幸せだなって思います。

発熱

2010-10-25 00:30:44 | Weblog
昨日、塾から帰ってきた娘が鼻水が出るようになっていて、
塾の部屋の中が暑くて外が寒かったし、
何人も風邪をひいいている子がいたから、うつったかも知れないと言います。

熱は最初はほとんどありませんでした。
平熱が36.5~6度なので、36.8度というのは発熱とは言うほどではありません。
喉が渇くわけでもないし、寒がる様でもありません。

今朝も体温は37度でしたが、ちょっと喉が痛いというので、Marcを飲ませました。
お昼前にはまた36.8度に下がりました。

2時過ぎには体温は38.3度にまで上がり、喉が痛くて話がしたくないと言います。
MarcもGelsも、いつも効果の出やすいChinも今回はあまり効果がありません。
顔を見てみると口が腫れているようです。
「寒い?」と聞いたら、「暑い」と言います。

それでApisを飲ませました。
今まで、こんなに喉を痛がった事はなく、誰かの風邪がうつったのでしょう。
初めての症状です。そしてApisを飲むのも初めてです。

夜の9時に熱を測ったら38度。
もう一粒Apisを飲んで、一緒に獣医ドリトルを見ました。
(獣医はビジネスだ!っていう獣医さんのお話です。
娘の好きな俳優さんが出演しているので、観ようよと誘われて見ましたが、
なるほどなって考えさせられるところがたくさんあり、毎回楽しみにして親子で見てます)
TVが終わって、もう一度熱を測ったら、37.4に下がっていました。
Apisにしてから、顔色がみるみる良くなったので、
今回の発熱はApisの状態になっていたのでしょう。

病気はとても不思議です。
同じように見える熱でも、どのエネルギーの状態になっているかで、
必要なレメディは違ってきます。

体温が上がったのは、発熱とか炎症という病気ではなく、
いつもの状態ではなくなり、それをいつもの状態に戻すために身体が熱を発したのが発熱です。
いつもの状態に戻ったのなら、熱を上げている必要が無くなり平熱に戻ります。
熱を下げるためにレメディを飲むのではありません。
いつもの状態に戻すためにレメディの助けを借りるのです。

どうして今回はApisだったのだろう?
ちょっと調べてみようと思います。

異物を食べる猫

2010-10-17 23:04:25 | Weblog
変なものを食べてしまう猫って結構いるみたいですよね。
布とかビニールとか。

我が家の猫もそうなんです。布が大好きで、特に羊毛や濡れた布が大好きです。
吸い寄せられるように近ずいて行って食べようとしてしまいます。
(今まで、どれだけの服やぬいぐるみを食べたことか・・・)
自然素材のものは消化できるようです。
ですが、化学繊維のキメの細かい小さな塊になったものなどは
強力な猫の消化能力を持ってしても無理なようです。



食べてはいけないものを食べて腸が詰まってしまい、最初は嘔吐からはじまって
元気がなくなり、うんちもでなくて・・そして病院で検査してもらって手術。

もう4回もしています。気をつけてはいるものの、ついうっかりということがあり、
已む無く3回目の手術の後にはケージに入れる事になりました。
それでも、なにを何処で食べたのかは分からずじまいですが、
4回目の手術という事になりました。

獣医師には、何度もできることではないので、これで最後だと思ってくださいと
いわれた4回目の手術でした。

それなのに、一年ほど前にも嘔吐が始り、元気もなく、
これは危険だと病院に直ぐに連れて行ったら、獣医師にもお腹を触って痛がるので、
へんなものを食べてしまった可能性が大ですと言われ、検査のために2日間入院しました。

ただ、今までと違ったのは病院に行く前にレメディを(Sil 1M)飲ませてから行った事です。
それまでは、異物を食べてしまうのは事故のような事だから
レメディの効果は期待できないだろうと思っていたのです。
でもその時は最後かも知れないと思い、口に直接一粒食べされて病院に連れて行きました。

2日の入院の後、何だったのかわからないけど、
元気回復でご飯もモリモリと食べるようになったと
獣医師も首をかしげながらの退院でした。手術は必要なかったのです。

なぜ、一年ほども前の話をしているかと言うと、おとといも急に嘔吐して、
元気が無くなり、何も食べたがらずに私から離れたところで座っていました(毎度の嫌な感じです)。
そこで、再度、レメディを飲ませてみました。

その直後にウンチをしたのですが、元気はなく、グッタリとしていました。
そして2回目のレメディを飲ませたら、今度は少し元気を取り戻し、
ご飯を少し欲しがって食べたものの、その後は何も食べず、
グッタリと寝たままだったので、どうなる事かと心配していましたが、
今朝はいつも通りの元気になり、ご飯を欲しがって動き回っていました。


変なものを猫が食べてしまうことで心配されている方は、
もしものときに、絶対にレメディを飲めば助かるとか、病院に行く必要はないという意味ではありませんが、病院に行く前にレメディを一粒飲ませてから連れて行かれることをお勧めします。

我が家でも、日々布が猫の触れる所にないか、ドアはしっかりとしまっているか、
変なものは落ちていないかと、猫がケージから出ている時はとても気を使います。
それでも、うっかりという事がないとは言えません。

我が家の猫がレメディを飲ませた事で異物が体内から出て行った経験は3回あります。
3回とも偶然かも知れません。飲ませなくても手術をしなくてもよかったかもしれません。
でも、手術をした4回の時も、もしもレメディを飲ませていたら、
手術をしなくてもよかったかもしれません。
これはどちらなのか、今となっては調べようもないし、分かりません。

猫が布を食べなくなるようなレメディを見つけられれば良いのですが、
自然素材は消化できるから食べられるものだとしたら、
化学繊維なのかどうかが見分けられるようなるか、それとも、布は食べられないものだと教えた方が早いかも知れませんね。
ビニールだって魚やお肉の匂いがしていたりしますよね・・。
食べられるものか食べられないものかは野良猫の親は子猫に教えられるんでしょうか?
そしたら、親猫ってすごいですね。

ウツの始まり

2010-10-16 22:12:42 | Weblog
テレビを見ていたら、ウツの始まりとは「頭が悪くなったように感じる」と、
精神科医なのか何かの学者なのか肩書きは分かりませんが、そう言っていました。

精神的な症状が始まりではないそうです。

なるほどなって思いました。
落ち込んでいるとか、嫌な事があるとか、なにか原因が思いつく場合は
心因性うつ病と呼ばれ、原因が特定できない場合は内因性うつ病と呼ばれます。
この「頭が悪くなったように感じる」と言うのは内因性うつ病の方でしょう。

でも、内因性のうつ病になる前に何か嫌な事があったとして、
それを嫌なことだとして認識していなかったということがあるのではないかと考えています。

そういうことってありませんか?
この人嫌だな、とか、こんなことしたくないな、とかいう気持ちに気が付かないようにする事って。
その気持ちに気が付いたとして行動したら自分にとって不都合になる。
例えば職場を変えなければならなかったり、誰かと衝突が起きそうになったり、
何か少しでも言ったら数倍になって返って来そうで、言った所で
何の問題解決にもならないどころか、余計に面倒な事になりそうな場合とか。

そんな時、嫌だと思わないようにしよう!気にしないようにしよう!
我慢していれば、そのうちに慣れて嫌じゃないなるよ!とか思ったりしませんか?

ねえ、嫌じゃないよ。あの人にはあの人の考えたかがあるし・・・
案外良い職場だよ、いいところもいっぱいあるしね・・・。
なーんて考え始めると、嫌だと感じたのは自分の我がままで、
考え方や見方を変えたら嫌ではなくなったように感じたりします。

本当は変化する事に対して勇気がなかったからかもしれません。
安定していた方が、先の分からない方向によりも楽に感じたからかもしれません。

でも嫌と感じる気持ちを抑えることに神経を使いすぎてしまい、
気が付かないうちに疲れきってしまっているということがあるのです。

何だか疲れやすくなったな、なんでだろ?
やる気がないような気がするかも?
ああ、なんかなにもかもが煩わしいな・・・という気がしているうちに、
あれ?なんか頭の回転が悪くなったような・・・。
頭が悪くなったのかな?ということになるのではないでしょうか。

前のブログでも書きましたが、無理のし過ぎは良い事にはなりません。
我慢しすぎて本当のうつ病になり、身体が動かなくなる前に
自分の感じる事を大切にしてみませんか?

嫌だと自覚した時が治癒の道への最初の一歩です。
本当に「嫌な事」は何ですか?
一緒に本当に感じている心の中の声を探しませんか?

症状から本当の声を探す。
このお手伝いをする事がホメオパシーではないかと私は思っています。






自分の声は聞き辛い

2010-10-11 23:17:31 | Weblog
自分の声が聞こえている様な気がしても、体内で反響している音があるから
他の人に聞こえるようには聞こえていないんですよね。

顔だって、自分の顔を自分で見ることはできません。
鏡があったり、写真や映像でならみられるけれど、
それも実際に観ている訳ではなく、何かを通してしか見られません。

私は自分の心理を分析するのが大好きです。
それが趣味だと言っても良いくらい。

怒っている時も、誰もがそうかもしれないけれど
怒っている自分と、それを観察している自分がいます。

でも残念な事に自分のセッションはできません。
いくら客観的にみようとしても、ある所でストッパーがかかって、
そこから中には入れないのです。

何か感情が動く事があると、それをきっかけに探ったり
身体症状が少しでもあると、その感覚から何かを探せないかと調べたりします。

私が考える事や感じる事は私にとっての当たり前なので、
自分の癖に気が付きにくいのと同じ。
当たり前になっている事って、独特であることに気が付きにくいのです。

自分の感情や身体が表現している声を自分で聞こうとしても
聞きたくない自分もいるかもしれませんが、なかなか聞き取れません。

人間は一人では人にはなれないのかもしれませんね。
人という字は、2人の人が支え合っている姿らしいですし。

娘の留守

2010-10-04 23:56:41 | Weblog
日曜の朝に修学旅行に出かけました。
家に娘が居ないのは一年ぶり。

日、月と出掛けたので、今日は仕事を休んで家でのんびりしました。
家に娘が居ないチャンスなんて他にはありませんから。

何をしたわけでもなく、朝はのんびり起きて、
本を読んで、猫と昼寝して、お腹がすいたら適当なモノを食べて・・・。
とにかくダラダラしてました。

こんな日が毎日続いたらうんざりするとは思いますが、
たま~にあると、とても嬉しい。

家の中では猫が動く音以外はしないし、
お腹がすいた~の声もしない。


4時半過ぎには20円のお釣りを残して、
いっぱい京都のお土産を持って、嬉しそうに帰ってきました。

生八ッ橋も今ではいろいろな種類があるようで、
普通のと草色のと栗入りのと3種類。
わらびもちとか、お漬物とか。
自分用にもかわいらしいシールとか置物。
本当に嬉しそうな顔をしてお土産話をしてくれます。

留守は良いなぁ~、なんて思っていましたが、
娘が居ると家の中は明るくなります。


ああ、やっぱり娘が家にいると楽しいなって思いました。
家の中は急に散らかりましたけどね。

我慢

2010-10-03 23:59:57 | Weblog
子供の頃には「我慢する」って良い事だと教わっていたような気がします。
でも、本当にそうなのだろうか?と大人になって疑問を感じるようになりました。

それは我慢するのが嫌だからとか、我慢できないからではなくて
我慢しすぎてしまうからかもしれません。

我慢しているうちに次第に分からなくなるんですよね。
それが本当は嫌だったのかどうか。

無理しなくても、それほど嫌じゃ無くなる。
我慢しているとは感じずに、嫌なのは自分の気のせいだと思い込む。
辛いのも、緊張しすぎてしまうのも、全部自分の思い込みで、自分のせいだと。
そしたら何処から我慢しだして、何を我慢すればいいのかがわからなくなって、
それで面倒になって、全部我慢しちゃおうと思う。

気がついたら怒ることも笑う事も少なくなっていて、
泣くことも忘れてしまっていた事があります。
顔だけはいつも笑顔だったんですけどね。
もう20年ほども前の事です。

そんなある時、お休みの日の買い物の帰りに、近所の川沿いの桜が咲いている事に気が付いたのですよ。
満開の桜でした。

引き寄せられるように桜の下に座り込んで、川の水が光を反射してキラキラと輝いているのをみていたら、
私は何してたんだろうって我に返ったような気がして、涙がこぼれてきて、
誰も来ない場所だったので日が暮れるまでずっと泣いていた事があります。
毎日通っていた道なのに、桜が咲いているのにも気が付かないほどに、
何していたんだろうって。
いっぱい我慢しているうちに何も感じなく、何も見えなくなっていたのですよね。




今も我慢してしまう癖はなかなか治っていません。

ちょっと我慢するうちに、どこまでを我慢すればいのかが分からなくなることもあります。
そんな時には、今の我慢を半年続けたら?一年続けたら?3年続けたら?10年では?
・・・と、考えます。

ああ我慢する意味ないなぁ、と気が付いたら我慢するのは止めて、我慢するのではない違う方法を探すようにしています。

ホメオパシー的にみたら、ただ我慢しているって止まっている動きのない事なので、
いろいろな意味で滞りが起きて、それが続いて固定化すると病の元になります。

今さえ我慢すればと心にも身体にも無理をしているうちに、今度はその我慢が身体に表れたりするようになる危険があります。
無理や我慢のし過ぎは数年後を考えると良い事はありません。必ず不調和は何処かに表れるようになっているからです。

我慢をしだす前には、嫌だと感じる事があったら、それが何処らか来ていて、
自分の何に触っていて、何が起こっていて、そして起こっている事に対して
どう反応するかによって状況を変化させる事のできるだけの可能性を考え
そして実行してみます。
相手がある場合には、相手の性格や反応を観ながら、
どうして行くのがお互いに良いのかとかも考えます。

それでもダメだと思ったら?
まずはレメディに助けてもらって(笑)
そして休んで、良い考えが浮かぶようにした方が良いんでしょうね。
とにかく、我慢し続けることは良い事にはなりません。

我慢するしかどうしようもない!と考えるようになったら、
それは固定化が始まっている危険信号です。
我慢しなくても良くなる方法を探しましょうよ。