蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

鉱物

2008-02-24 22:46:18 | Weblog
ホメオパシーのレメディーには植物・鉱物・動物から作られたものがほとんどで、レメディーの処方の仕方や選択の仕方はいろいろとありますが、鉱物のレメディーには周期律表からレメディーを選択する方法があります。

昨日テレビのある番組の科学実験で、水銀の溶液に鉄の重そうな塊を乗せたら軽々と浮かび、同じ溶液に金の薄そうな板を乗せたらグググッと沈んで行くのを見ました。

科学的に見たら当たり前の事で、驚くような事ではないのですが、
重量ははるかに金の方が軽そうだったのです。


話は周期律表のレメディーのあり方に戻りますが、簡単に説明すると表の縦列にはケイ素、鉄、銀、金などのシリーズに分かれていて、列の下に行くほどにそのレメディーを必要とする人の人生の問題は深みを増し、重くなっていくのです。

そうなんだぁーって、ただなんとなく学んだし、その人の人生の受け止め方が重ければ重い金属を選んではいたのですが、実際に映像で重いものがそれよりも軽いものの下に沈んで行く姿を見たときドッキリとしました。


たとえば、金のシリーズのレメディーを必要とする人が、鉄のレメディーを必要とする友人なり、家族なりに悩みを相談しても、重さが違うので理解できないのは当然だろうなとか、反対にケイ素の人が金の人に相談したとしても、どうしてそんなどうでもいいことを悩むんだろう?と思うかも、とか・・・


だからといって、金が優れているわけでなく、鉄には鉄にしかできない事があり、
銀には銀の美しさがあり、ケイ素にはケイ素の役割があり、鉱物に限ったことではないのですが、そうあるものが、そうでないものになろうとするのは不自然で無理がかかり、無理して頑張っているうちに苦しみや痛みという病の姿を現すのだろうと思います。


誰も同じではなく、鉱物がそれぞれ違うように、自分の居場所で自分の持って生まれた才能や力を精一杯発揮して生きられることが人の幸せなんだろうし、輝いて生きるということはそういう事なんだろうなと思います。

繰り返される物語

2008-02-08 23:36:41 | Weblog
セッションの始まりは「Tell me you'r story」
日本語だと「あなたの物語を教えてください」になるので、何だか変な感じ?!ですが、そう、人生の物語なのです。

身体症状も含めて、今起こっている事、悩んでいる事などをお聴きして、子供の頃の想い出や過去の記憶なども伺います。

昔の事なんて、どうでも良いわけではないのです。
年齢も起こる事も、登場人物も変りますが、同じ事が繰り返されている時、それが人生の物語なのです。

物語は思い込みが作っている現実ともいえるかも知れません。

例えば、子供の頃に叱られてばかりで、威圧的な親に育てられた人は、大人になってからでも、職場が変ろうとも、やはり威圧的な上司に出会ってしまい子供の時と同じ経験を繰り返してしまうとか、何度も恋人が変ろうとも、やっぱり裏切られてしまう・・とか。

単純な説明ですが、威圧されるかも、裏切られるかもと思っていると、それが現実に起こってしまうというようなことです。

そして、ああやっぱり現実はこんなものなんだと、さらに思い込みは強くなってしまうのです。

それが、その人の物語なのです。



私は自分のレメディーを見つける事はできませんが(自分の事を客観的に見ることは不可能だからです)繰り返される物語に気がつく事があります。



一生懸命に相手が望むように仕事をするのだけれど、要求はさらに厳しくなり、
どんなに頑張っても、もっともっとと課題が増えて行き、意固地になってイライラしながらも限界まで我慢してしまって身体を壊すとか、怒り爆発とかです。

頑張る事が良いことでも、そうする必要があったわけでもなく、素直になって、もうできないって伝える必要があったのかも知れないし、相手の要求に対して(ほーら、言われた事は言われた以上にしているんだから、うるさく言わないで!)などと思わずに、上司を尊敬して自分の気持ちを伝える必要があったような気がします。

それが出来なかったから、どこに行っても誰かが邪魔をしてくるような気がしていたのが私の一片の物語です。

以前の解決方法は怒り爆発か、黙って無視しているうちに身体を壊して仕事を辞めるとかしかありませんでした。でも、やっとそうではない方法を探していて、少しずつ試してみています。

そして、な~んだ、こんな事だったのかって思ったりしています。
自分がわかる範囲のレメディーの力も少し借りながら、自分の思い込みの世界の物語を探して、そして手放せるように日々を暮らしたいと思っています。
(そうでありたいと努力中です・・・)

一人ぼっち

2008-02-03 01:31:25 | Weblog
セッションをしていて思うのは、誰もが一人ぼっちなのだと云う事です。

こんな話を今まで誰にもしたこと無かったと言われる事がよくあります。

家族がいても、友達がいても、恋人がいても、本当の気持ちをなかなか伝えられない人がたくさんいるのだと思います。


ただ言えば良いんじゃない?とか、簡単な事だと思いがちですが、本当の気持ちなんて、本人が気がついていない場合が多いのです。
誰かに聞いてもらえて、質問されて始めて、どうしてそう思うんだろうって考えて、本当は何を感じていて、伝えたたかったのかに気がつく事があるのです。


イジワルをする人がいます。怒る人がいます。文句を言っている人がいます。
その人たちは、本当にそうしたかったのだと思っているし、腹が立ったからとかという理由を言いますが、本当は違っているのですよ。

怒りや憎しみや不満足の裏には、本当の気持ちが潜んでいます。
それは満たされない悲しみや、伝えたい事があるのにその方法がわからないもどかしさだったりします。

素直に気持ちを表現する事が出来るなら、どんなに人は楽に幸せになれるのだろうと思います。


気持ちがすれ違ってしまって孤独を感じるのは、本当の自分の気持ちを正直に感じる事ができず、伝える方法を知らずに生きてきたからではないかと思います。

そう感じてはイケナイと思い込んで生きてきているからです。

寂しいよー、甘えたいよと素直に感じられていた子供の頃に、ちょっとだけ頭をなでてもらって、抱きしめてもらって、そうだよねって気持ちを受け入れてもらった経験が無いから、本当の気持ちを伝える事が出来ずに大人になってしまって、ただ寂しいとか優しくして欲しい時に、怒ってしまったり嫌味を言ってしまったり、暴力をふるってしまったりするようになっているような気がします。

人の心や身体を傷つける人は、その人自身が傷ついている人なのだと思います。

人は誰でも自分の世界を持っているもので、それはとても大切なのですが、
心を開いて誰かと交流しなければ一人ぼっちのままです。

私は一人ぼっちは嫌だと思いました。ずっとそうだったからです。


見方を変えれば世界は広がります。
身体症状は心の訴えです。

心の話をして、それにレメディーを処方されても、問題は身体の事だからと思う方もいらっしゃいますが、そうやって処方したレメディーが主訴である身体症状を癒している現実をいつも体験しています。

身体の症状は、自分が封印している気持ちを正直に表現してくれているのです。
身体が訴えてくれている表現を聞いて、心地よく幸せを感じて暮らせるようになりたいと思う方は、是非セッションを受けに来て頂きたいと思います。