蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

我慢

2010-10-03 23:59:57 | Weblog
子供の頃には「我慢する」って良い事だと教わっていたような気がします。
でも、本当にそうなのだろうか?と大人になって疑問を感じるようになりました。

それは我慢するのが嫌だからとか、我慢できないからではなくて
我慢しすぎてしまうからかもしれません。

我慢しているうちに次第に分からなくなるんですよね。
それが本当は嫌だったのかどうか。

無理しなくても、それほど嫌じゃ無くなる。
我慢しているとは感じずに、嫌なのは自分の気のせいだと思い込む。
辛いのも、緊張しすぎてしまうのも、全部自分の思い込みで、自分のせいだと。
そしたら何処から我慢しだして、何を我慢すればいいのかがわからなくなって、
それで面倒になって、全部我慢しちゃおうと思う。

気がついたら怒ることも笑う事も少なくなっていて、
泣くことも忘れてしまっていた事があります。
顔だけはいつも笑顔だったんですけどね。
もう20年ほども前の事です。

そんなある時、お休みの日の買い物の帰りに、近所の川沿いの桜が咲いている事に気が付いたのですよ。
満開の桜でした。

引き寄せられるように桜の下に座り込んで、川の水が光を反射してキラキラと輝いているのをみていたら、
私は何してたんだろうって我に返ったような気がして、涙がこぼれてきて、
誰も来ない場所だったので日が暮れるまでずっと泣いていた事があります。
毎日通っていた道なのに、桜が咲いているのにも気が付かないほどに、
何していたんだろうって。
いっぱい我慢しているうちに何も感じなく、何も見えなくなっていたのですよね。




今も我慢してしまう癖はなかなか治っていません。

ちょっと我慢するうちに、どこまでを我慢すればいのかが分からなくなることもあります。
そんな時には、今の我慢を半年続けたら?一年続けたら?3年続けたら?10年では?
・・・と、考えます。

ああ我慢する意味ないなぁ、と気が付いたら我慢するのは止めて、我慢するのではない違う方法を探すようにしています。

ホメオパシー的にみたら、ただ我慢しているって止まっている動きのない事なので、
いろいろな意味で滞りが起きて、それが続いて固定化すると病の元になります。

今さえ我慢すればと心にも身体にも無理をしているうちに、今度はその我慢が身体に表れたりするようになる危険があります。
無理や我慢のし過ぎは数年後を考えると良い事はありません。必ず不調和は何処かに表れるようになっているからです。

我慢をしだす前には、嫌だと感じる事があったら、それが何処らか来ていて、
自分の何に触っていて、何が起こっていて、そして起こっている事に対して
どう反応するかによって状況を変化させる事のできるだけの可能性を考え
そして実行してみます。
相手がある場合には、相手の性格や反応を観ながら、
どうして行くのがお互いに良いのかとかも考えます。

それでもダメだと思ったら?
まずはレメディに助けてもらって(笑)
そして休んで、良い考えが浮かぶようにした方が良いんでしょうね。
とにかく、我慢し続けることは良い事にはなりません。

我慢するしかどうしようもない!と考えるようになったら、
それは固定化が始まっている危険信号です。
我慢しなくても良くなる方法を探しましょうよ。