自分の声が聞こえている様な気がしても、体内で反響している音があるから
他の人に聞こえるようには聞こえていないんですよね。
顔だって、自分の顔を自分で見ることはできません。
鏡があったり、写真や映像でならみられるけれど、
それも実際に観ている訳ではなく、何かを通してしか見られません。
私は自分の心理を分析するのが大好きです。
それが趣味だと言っても良いくらい。
怒っている時も、誰もがそうかもしれないけれど
怒っている自分と、それを観察している自分がいます。
でも残念な事に自分のセッションはできません。
いくら客観的にみようとしても、ある所でストッパーがかかって、
そこから中には入れないのです。
何か感情が動く事があると、それをきっかけに探ったり
身体症状が少しでもあると、その感覚から何かを探せないかと調べたりします。
私が考える事や感じる事は私にとっての当たり前なので、
自分の癖に気が付きにくいのと同じ。
当たり前になっている事って、独特であることに気が付きにくいのです。
自分の感情や身体が表現している声を自分で聞こうとしても
聞きたくない自分もいるかもしれませんが、なかなか聞き取れません。
人間は一人では人にはなれないのかもしれませんね。
人という字は、2人の人が支え合っている姿らしいですし。
他の人に聞こえるようには聞こえていないんですよね。
顔だって、自分の顔を自分で見ることはできません。
鏡があったり、写真や映像でならみられるけれど、
それも実際に観ている訳ではなく、何かを通してしか見られません。
私は自分の心理を分析するのが大好きです。
それが趣味だと言っても良いくらい。
怒っている時も、誰もがそうかもしれないけれど
怒っている自分と、それを観察している自分がいます。
でも残念な事に自分のセッションはできません。
いくら客観的にみようとしても、ある所でストッパーがかかって、
そこから中には入れないのです。
何か感情が動く事があると、それをきっかけに探ったり
身体症状が少しでもあると、その感覚から何かを探せないかと調べたりします。
私が考える事や感じる事は私にとっての当たり前なので、
自分の癖に気が付きにくいのと同じ。
当たり前になっている事って、独特であることに気が付きにくいのです。
自分の感情や身体が表現している声を自分で聞こうとしても
聞きたくない自分もいるかもしれませんが、なかなか聞き取れません。
人間は一人では人にはなれないのかもしれませんね。
人という字は、2人の人が支え合っている姿らしいですし。
自分が出してるつもりの声って全っ然違うよね。
歌にしても、もうちょっと上手く歌ってるつもりなのに実際に聞くと実に変な歌声(笑)で
恥ずかしくなる時があるよ。
プロのミュージシャンが「自分のライブは絶対に観れない」ってよく残念がるのも
確かに、分かる気がするなぁ。
そうかもしれけど、そんな風に考えたこと無かった。でも、そうかもね。
ライブを体感できない、ってのもあるし、
CDじゃなく生演奏としては、絶対
客席で、客観的には聴けないからね。
だから両方とも違うかもよ。