蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

2010年の終わりに

2010-12-31 00:31:53 | Weblog
今年も残すところ一日で終わりです。
色々な事がありましたが、終わってみると何にも変わっていないような、
大きく変化したような・・・。

どうでもいいような小さな進歩がたくさんあります。
去年までは出来なかった事ができるようになったり、
思い込みや頑なさがユルくなったりしています。

最近になって特に思うのは人は、誰もが自分の人生は
自分で決めているのだという事です。
それに、人は一人の個体で一人の人ではなくて、
周囲の人や環境と合わさって一人の人が存在しているという事です。

人って、切り取られた一個体で存在している訳じゃないんですよ。
人の境界線ってゆるいんだなって思います。
もめごとや問題は、その境界線の所で起きるので
どんな人なのかは、どんな境界線を持った人なのかということかも知れません。


解らないことや知りたい事、できない事、いらない事、私にはたくさんあります。
小さな進歩を重ねながら、来年も道を歩み続けようと思っています。


名古屋は急に寒くなっていて、明日は雪かも。
大晦日の雪って、なんだか素敵ですね。



では、よいお年をお迎えください。

クリスマス ~サラダの話~

2010-12-26 01:09:17 | Weblog
クリスマスにはケーキを食べて鳥の丸焼を食べるのは毎年の行事になってます。
子供が小さい時はケーキも作っていましたが、大きくなってくると
クリスマスにそれほどの力を注がなくなって来てしまっています。

それでも、作るのが簡単だという理由もありますが、
子供が楽しみにしている事もあり、毎年の鳥の丸焼だけは続いています。

今年はサラダも2種類作りました。
娘が好きなマカロニサラダと、最近のうちでの流行りのコブサラダです。
コブサラダは、コブサラダドレッシングと云うのがあり、
市販のドレッシングはそれほど美味しくないと思って使わなかったのですが、
このコブサラダドレッシング、かなり美味しいんですよ。

このドレッシングを使うと、生野菜嫌いの娘もサラダが食べられるのですよ!

レタスなどの葉野菜にアボカド、トマト、セロリ、マッシュルーム、茹で卵など、
そして、何でも良いのですが揚げ物を小さく切った物などをのせるだけですが、
なんだか豪華でメインになるし、生野菜がたくさん食べられるし、美味しいんです。
今日は生のカリフラワーものせましたが、使う材料によって違う味が楽しめるので
毎回何を使って作ろうかという楽しみもあります。

生野菜のサラダが食べられるって事が、すごく嬉しいのですよ。
子供が食べないと作っても一人で食べる事になってしまうので、
なかなかサラダを作って食べるという事が出来ていなかったのです。
(これを機会に、他の種類のサラダも食べてくれるようになったら良いのに・・・)


今年のクリスマスで一番嬉しかった事が、この、サラダが作れたという事なのです。
クリスマスとはあんまり関係のない話なのですけどね・・・。


クリスマスリースとトップスター

2010-12-13 14:16:49 | Weblog
木の実と毛糸で飾ってみました。





赤い飾りは羊毛のフエルトで作ったボールです。
少しオレンジ色とかピンクも混ぜてボールを作ったので、
一つ一つが違う色になりました。


ツリーの上に飾るトップスターがかなりボロボロになっていて、
あちこちで探しましたが、豪華過ぎるとツリーとバランスが取れなくて、
ツリーが寂しい感じになってしまうので、トップスターも作ることにしました。
キラキラしたもので銀色とかになって・・と考えると
針金で作るしか思いつかなかったので、針金で星の形を作って、
そこに細い針金をグルグルと巻きつけながらビーズでも飾りをつけました。






まだ何だか寂しい感じはするものの、一応完成です。
針金だけだと飾った時に後ろの壁がそのまま見えてしまい、
存在感がなさすぎだったのでプラステックの板を強引に後から入れましたが・・・。
良いアイデアが見つかったら、もう少し改良したいなぁとは思ってます。



似たものが似たものを癒す・・・の話

2010-12-10 18:18:00 | Weblog
”似たものが似たものを癒す”というのはホメオパシーの基本原理なので、
少しでも本を読んだりホメオパシーを学んだことがある人は誰もが知っている事です。

セルフケアのレベルでは、喉が痛い時にしょうが汁を飲むのが良いとされるのは
しょうが汁は健康な状態の時に飲んだら喉にヒリヒリとし痛みを起こすので
喉が痛くてヒリヒリしている時にはしょうが汁が喉の痛みを癒してくれる・・。
というように、ある症状を起こすことのできる物質が、
その症状を癒すこともできるといういわゆる「おばあちゃんの知恵」と同じ事をします。

これは結構分かり易いですよね。

それではホメオパシーで慢性病にはどうしているのか?
ある一部の身体症状に対して、似たような症状を起こすことのできるレメディ??
心の問題の場合は、イライラならイライラのレメディ・・とか?

慢性病の場合には、その症状に似た作用を起こすレメディを探すのではなく、
症状を含むその人の全体像に似たレメディを探します。
(この全体像についてですが、数種のレメディをツギハギのように組み合わせて
全体をカバーする事が全体像ではありません)

ホメオパシーの学校で「何が癒されなければならないのか?」を考える授業がありました。
この症状にはこのレメディ!と決まっているのなら、
ホメオパスは医師でなければならないのは当然でしょう。
病理が解っていなければ、レメディを学んでも使えないからです。
心理を分析して、その状態のみに合わせてレメディを選択するなら
臨床心理学を学んだ専門家がレメディを使えば良いでしょう。


癒されるべきことろが病理や精神の状態のみならば、
ホメオパシーを学ぶとは、レメディの使い方を学ぶと言う事で、
それだけを学校で学んでも、医学などを専門的に学んでいないなら、
レメディを正しく使えるようにはなれないでしょうから、
医師以外の人が他者にレメディを使用する事を制限するべきでしょう。



ホメオパスのする事とは、その人を癒すことのできる、
その人の在り方に「最もよく似た」レメディを探す事だと思っています。
(どの深さで似ているかを探すのかは、ホメオパスによって違うと思いますが)
最もよく似たレメディとは、その人の全体像に限りなく近いという意味です。
全体像とは、主訴である症状、趣味嗜好、人間関係の在り方、子供の頃の想い出、
いやな事、楽しい事、悲しい事・・・など、
全てが指す一点であり、その一点が全ての理由でもあり、
その一点に最も近いあり方で存在している物質のレメディがその人の必要なレメディです。


慢性病とは、ある状態に凝り固まって、そこが動かなくなっているのですから、
「似たものが似たものを癒す」の慢性的な状態への対処の仕方は
その人の全体像に最も似たレメディによって、全体が動くようにしなければ、
慢性化した強い滞りを動かす事は難しいのです。
部分的に動いたかに見えても、また元に戻るか、他の部分に滞りが移動し
結局は滞った病の状態のままです。


その人の在り方と病の関係をとても単純に説明すると、
Aさんが「きちんと整理する」人であるというのは、性格でもあり、
Aさんの長所でもあり、気持ちが良いと感じる好きなことでもある場合、
きちんと整理されている状態が一ミリでもずれるとイライラしたり、
適当にしている人を憎むほどに嫌ったり、
きちんとされていないと気になって、他の事が手に付かなくなったら、
それはAさんの在り方が過剰になっていて一つの病ですし、
それがきっかけで頭痛が始ったり胃痛が起こったり、
何かのきっかけで疲れてきちんとできなくなっても辛いですよね。


きちんとできなくなるのも、キチキチし過ぎるのも、
過ぎたるは猶及ばざるがごとしで、どちらも健康とはいえません。
(病の状態になる時も、過剰になるのか足りない状態になるのかも、
その人の在り方によって、反応の仕方が違うので、その反応のしかたによって
またレメディは違うものになります)


つまり、Aさんの在り方が健康な状態ではないのが病の状態なので、
健康であるのも病であるのも、ものすごく幸せな時も、
Aさんは、Aさんの在り方という一つの元で繋がっています。

自分の丁度良い状態に戻るために、
自分に最も似た物質から作られたレメディの助けを借りることで
気が付かないように蓋をしたり過剰反応していた奥深い部分に作用をもたらし、
改善に向けて動き出す事ができるようになるのです。


う~ん、なんとか説明になってますか??

人間は複雑です。だから興味は尽きません。
ホメオパシーは人間の神秘や真理を垣間見る一つの方法です。
だから簡単になど説明はできないし、レメディを見つけるのも容易ではありません。
それでも、レメディが見つかった時、そして効果を確認できる時、
そこにはたくさんの学びや喜びや感動があります。

薬の替わりにレメディを使うだけなんてツマラナイ事だけがホメオパシーならば、
私には魅力もないし、面白くもないし、知りたいとも学びたいとも思いません。
人の病気や生い立ちや苦しみなどの話に興味があるわけでもなく、
人助けをしたいわけでもなく、まして病気治療をしたいわけではありません。

ホメオパシーをしていると、人間ってものすごい可能性を秘めた存在だと気がつきます。
どの人もです。そして親子である事の不思議とか、神秘とか。
誰もが、とても美しい物語を生きられるのだと実感できるのです。
(美しいとは上品とかお金持ちとか、誰もが羨むとか、そんな意味ではありません)
その人が癒されていく時、その人の表現の一部として表れていた症状が消えて行きます。
病気の症状はその人が癒される必要があるという事を訴える役目を持っているからです。


ホメオパシーの話をたくさんブログに書きたいけれど、
説明するのが複雑で書き始めると時間がかかり過ぎてしまい、
なかなか書けませんが、少しづつでも説明して行けたらなぁといつも思っています。
だって、ホメオパシーって面白いからです。