蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

鶴の恩返し

2008-01-28 00:13:12 | Weblog
セッションする時、それは特別な空間で、何だか鶴の恩返しの物語の鶴が一人部屋の中で鶴の姿に戻って布を織っているような感じがします。

普段は人の姿をしているんだけど、丹精こめて布を織るためには、本来の姿に戻らなくてはならず、その姿は人に見られてはならない秘密の姿なのです。

セッションをしている時は普段の自分ではなく、いつもは人に見せない素に戻っているような気がしています。

セッションする側と受ける側の2人だけの秘密の部屋な感じです。

私は通路になりたいと思っていて、その人と宇宙をつなげ、その人の住んでいる独特の宇宙の旅を一緒にさせてもらう感じです。

でも、これはホメオパシーだけに限らないと思うのです。

例えば、展覧会に行って素晴らしい絵画を見たときも、絵画は宇宙への通路になっているような気がします。

それは映画や音楽でも同じような気がしています。
そうでなければ意味が無いような気さえします。

忘れていた大切な事を思い出す感じかもしれません。

私は私の見方でしか世界を見ることができない小さな存在です。
でも、誰かがいたり、何か他の人が示してくれる宇宙に出会ったときに、自分の小さな閉じられた宇宙を広げる事が出来たりするのだと思います。

それは人ではなくて、動物や植物やモノかも知れませんが、ちょっとだけ閉じられた世界を開く事ができたら人は癒されるのではないかと思っています。

苦しい人や病んでいる人は、独自の世界の色が濃くなりすぎて他との調和ができなくなって、たとえ家族や友達がいても独りになってしまっているような気がしているからです。

鶴の恩返しの物語は、どうして本来の姿を知られてしまったらお別れなのでしょう?
身を削って恩返しをして、そうだったんだ、あの時の鶴だったんだね、でも鶴の姿のままでも、無理して頑張らなくても、それでも良いよってハッピーエンドの物語にならないのはどうしてなんだろうと考えてしまいました・・・。

冬休み最終日

2008-01-06 01:30:39 | Weblog
小学3年の娘の冬休みがやっと終了します。(やっと!って感じです)

短い休みだけど、何だかご馳走三昧でした。
とは言っても、大したご馳走ではないのですが、なんとなく子供の好きな高カロリーな食事だったのです。

毎日、特に冬休みだからと特別な事をしてあげられるわけでもなく、
ご飯を美味しく食べるくらいの楽しみしか無かったからなのですが・・・。

昨日の夜は天ぷらをして、お店みたいに揚げながら食べるというのをしました。
今日のお昼はピザが食べたいと言うので、一緒にピザを作りました。

家にはホームベーカリーという便利なものがあり、ピザ生地を作るのは簡単です。
伸ばして好きなトッピングをして、300度のオーブンに、陶器のプレートを乗せて、その上でピザを焼きます。

天ぷらもピザも作りながら熱々を食べるので大忙しですが、娘はすごく喜んでくれて、レストランに行くより家で食べた方が美味しいねって喜んでくれました。
(そう思うように仕向けている私がいるからかもしれませんが・・・)


小さい幸せだけど、贅沢しなくても楽しくできる方法はたくさんあると思います。
特別な事は何も無くても、日々嬉しいって思えることが幸せだと思うからです。



人と自分を比べて羨ましがっていたら、いつまでたっても満足できないから、
自分が出来る範囲の事で楽しいって思える事を探して、幸せを感じられるようになる事が大切なのだと思います。

娘にはいつも幸せを感じられるような人でいて欲しいから、私もいつも小さい事で幸せを感じられるようでありたいと思っています。

あけましておめでとうございます

2008-01-01 17:17:38 | Weblog
新しい年が始まる時、毎年、今年の目標を考えますが、一年が終わった時に何が目標だったのかを覚えていたためしがありません。

知らず知らずのうちに目標を達成しているので、目標ではなくなって忘れているのだとしたら良いのですが・・・。



今年の目標は「素直になる事」です。(と、一応決めました)


これは永遠のテーマなのかも知れませが、生きている間に行ける所まで行きたいといつも思う「行ける所」というのは、どこまで素になれるかという事です。


物心ついた頃から、知らずに被ってしまった自分という思い込み。
周囲の環境に合わせるために作った自分の姿は、本来の素ではないからです。


心のままに生きるなんて、大人なんだから無理だと云う人もいますが、
大人になったんだから、理性を働かせ、知恵を使って周囲との調和を図りながらバランスを取って、心のままで居られるようにする事が出来るのではないかと私は思っています。


それでも不安や恐怖で気持ちにフタをしてしまい、そこから先に進めなかったり、
無意識で’いつものような’反応をしてしまう事で、自分で作った、自分という思い込みの枠から出られなかったりします。


居心地良く暮らしたいと思っても、何が居心地が良いのかがわからなければ、どこへ向かって努力するのかもわからず、何を頑張ればいいのかもわからず、頑張ったとしても、本当に望んでいるところではない方向に向かってしまったりします。


何がしたいのか、どうなりたいのか、何が欲しいのか・・などは、
まずは素に戻ってからでないと間違ってしまうような気がします。(私はですが)


だから私のいつもの目標は、素に近づけるように生きている事です。


そのために知りたい事がたくさんあって、その答えを探す事が出来るのでホメオパシーを続けています。
ホメオパシーは私にとっては道具です。大好きだけど、ホメオパシーがどんな事よりも優れているとも思っていません。



去年も今年も来年も、ずっと目標は同じなので、テキトウにつけた「今年の目標」はどうでも良い小さい事なので忘れてしまうのかも知れません。

昨日よりも今日、今日よりも明日の方が楽しいと感じる事が出来るように、好きな自分になれるように、日々暮らしたいなと思っています。