今年は明治戊辰の140年です。かって130年の以前に立てた各標柱も手作り木柱で、根腐れペンキ剥げなど寿命が来てしまっている。
北部戦線の大館落城の8月21-22日の激戦地の標柱を、8月7日に木製手作り標柱ではあるが、新しく復活した。9日は南部盛岡藩の侵入攻撃開始の日にあたるが、この日は標柱が道路から見やすいように標柱廻りの雑木草刈をした。道路からみて良い景観になっている。
正面に 「明治戊辰激戦之地」、右側面 「扇田街道・相善堂跡」
左側面 「慶応四年八月九日南部盛岡藩秋田領侵入攻撃、 八月二十一日~二十二日 山王台 東台主戦場となる。」
裏面 「両日の大館側戦死二十三名。八月二十二日大館落城。」 「北羽歴研」
と説明を記している。標柱の場所は、大舘市東台一丁目6-38、馬頭観音塚と庚申塚もあり、古扇田街道に面する。近くにシルバー人材センター事務所。同ルートに秋田職業能力開発短期大学がある。
追加、薬師森(今泉)
加えて8月10日、国道7号線北秋田市今泉、薬師森下(スキー場入口)に戊辰戦標柱を立てる。ここには戊辰戦130年に今泉集落簾内さんの立てた標柱があるが、いま文字が薄れて残念ながら見えなくなっているのが現状。復活を願うが、北部戦線地としては大事な場所なので、とりあえず当方でも標柱を立てる。盛岡南部藩の最後の侵略地点、ここの戦いから奥羽鎮撫総督府派遣田村乾太左衛門(佐賀藩)指揮による官軍秋田側の反撃が始まる。表示は以下のとおり。
「戊辰戦争 史標」 「薬師森 今泉・小繋 山境」
「慶応四年(明治元)八月二十七日盛岡南部藩攻撃、官軍秋田側撃退す」 「北羽歴史研究会」