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巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【番外霊場 真念庵】

2012年06月18日 | 日記



真念庵は37番岩本寺と38番金剛福寺の中間にあり、また38番金剛福寺から真念庵あたりまで戻り39番延命光寺に向かう中継場所にあります。 土佐出身と言われ、江戸時代の遍路中興の人、真念上人によって作られた庵です。(ちなみに真念上人のお墓は讃岐の州崎寺にあります)。 岩本寺から来ると2日目の宿泊地下ノ加江地区にあるのですが、宿が集中しているエリアの手前にあり、疲れた遍路がここで右手に寄り道することがないのでなかなかお参りする人が少ない番外札所です。 ここの素晴らしいことは、市野瀬のの方々がここの納経をされており、暖かなお接待をしていただきました。 そう、出した納経代を遥かに越えるお接待をして頂き、これが本当の四国なんだと思いました。 88箇所のお寺が納経代で潤っているなか、本当の信仰を伝える場所としてお薦めです。


市野瀬のに入るとすぐ右手へ真念庵のサインがでます。 畑の中を抜けると直ぐに真念庵に到着。 真念庵の前には明治時代初期の庵主であった法印実道が四国を巡拝して浄財を集めて建立した八十八体の石仏が並んでいます。 

真念庵でゆっくり腰を下ろして林の中の風の音を聞いていると心が穏やかになります。 再び来た道を戻っての個人宅で納経をお願いすると、暑いでしょう、まず麦茶を、それから葡萄をどうぞ、納経は判だけで墨書ではないですけど、2つあるですよと言われて折角なので二つお願いします。 お話を聞くと明治のおじいちゃんの時代には真念庵の後ろを囲むようにして善根宿が沢山あったそうです。終わったらお菓子などが入った袋を持たせてくれました。 感謝!!


逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【番外霊場 月山神社】

2012年06月12日 | 日記

ここは第38番札所金剛福寺から第39番札所延命寺には一般に打戻と言われて内陸側に戻って行くのが普通のルートです。 しかし金剛福寺から半島を右に海岸線を歩くと月山神社経由で宿毛市にたどり着きます。 ここから10キロほど内陸側に戻るように歩くと第39番札所延命寺にたどり着きます。 ただしこのルートは長い事、1日では歩けないにも関わらず宿泊施設が少ないなどからここを歩く遍路は少ないです。

ここには三日月の形をした霊石があるとの事、これを見たかったのが今回の目的の一つです。 ただしルートを考えると歩きではかなり厳しいので、今回自転車にしました。

一方途中にある月山神社は、月夜見尊、倉稲魂尊、を祭神とし、表筒男、中筒尾、底筒尾の三神と事代主尊を合祀し、もと月山霊場守月山月光院南照寺と称せられ、両部習合の霊場でした。明治元年より月山神社と改称して今日に至る、伝承によれば、遠く白鳳の世、役行者小角この山に入り月影の霊石を発見し、月夜見尊、倉稲魂尊を奉齋したのが開基といわれる。後に空海が、この霊石の前に、密供を行なったそうです。

現在は神社の隣に大師堂、それと神主の家だけしかない霊場です。
6時半に延命寺を出発、姫の井あたりから直接月山神社に入る分岐がどうも不確か、道もあまりよくなさそうなので、一気に大浦まで下ってしまい、ここから戻ることにしました。 大浦のを抜けると、道は誰もいない山間の道になり、道から太平洋が望めます。 道は上下しながら急に月山神社に出ました。


鳥居の前にある三日月型の岩があるのですが、丁寧にもこれは神石ではありません、 どこにあるかと探すと神社裏手の崖の上です。 (写真には神社の屋根と大師堂の屋根の間に三日月の左側が見えています) 神社横にある崖をよじ登るとそこには神石、その前に小さな三日月石もあります。 どうしてこんな所にこんな石があるのでしょう?

大師堂の天井には色々な絵が奉納されているのだそうですが、暗くて、隙間も狭くてよくみえません。


神主さんも不在のようで納経もできません。 でも三日月の神石に導かれてここまで来た幸せでいい気持ちになりました。

1時間ほど過ごして、今日の宿(なかなか取れずに結局以布利の星空)に向かいます。 古い民宿でしたが昔ながらの遍路宿で気持ちよく過ごせました。


逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【番外遍路ころがし】

2012年06月11日 | 日記

遍路道で急な登りを遍路ころがしと言っています。 

徳島の3箇所は「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と言われています。
Wikiで調べると

    11番藤井寺から12番焼山寺への12.9km(焼山寺道)
    徳島県勝浦町生名から20番鶴林寺への3.1km
    徳島県阿南市の若杉登坂口から21番太龍寺への1.5km

このほかにここも厳しい登りで有名でした。

    27番神峯寺への最後の登り約2km。
    池田町佐野から66番雲辺寺への1.8km

別格を歩くと、それにも匹敵する厳しいものがあります。
感触ではなく、実際の標高図を作成してみて比較したらどこが一番きついかなと
ネットを探していたら、ウォーキングマップ作成が一番分かりやすかったです。
http://www.qunea.com/walkingmap/

横軸が正規化されているので距離はそれぞれ違います。

88箇所で私が結構きついなと感じたルート
横峰寺標高図

雲辺寺標高図

別格で厳しかったルート
仙龍寺標高図

出石寺標高図


大窪寺から大龍寺標高図

結果比べてみると皆800mぐらい登っていたですね。 どれがきついではなくどれもきつかったです。

 

 


逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【番外霊場 月山神社その前に竹大師】

2012年06月11日 | 日記


宿毛市に延命寺から入る橋のたもとに竹大師があります。 正式には慈竹山 竹大師 高野山真言宗 善照寺という小さなお堂で道路より一段下にあるので注意しないと気づかずに通り過ぎてしまいます。 

宿毛水田の開発を弘法大師が行った時に、「この地栄えよ、栄えるならこの竹が芽を吹くだろう」と言って、自分のついていた竹を逆さに突き刺したところ、その竹が芽吹き、枝がみな下向きになったという伝説の地です。 四国88箇所の安楽寺にも似た伝説があり「病の父親に猪の肝を飲ませようと狩りをしていた青年猟師がお大師様を獲物と間違えて弓矢をはなってしまいました。すると、松の木の枝が風もないのになびいてその矢を受け、お大師様の身代わりとなりました。お大師様は青年猟師の父親をお加持し、「私利私欲を離れて懺悔し、供養の心を起し、世のため人のために自分を惜しむことなかれ」と説法されました。お大師様は身代わりになった松の枝を青年猟師にさかさまに植えさせ、「もしこの松が芽を出し栄えることがあれば、後にこの地をふむ者は厄除の法によって災厄を逃れるであろう」と言い残されました。後にこの松は芽を出して栄え、弘法大師身代わりの「厄除けのさか松」と言い伝えられるようになり、安楽寺は厄除けの寺として今日に至ります。 安楽寺ホームページより」
このように大師伝説には逆さまでも元気にいきていく霊験新たかな植物の話があります。 これは何を意味しているでしょう?

そしてこの逆さ竹がこの写真にあるものです。

前回朝通った時は綺麗に掃き清めていた檀家の方がおられたのですが、今日は掃除が終わったのでしょうか境内は綺麗でしたが誰もおりません。 本当の四国の信仰はこのような名もないお寺で始まっているようです。


逆うち 番外霊場&別格20霊場自転車参拝 【別格第六番 龍光院】

2012年06月08日 | 日記



ここまできつい上り坂の別格霊場でしたが、これからしばらく駅前とかお遍路道の横とかにあるアクセスが容易な霊場が続きます。 88箇所では難所を「遍路ころがし」といい、焼山寺とか鶴林寺、大龍寺が有名です。 今回別格を回っていると、遍路ころがしが毎日、その中に超遍路ころがしがありました。 でも思い出に残っているよかった霊場は仙龍寺です。 厳しかったけど、それに余りある感激がありました。


龍光院は宇和島駅前から歩いて5分です。 自転車を駅前に置いて鍵をかけ、参拝です。 階段が上がると本堂、大師堂と並んでおり、納経場は大師堂裏手にあります。 前回歩き遍路の時は別格だから飛ばしていこうとお参りには行かなかった。 

40番札所観自在寺の奥の院ですが、その経緯は願成寺(鯨大師)→馬目木大師→龍光院と移り変わり、現在は龍光院が40番奥之院の法灯を継ぐことになったそうです。

遥拝石から本堂を覗き込むと四川省からお迎えした観音様が見えるとのことでしたが、私の目ではしかと確認できませんでした。 参拝が終わり、今日はバスを使って宿毛へ移動、そこから延命寺そばにある宿に行きます。 明日は今回の旅の本命の一つ、月山神社です。