サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

人材開発部門は、「能力開発」という言葉をいつまで掲げられるか。

2016年11月27日 13時36分55秒 | 人材開発部門
人材開発部門、教育部門、名称はなんであれ、一般に人事部門の中にこの名称を掲げる部門は少なくありません。この部門に社員の能力を引き上げることができるかといえば、かなり難しい課題と思います。私は、社員にむかって次の言葉を投げかけています。
 「皆さんは、高校・大学入試と二日か三日、勉強しただけで進学できたわけではないですよね。研修も同じです。二日三日やって合格ということはないですよね。ゆえに、研修を通じて皆さんが学ぶべき方向を見いだしていただきたい」と。これは、「研修を受けたって、、、」という社員の顔を見たときに使う私の常套句です。逃げるつもりはないのですが、能力開発の責任は自己責任と申し上げています。むろん、育成は、管理職の責任でもあるのですが。
 昨日、人に本を勧めるのは好きではないと申しあげました。その舌の根も乾かぬうちにとなりますが、最近読んだ本で、「やはりそうか」という記事がございました。そこから思うことは、我々は人をみるとき、どうしても人柄や才能・素質で判断してしまう傾向がございます。しかも、大方それは外れていない。しかし、その背後に、その人がどんな努力をしているかということには、あまり目が向いていない。ここが盲点です。
 もし、本人が「自分は仕事ができない」と思っているとしら、本人は「自分には能力がないから」と思う。私は、「そうではない。自分の努力が足りないから」ということに気が付かないのかなと思います。この言葉は、本人にしてみれば、心外に思う場合もあるので、気をつけて言わねばならないのですが。
 多くの仕事では、大抵は「もう少し努力したら?」或は「努力のやり方が違うのでは?」と思うケースがほとんどです。その中で、誤解されているのは「企画力」です。企画の仕事は個人の頭脳プレーと思われがちですが、所詮一人の人間だけで行うには限界がある。なぜ、それに気が付かないのか。多分、他人と一緒に考えるのが面倒なのか、なんらかの理由があるのですね。確かに「企画はむずかしい仕事」ですが、すべてそうではない。企画がズルズルと遅れているのは、本人は「むずかしい仕事だから」と思っているようですが、私からみたとき多くの場合、努力や意志の不足か、企画するためのアフローチが間違っているケースがほとんどです。後者の場合の解決は、社内外の人との会話や本などで、だいたいやり方はつかめる。要するに、能力開発というほどのものには思えません。
「努力や意志の不足」というと、また「意識改革」という私の苦手な言葉が出てきます。これについては、「意識改革に期待するのはね」と社員に言っています。「意識改革」については、また別途報告させていただきます。


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