KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

山本勘助ゆかりの地を歩く

2011-09-10 19:36:55 | ぶらり旅

 永禄4年(1561年)9月10日(新暦では10月18日)午前8時ごろ、川中島一帯を覆っていた霧が晴れ、甲越両軍の激闘の幕があけました。いわゆる第4次川中島合戦です。武田軍本隊8000、別働隊1万2000。対する上杉軍は1万2000。そのうち武田軍4000余、上杉軍3000余が戦死したと言われる激戦でした。武田軍の軍師としてこの戦いにのぞんだ山本勘助も、この地で討ち死にを遂げました。

 上信越道・長野インターから長野市街地へ向かう道路沿いに、八幡原史跡公園があります。この戦いで武田信玄が本陣を構えた地とされています。園内には武田信玄に斬りかかる上杉謙信の銅像が立っています。謙信が斬りつけたのは三回、信玄はそれを軍配で受け止めたといいます。軍配には七つの傷が残ったそうで、「一騎打ちの像」の脇には「三太刀七太刀の碑」が立っています。

NHK大河ドラマ「風林火山」が放送された3年前の写真。
当時は陣幕や幟があったのですが・・・

今の写真。ずいぶんとさびしくなりました。

 さて、八幡原史跡公園を出て右折。国道18号バイパスを左折し南へ向かうと、南長野運動公園があります。長野五輪開会式会場だったところです。この公園の西南の片隅に「勘助宮跡」があります。山本勘助が討ち死にした場所だといわれていますが、オリンピックの際にこの公園が建設されたとき、この場所に移設されたようで、もともとはこの場所より北東約100mのところにあったそうです。

南長野運動公園の南側駐車場に隣接しています
写真右手後方にオリンピックスタジアムがあります

 勘助宮から長野インター方面に向かう。松代大橋の手前の「おぎのや」の駐車場の片隅に、上杉軍から取り戻した勘助の首と胴をあわせたといわれる「胴合橋」があります。

この小さな橋がそうなのだろうか?

橋の横には立派な記念碑が立っています

 この場所から松代大橋をわたり、突き当りを左折、国道403号を北へ向かいます。しばらくすると「柴」という交差点があります(長野電鉄・金井山駅のすぐそばです)。ここを左折し、更埴橋の手前を左折、堤防道路をすすむと、右手に勘助の墓があります。

 ただしこの道路は一般車両の通行が禁止されていますし、駐車スペースもありませんから、松代に車を停め長野電鉄で金井山へ、そこから徒歩がよいでしょう。

山本勘助の墓。「山本道鬼居士墓」とあります。

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