どうする家康、第六話は瀬名姫奪還作戦の上ノ郷城の戦いでした。創作を折り込みながらも非常に興味深い展開で、人質交換の史実に基づくドラマティックな内容で見ていて「大河ドラマ」(史実と創作のヒューマンスストーリー)を十二分に堪能できました。
今川義元の重臣鵜殿長照を演じたのは野間口徹さんで私と同世代。国立大学の理系学部を卒業しながら俳優業を志し、アルバイトしながら役者としての下積み時代を長く続けてきたそうです。普段は眼鏡をかけた姿が印象的で、はじめての時代劇で端正な表情が際立っていました。桶狭間合戦当時は尾張への最前線大高城代を務め、松平元康の兵糧入れによって窮地を逃れます。家康の今川離反(織田家との同盟)により敵対し、上ノ郷城で家康の三河軍に攻められました。このとき忍として服部半蔵が活躍した様子が描かれており、武家として討たれることを良しとせず自害した展開でしたが、実際には城が陥落した際城下に逃げ延び、坂の途中で討たれたとされます。
またこの上ノ郷城攻めで鵜殿長照の息子二人は生け捕りにされ、元康の妻子と人質交換されたのは史実のようで、長照亡きあと今川氏に戻った息子氏長、氏次はその後戦国の世を今川、徳川と主君を変えながら生き長らえている。特に長男氏長は今川没落後は徳川家に使え姉川、長篠合戦等に従軍している。
徳川政権誕生後は譜代の家臣として列し、慶長二十年(1615)の大坂夏の陣では重要な役目を果たしている。
東海一の弓取りと称えられた今川義元亡きあと、多くの家臣は離反している。大河ドラマでは鵜殿長照の忠義の様子が氏真によって称えられているが、実際には長照自身も最前線の上ノ郷城で悩んでいたに違いない。
家康と長照の違いは何だったのだろうか。儚く散った鵜殿長照の姿を忘れることなく今後の展開を見守りたいと思っている。
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