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サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 娘の彼氏

2023-08-10 07:00:00 | 人生について
次女の彼氏が結婚の申し込みに来ました。

自分が神さんをもらいに行った時の義父の対応で、私に対してとても優しかった事が、この歳になっても忘れられません。その為、神さんには、私の奥さんと言う感覚と同時に、今でも義父の娘さんと言う感覚が強く残っています。
長女の旦那さんが、来た時も同じ気持ちで接していました。どうか娘を私の代わりに守って欲しい。これからの人生で娘に対しても色々頭に来る事もあるだろうけど、私に免じて許してやって欲しいと言う思いでしょうか。

そして、今回は次女の彼が結婚の申し込みに訪れました。この暑い最中にキチンとスーツを着て、緊張した面持ちで自分の想いを話してくれました。2人で決めた結論ですから、私には彼に私の代わりに娘を守って2人で新しい温かい家庭を作ってくれるのなら感謝しか有りません。勿論、喜んで賛成しました。

事前にうちの家の歴史や、家族の事、家の宗教の事を話していましたし、彼の家のそれも彼の仕事の事も事前に聞いていたので何も疑問点は有りませんし、2人の気持ちも最高潮の瞬間を私達も身近に感じてとても嬉しい気持ちでした。

コレからは、長女の時と同じ様に彼のご両親との顔合わせや、娘に持たせる嫁入り道具選びなどの仕事が目白押しです。
私も現役を退いているので、そんなに沢山の嫁入り道具を準備してやれる訳でもなく、少し後ろめたくは有りますが、私達夫婦が我が家から嫁ぐ娘にしてあげられる最後の仕事だと思って心を込めて選んであげれたらと思っています。

第二の人生 なんでこんな時に急な体調不良

2023-06-29 08:00:00 | 人生について
実は最近、動悸が気になります。自分で脈をとると1回脈が飛んだり、脈が弱くなったり。。。

前にも同じことがあって、しばらくしたら治まりました。その時はまだ現役で心配事も山ほどあって、そんなストレスが心臓にも影響して悲鳴上げていたと思うので分かりますが、今回は無職なのに理由が不明でかなり気持ち的に凹んでいます。何かきっかけがあったのかと思い返しても、最近あまり眠れていなかったり旅行に関しての不安もあったのでそれが原因かとも、また会社の後輩との食事で現役時代に心がタイムスリップでもしてストレスでも感じてしまったのか?

こんな状況で長時間の飛行機移動だったり、宿無しでの空港での野宿だったりと体の無理も気になります。

もしかしたら、日本人男性の平均寿命まで生きれないかもとか、下手したらあと数年なのかと不安のほうが大きく、旅行もふと止めた方が良いのかもと頭を過りますが、逆に短い命なら思い切ってあちこちの国を見てやろうとも思うし、行けば楽しくて元気になるのかなとも思ったり。なんで急にこんな体調になるのかがっくりです。

さあ、結局のところ私はどんな選択をするんでしょうか。。。。


第二の人生 1人になった老後の生き方を考えてます

2023-06-15 13:07:22 | 人生について
今回は、夫婦の寿命と老後の過ごし方についてのお話です。

私の親は、一人で住んでいます。義父は義兄夫婦と同居しています。私の祖父母は双方ともに3世代同居でした。

私達夫婦が70代後半になる20年弱先では、昔とも今とも時代が違うので、単純に当時の生活環境と比べる事は出来ません。でも、今まで見てきた親達の生活ぶりを見ていると、私の親の最後まで1人で自由に生活する事が今のところ1番自由で楽しそうです。

先日、神さんとお互いにどちらが先に死んでしまうか分からないけど、残った方はその後の生活をどうするかを話し合いました。先ず、2人とも生きている時に一緒に老人ホームに入る選択は、費用の問題で却下です。そうすると、人生最後のほうは老々介護になりますが、その場合は敢えて延命のための病気治療は行わず自然に任せる事としました。そして、男女の平均寿命と実際の年齢差から私が先に逝く事になろうかと勝手に思っています。

私は、神さんが1人になった時には老人ホームで入って生活できるように、なるだけ準備を怠らないようにと思っていましたが、神さんはもしも自分が残ったら「幼い頃の友人たちが住む九州に引っ越して、仲良し友人の家で一緒に住みたい」と考えていると言いました。仲良し友人が数人いてみんなで住めたら楽しいと思うと。もしそれが可能ならば、私も大賛成です。少し羨ましいくらいです。

私が残ったらどうするかは、今のところ老人ホームに入所して毎日麻雀でもしながら生活するのもいいかなとも思っていましたが、神さんの話を聞くと私も友人たちとの生活にも憧れます。ですが、汚いわがまま爺さん達が集まって一緒に生活などしても、あまり楽しそうには思えないところが問題です。もしも楽しい生活が出来るとすれば、以前映画で見た北野武監督の「龍三と7人の子分たち」(評価は色々のようですが)みたいな感じでの生活だったら面白そうですが、まあそれは子供たちにも迷惑かけてしまいそうで無理というものですね。やはり女性の方がうまく生きて行けそうです。


海外旅行のその後ですが、シンガポールは事前に健康チェックアンケートをデータで送付するだけで良さそうでした。マレーシアとタイは入国条件は何も無いようです。でも、神さんが行きたくないと言っているので実際どうなるのか不明です。子供たちが行って楽しんでくるように応援してくれていますが、神さんも猛烈に頑固なのでもしかしたら、航空券破棄になってしまうかもしれません。それも運命か?どうなる事でしょう・・・。


第二の人生 これからの生き方を考えています

2023-06-08 09:21:00 | 人生について
人の幸せについて考えています。

これから残りの人生をどう生きるのか考えてしまいます。
お手本は自分の父親、義父、曽祖父を思い返します。皆、働けなくなるまで仕事していたので、今の自分は年齢的にはまだまだ働けるのにと思うと、学校や仕事をずる休みしているような罪悪感もあります。
先日、アマゾンプライムで「痛くない死に方」と言う日本映画を見ました。末期癌の患者が自宅で尊厳死するさまを描いていますが、自分の最後もこうありたいものだと痛感しました。とても良い映画でした。自分の親や自分がそろそろかなと、感じているのなら是非とも見るべき映画ですよ。

私の子供達は、自分の生活の為に仕事に家庭に一生懸命に取り組んでいます。目の前の出来事に追われているようです。でも先日、長女から「自分の将来を考えると不安がいっぱいだったけど、パパが自由に生きている姿を見ていると歳をとってからも楽しいかもしれないと思い始めている」と言ってくれました。私が自分の親を見ていた視線で子供も私を見ているのだと感じた瞬間でした。

私は子供や孫の為にも、希望となるような生き方をしていかなくちゃとも思い始めています。当初は、同年代の友人知人に退職後にいかに楽しく豊かに暮らしていけるのかの実験台になってやろうと思って始めた、「死ぬまで遊びつくすぞ」のスローガンが多少変わってきています。自分の自由な時間が出来たことでゆっくりと様々な事を考えるようになりました。

人の幸せとは、いったいどうすれば良いのだろう?

例えば、定年後に残りの人生を贅沢旅行が出来る経済力があったとして、それが出来たとして、その一瞬だけは幸せを感じるだろうけどそれだけの事だと思っています。自分の趣味を極め世間から認められて注目さたい?とてもプロには敵いませんし趣味の範疇で終わりそうです。何かを後世に残せるとは所詮趣味の世界なので、詳しく知れば知るほど思えません。孫達との3世代同居の楽しい生活?そもそも今の都会では家が狭くてとても無理ですが、それでももし広い家があっても、孫が成長する過程で、自分は孫に何を与えられるのか・見せられるのかが大切であって、孫の成長する姿を見てるだけだと孫からも相手にされそうになく、コレも論外です。

多分、幸せだったかどうかは、自分が死の時を迎えたときに、過去を振り返って「精いっぱい生きた。もう思い残すことはない、幸せだった。神さんありがとう」と思えるか否かじゃないだろうかと想像はしています。
なので今の私には、「生きて幸せになる事とは、その時に自分がしたい事を目一杯して人生に後悔しない事」が答えだと思っています。



第二の人生 父方のお祖父さん

2023-05-08 11:01:57 | 人生について
前回、母方のお祖父さんを想って書き残しましたが、私の性格には父方のお祖父さんの血が色濃く引き継がれていると思うお話です。

私の父方のお祖父さんも、明治生まれで無口な人でした。最初の奥さんとの間に長男である私の父と弟が出来たものの弟の出産時に亡くなり、二人目の奥さんと再婚しその後に4人(3男1女)をもうけました。大東亜戦争に行って米軍の爆撃機を1機撃墜した話を良くしてくれました。生活は着物で過ごし洋服は仕事に行くときくらいだったと思います。尺八をよく吹いていました。先祖からの鎧や刀を大事にして特に刀の手入れする姿は凛としていました。剣道をやって槍もついていました。仏壇の部屋には槍が、床の間には刀があり泥棒や強盗がきたらこれで戦うと言ってました。和歌を詠んだりもしていました。女性が好きで外にも何人か囲っていた人がいたようです。戦前は地主でお百姓さんからの米が水路を通って舟で蔵に大量に納めに来ていた事を話してくれました。戦後は土地も無くなり市役所で働いていましたが、残った土地を切り売りしながらの生活でした。自分で小さな畑を作って人糞肥料で野菜を作っていました。お祖父さんは自分の生きた時代を大いに楽しみながら生きたものの、敗戦によって生活が大きく変わり苦労し歳をとると祖母さん叔父さん叔母さんから昔の女性事で色々言われて可哀そうでした。

私の事を可愛がってくれました。子供の私に絵本を読んでくれたり、刃物の使い方や火のおこしかた、畑の虫や野菜について教えてくれました。奥さん選びの重要性、母親の子供の教育や躾の仕方で、子供の父親への感じ方が大きく異なることの反面教師でもあったかもと思います。

私も、女性が大好きな男性です。
どちらかというと柔道よりも剣道が好きで、刀や鎧が好きで働かず自分の好きな事をしていたい人です。お祖父さんと違うのは、既に先祖からの遺産は何もなかった事で土地に縛られることなく自由に仕事を選ぶことが出来、文句を言わない素敵な奥さんと一緒になった事と家庭外に囲いの女性もいなかった事。日本には戦争がなく平和な時代を謳歌できた事だと思います。

自分の人生で、唯一自分での選択肢が無いのが戦争です。
私が子供のころ怖かったのは、それまで何十年か毎に起こっていた戦争が自分の青年時代に起こってしまう事でした。その場合は戦場に行かなければならなくなる場合が来ますが、その時には戦う勇気として妻や子供を守るという意味が欲しいと思っていましたが、日本は平和が維持され発展もでき幸せな時代を生きてこれました。
しかし、今もしも戦争が始まれば、想像もできない運命が訪れるかもしれません。本当に恐ろしいと思いますが、それでも侵略国家には、戦って返り討ちにしないと分からない連中だと思います。私もこの歳になり目も耳も体力も落ちてしまいましたが、そうなった場合には何か役に立ちたいと思います。何が出来るのか自分でも分かりませんが。。。でも流石にウクライナみたいに自分の住む地域が戦地になれば、銃をとって立ち上がるつもりです。こんな気持を日本国民全員が持っていれば、相手国は事を起こしても勝利するのは難しいと思うでしょうから、日本は平和を今後も維持できると思います。日本人が、攻められても戦う姿勢も見せず、日本国内で戦争反対運動、国外逃亡準備等の反戦思考に陥る時が一番危険な状況だと思っています。
ご先祖様から代々受け継いできた私の身体にあるDNAと日本という土地を今後も子孫に大切に受け継いでいって欲しいと思っています。

PS.
先日、故郷の同級生の友人の突然死の連絡があったと書きましたが、今度は1歳先輩の突然死の連絡がありました。ほかにも同級生や年下の現役世代の病気の話も聞いています。病気には打ち勝って健康を取り戻して欲しいと思いますが、そういう話を頻繁に聞く年代になってしまったのか、私はまだまだ若いつもりですが人生は振り返ってみると案外と早いものだとも思います。身体が動くときに思った時がタイミングだと考えて、いろんなことに挑戦を続けていきたいと改めて思わされました。