酔いどれ堕天使の映画日記

劇場やテレビでみた映画の鑑賞記。原則ネタばれなし!

『チャンス』(1979・米)

2009年07月13日 15時18分11秒 | TV鑑賞作品
原題“Being There”
BS2の深夜放送を録画していたのを昨夜みました。

イェジー・コジンスキーの原作「庭師 ただそこにいるだけの人」
以前の邦題「預言者」を彼自身が脚色し
大好きな『さらば冬のかもめ』(1973)のハル・アシュビーが監督した作品。

ピーター・セラーズ扮する一介の庭師“チャンス”
善意の解釈の連鎖から字も読めないただテレビだけが好きな男が
偉大なる指導者“チャンシー・ガーディナー”として祀り上げられるおはなし。
そこには教訓めいたものはなく
あるのはただひたすら“今”に対する痛烈な皮肉と笑いの世界。

“フリーメイソン”をおもわせる数人がひそひそ話で簡単に大統領候補を決めてしまうなど
しまいにはアメリカという国家まで皮肉ります。

しかし、やがてみているわれわれのほうもこの“ただそこにいるだけの男”の存在に
不思議な安堵感を覚えていくから不思議です。

映画の冒頭、チャンスが朝起きてテレビから流れるのがシューベルトの“未完成”交響曲
主人の死により生まれてはじめて彼が住み慣れた屋敷を出て歩き出すテーマ曲が
あのR・シュトラウスの“ツァラトゥストラはかく語りき”とは
音楽だけで彼の“存在”を暗示してしまう真にうまい演出です。

シャーリー・マックレーン、メルヴィン・ダグラスの助演陣も実に味がある。

ブラックな笑いに満ちた大人のための御伽噺
ピーター・セラーズという不世出の役者を得て
チャーミングな花をさかせました。

☆☆☆☆

『ノウイング』(2009・米)

2009年07月13日 13時13分49秒 | 劇場鑑賞作品
封切り日の先週金曜日みてきました。

アレックス・プロヤス監督の描く終末論。

数年前のホテル火災で愛する妻を失ったMITの宇宙物理学教授ジョン(ニコラス・ケイジ)は
運命論的なものにすっかり懐疑的になり一人息子のケイレブと静かな生活を送っていた。
そんな彼に次々と符合するように降りかかる不思議な出来事の数々。
それは意外にも50年前の予言に基づくものだった。

リアルを極めた衝撃的な映像とは対照的に
静かに響くベートーベンの交響曲が心に残ります。

映画館から帰って読んだ日経新聞夕刊の映画欄に
家族愛で作品テーマが矮小化されたというような趣旨のコメントがありましたが
小生の感想はまったくの正反対。

“家族の絆”をとおして描くことによって
よくあるオカルティックなSFに堕することから救われています。

ラスト近く、つきつけられた事実に動転しやがて安堵するジョンの複雑な心境
誰にもいつかは訪れるであろうその瞬間をおもい
父親として素直に共感し目頭が熱くなりました…。

☆☆☆