酔いどれ堕天使の映画日記

劇場やテレビでみた映画の鑑賞記。原則ネタばれなし!

「今村昌平伝説」-Books-

2010年01月29日 16時37分51秒 | 名作・映画作家探訪
タイトルのとおり数々の名作とともに様々な伝説がまことしやかに語り継がれる映画監督、今村昌平。

30人以上の今村監督ゆかりの俳優、スタッフ、家族へのインタヴューをもとに巨匠の実像を浮き彫りにした監督の生前にあらわされた500ページにおよぶ労作です。
おもしろくて先日一気に読みました。

今村昌平は小生の最も敬愛する映画作家の一人ですが

「今村は決して鉄人ではないです。普通のお医者さんのせがれです。
それが普通でありたくないということで自分に日々枷をかけてきたような気がします。」(小沢昭一)

「繊細で弱々しい子供であったからこそそこから抜き出て強く逞しく豪快でありたいと願って努力を重ねてきた。」
(長谷川和彦)

との言にあるように

“頭はいいもののとくに天才的でも異能の持ち主でもない”“普通の人”がいかに血のにじむような努力と執拗さで作品をつくりあげてきたか・・・。

今平ファン必読です。

『クヒオ大佐』(2009・日)

2010年01月26日 16時27分10秒 | 劇場鑑賞作品
実在の結婚詐欺師をコメディタッチで描いた去年公開の映画。
先週末みてきました。

ジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐。
こう名乗りハワイのカメハメハ大王の末裔にして英エリザベス女王を親戚にもつ米軍パイロットだといって女性に結婚話をもちかけます。

時代が違うからこの男ではないのでしょうが
昔、日テレの「ウィークエンダー」でまったく同じような詐欺師をとりあげていて写真パネルの顔が妙に印象にのこったのを思い出しました。

つけ鼻をしてクヒオ大佐を演じるのは堺雅人。
結婚話をもちかけられる弁当屋の女性社長に松雪泰子といったキャスト。
監督はCM出身の吉田大八。

なぜか冒頭、当時の湾岸戦争への支援をめぐり米国に押し切られあわてふためく日本の姿がえがかれます。

クヒオ大佐の稚拙な手口とやり取りがおもしろく途中までゲラゲラ笑ってみていましたが
詐欺?では一枚も二枚も上手の銀座のホステス嬢に底の浅さを見透かされ立場が逆転するあたりから
堺雅人のあの憎めない独特な風貌とあいまってなんとも哀れで切なくなってくる。

ラストの演出含めちょっと不思議なテイストの作品でした。

☆☆☆

『サロゲート』(2009・米)

2010年01月25日 15時29分44秒 | 劇場鑑賞作品
身代わりロボット“サロゲート”に依存した近未来社会を描いたSF映画。
封切りの先週金曜日みてきました。

身代わりロボットですぐ思い出したのが藤子・F・不二雄の漫画“パーマン”にでてくる“コピーロボット”。
パーマンが外で活躍中アリバイづくりとして家でお留守番が仕事です。
しかし本作のロボットはそれとは逆で主人の意思で主人に代わって外で仕事やお遊びをするという設定。
人間は家にいて自身をマシンにつないでただ横たわっているだけ。
そしてサロゲートがあじわった感覚や情報はすべて所有者のものとして知覚される。
しかもサロゲートの容姿は自分の好みで自由につくりかえることができることから単に自身の若返りだけでなく男が女になることも可能。
身体が不自由な人も健常者として行動できます。
そして万一事件や事故にあってもサロゲートが身代わりになることで生命が脅かされることがないというので急速に普及したのです。
ここまでが冒頭のイントロダクション。

しかし、ある夜、サロゲートが何者かによって外でうけた襲撃により家にいた持ち主が命をうばわれるという本来はありえない事件が発生したことからはじまるお話です。

ブルース・ウィリス演じるこの事件の担当FBI捜査官らも自身ではなくサロゲートを“介して”捜査するわけですが
特殊メイクでつくりだしたサロゲートたちの造型は『サンダーバード』にでてくるマペットを思わせてどこか懐かしい雰囲気。

若返りや変身願望、美容整形やダイエット商品などであふれかえる現代への寓意。
米名作テレビシリーズ“トワイライトゾーン(ミステリーゾーン)”で描かれるような皮肉な世界を90分で簡潔にまとめていて好感がもてました。

鏡のなかの自分の“シワ”や“シミ”が思わずいとおしくなる?作品です。

☆☆☆

『リミッツ・オブ・コントロール』(2009・米=スペイン=日)

2010年01月20日 16時13分11秒 | 劇場鑑賞作品
昨年公開のジム・ジャームッシュ作品。

小津という共通項をもつアキ・カウリスマキ同様
作品に心預けるだけでいざなわれるミニマルな記号に満ちたジャームッシュ独特な世界
昨日満喫してきました。

“世界で一番自分を偉いと思っている男”を墓穴に葬り去る使命をうけた男(イザック・ド・バンコレ)のものがたり。
スペインに飛んだ主人公はつぎつぎと仲間たちから同じデザインのマッチ箱にはいった暗号を手渡されて・・・。
そんなストーリーとはさほどつながりはなく
カフェで主人公が一人で同時に2杯のエスプレッソをオーダーするというような
同じ些細な出来事が何度も繰り返されていきます。

拳銃とケータイを嫌い(同感!)無口で禁欲的なこの男の前にあらわれるのは
“ブロンド”(ティルダ・スウィントン)、“ギター”(ジョン・ハート)、“モレキュール=分子”(工藤夕貴)といった多国籍でお馴染みの豪華な面々。
それぞれ『上海から来た女』=映画、ボヘミアン、分子などについて一方的にしゃべって立ち去っていきます。

この主人公の男にしても同じ美術館で毎日違う特定の一枚の絵画の前でたたずむ。
すると絵画と同じものがあらわれたり現実の経験と同じことが絵画で表現されていたりという按配。

なにげなく繰り返される日常のなかに美は紛れ込んでいることを実感させるクリスタファー・ドイルのカメラがとらえる画。
たとえばいつものスーツ姿の主人公との豊満な“ヌード”(パス・デ・ラ・ウエルタ)が並んで腰掛ける画などまさにはっとする瞬間。

主人公が耳を傾けるシューベルトの弦楽の静寂とは対照的に
ノイジーなボリスの音楽とつねに男の上空を舞うヘリコプターの羽音も繰り返されます。

化粧室の中で太極拳のポーズ?をとる主人公を上からとらえたゆがんだ画からはじまる本作
フィルム・ノワールな主人公の雰囲気は海を渡った『サムライ』のそれか。
ささいで細かいことの積み重ねによって世の中はつくりあげられていく
瑣末なことを繰り返す創造の力こそ真の勝者であるとの
メッセージと思いきや
照れ隠しのようにこともなげに処理されるラスト、いかします。

“No Limits No Controle”

☆☆☆☆

『天国の駅 HEAVEN STATION』(1984・日)

2010年01月18日 16時45分42秒 | TV鑑賞作品
二人の夫を殺害し戦後初の執行となった女性死刑囚の事件を題材にした早坂暁の脚本を出目昌伸が監督した東映作品。
昨日の昼下がりBS朝日の放送でみました。

昭和45年、指で紅をさし小菅拘置所内の刑場にむかう47歳の主人公林場かよ(吉永小百合)。
遡る昭和30年、結城つむぎを織る32歳の美しいかよが関係をもたされた橋本という巡査(三浦友和)にそそのかされ半身麻痺の傷痍軍人の夫(中村嘉津男)を毒殺したのがはじまりであった。

最大の目玉は男たちに翻弄される汚れ役ともいえる主役への吉永小百合の起用。
イメージを脱ぎ捨てた俳優の意外性ある演技に快哉を叫ぶということはよくありますが
はじめからこの女優さんありきの企画だったのではないでしょうか。

サユリストでなくても切なくなるような彼女の痛々しいまでの体当たりの熱演にもかかわらず
人の業に逆らえず罪に手を染めてしまう主人公の純真さというアンビヴァレンスを描こうとした脚本に難があるのか
後半の津川雅彦の絡みつくような助演も虚しく主人公かよという人物が浮かび上がってこない。

しかもただ一人主人公の無垢な精神性を象徴する存在である西田敏行演じる発達障害の青年“ターボ”の描きかたもステロタイプで
なぜか当時それまでにさかんに増産された角川映画の残像をみているような印象の作品でした。

それでも人間の業をすべて覆い隠してしまうような豪雪のなかのラストの逃避行は心にのこります。

☆☆★

『かいじゅうたちのいるところ』(2009・米)

2010年01月15日 16時37分22秒 | 劇場鑑賞作品
封切りの今日、さきほどみてきました。

“Where the Wild Things Are”
1963年出版のモーリス・センダックの世界的なベストセラー絵本の世界を
スパイク・ジョーンズ監督で長編映画化。

大人になろうという年齢の姉にはまともに遊んでもらえず
シングルマザーの母は来客の恋人にかかりっきりで相手にしてもらえない寂しさからか
興味を引こうと大暴れして叱られて思わず家を飛び出した少年マックスが主人公。
ボートに帆をかけ漕ぎ出した大海原、ついたところは“かいじゅうたちのいるところ”
“かいじゅうたち”と少年マックスとの不思議な出会いと交流をえがきます。

マックスが出会う7匹のかいじゅうたちは寂しがり屋で直情的なキャロルはじめ臆病者や自己中、恥ずかしがり屋などいずれも大人たちを思わせるキャラクター。
しかも感傷や不安や戸惑い、偏見や疎外感のなかに暮らす彼らの世界は決してストレートに楽しい場所ではありません。

オーストラリアで撮影したという美しい海と空を背景に森と砂漠をかけまわるマックスとかいじゅうたちをとらえたまるで写真集のような画とあいまって
みるものそれぞれの立場で自由にとらえられる空間がたくさん用意されていて意外にも好印象な作品でした。

☆☆☆

『わが命つきるとも』(1966・米=英)

2010年01月14日 17時09分14秒 | TV鑑賞作品
このところ米アカデミー受賞作品の放送が目に付くのは同賞の発表が近いからでしょうか。
主要部門を独占したフレッド・ジンネマン監督作品、昨夜BS2の放送でみました。

ロバート・ボルトの戯曲“A Man for All Seasons”をボルト自らが脚色した歴史もの。
16世紀初頭、イングランド国王ヘンリー8世の権力とクロムウェルの権謀に屈せず自らの信念を貫き通したトマス・モアの姿を描きます。

離婚を認めない当時のカトリック教会のもとにあって
愛人アン・ブーリンと結婚するため王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚したい国王のヘンリー8世。
国王は大法官の地位にまで昇りつめ深い学識と厚い信任をそなえたトマス・モア卿に協力を求めますが彼は信仰を守りこれを固辞します。
しかたなくヘンリー8世はあらたに国王至上法をつくり自らをイングランド国教会の長とするとともにカトリック教会から離脱してアンとの結婚を成就するのです。
しかし、いつまでも沈黙を守り新たな法律と王の離婚を認めようとしないトマス・モアの存在を王はこころよく思いません。

主人公のトマス・モアを演じアカデミー主演男優賞を受賞したポール・スコフィールドはじめ英国出身の俳優陣の演技合戦が見もの。
子供のようにやんちゃでわがままな国王ヘンリー8世をロバート・ショウが好演。
トマス・モアの娘マーガレット役のスザンナ・ヨーク
物語の発端ともなった愛人アン・ブーリンのヴァネッサ・レッドグレイブ
出世のため主人公を売る裏切者のリッチ役で映画初出演のジョン・ハートなど
いまをときめくベテラン俳優たちの若き日の姿がみられるのもうれしい。
それとほんの数シーンながら枢機卿ウルジー役のオーソン・ウェルズがふてぶてしいほどの存在感で圧倒します。
あと、レオ・マッカーンというクロムウェル役の俳優・・・。
いちいちあげたらきりがありません。

理路整然と権謀者を論破するトマス・モアの高潔な姿にはそれほど感情移入できなくても
終盤の老夫婦の別れのやりとりは普遍、思わず目頭が熱くなりました。

当時の素朴な雰囲気をかもし出すロケーション撮影が見事にいかされた作品です。

☆☆☆

西川監督の『ディア・ドクター』キネ旬ベスト1!

2010年01月13日 11時20分26秒 | My Favorite Movie
恒例のキネマ旬報ベストテン
昨日、2009年公開作品の結果が発表され
1位に見事、西川美和監督、脚本の『ディア・ドクター』が選ばれました。
個人賞でも脚本賞=西川監督、主演男優賞=笑福亭鶴瓶と
2006年の『ゆれる』の第2位(1位は『フラガール』)につづく快挙です。

小生の年間ベスト(2009年12月2日記事)が批評家と同じというのはむしろとまどいますが
とりもなおさず同監督を買っているひとりとしてはうれしい結果です。

話はかわりますが同じキネマ旬報社から
「オールタイム・ベスト 映画遺産200」という大仰なタイトルの新刊ムックが発売されていてタイトルと中身が一致しない編集になかばあきれながら眺めておりますが
100人ほどの評論家、映画人、文化人?による“心にのこる”映画ベスト10の選者のひとりに西川監督が含まれていました。

小生とちょうどひとまわり若い年齢の西川監督ですが
『復讐するは我にあり』、『家族ゲーム』など映画の好みも似た傾向があり
勝手にシンパシーが増した次第。

今もっとも次作を期待しているつくり手のひとりです。

『ガンジー』(1982・英=インド)

2010年01月08日 16時56分36秒 | TV鑑賞作品
米アカデミー賞の主要部門を総なめにした188分におよぶ大作伝記映画。
昨夜BSハイヴィジョンの深夜放送で再見しました。

インド独立の父、マハトマ・ガンディー。
“非暴力、不服従”を提唱し、民衆を動かし英国を動かし後のさまざまな国の指導者にも影響をあたえた歴史上の人物。
映画はガンディーがヒンドゥー原理主義者の凶弾に倒れるシーンからはじまり南アフリカでの青年時代にさかのぼって描かれます。

演じるは名優ベン・キングスレー。
内面のみならず肉体からも力強さがみなぎるガンディーです。

監督は俳優としてもお馴染みのリチャード・アッテンボロー。
ひとつの宗教ともいえる主人公の考え方についてはできるだけ客観視し人間ガンディーを描こうという姿勢が感じられる演出です。

判事役のトレヴァー・ハワードやジョン・ギールグッドなど脇をかためる英国俳優陣のいぶし銀の存在感も素晴らしい。
それに大虐殺を指揮する狂信的な将軍役でエドワード・フォックスが顔をのぞかせるのもうれしいですし
終盤ライフ誌の有名カメラマン役でキャンディス・バーゲンが登場するサービスもあります。

しかし、この映画の真の名優は名もなき群集です。
イギリス軍の銃撃に悲鳴をあげ逃げ惑う大勢の女や子供の姿、独立により対立が表面化するヒンドゥー教徒とイスラム教徒間の憎しみの表現。
うねりくる大エキストラで描かれた民衆の怒り、苦しみ、悲しみ、歓喜、愚行など権力や国家、宗教対立に踏みにじられる普通の人々のきれいごとでない姿こそ胸にせまります。

☆☆☆

『ヘブン・アンド・アース 天地英雄』(2003・中国=米)

2010年01月06日 14時48分07秒 | TV鑑賞作品
BS2の中井貴一出演作特集で昨夜みました。

中国、唐王朝の時代の西域、シルクロードが舞台。
唐軍の捕虜となった突厥の女子供を含む民間人を殺せとの皇帝の命令を拒み逆賊となった隊長の李(姜文=ジャン・ウェン)がこの映画の主人公です。
中井貴一演じるのは若干13歳の若さで日本から遣わされた遣唐使の来栖という男。
唐の地で長年文武を修めいまは仕える皇帝から帰国が許される日を心待ちにしています。
そんな折、将軍の娘、文珠(趙薇=ヴィッキー・チャオ)を長安までの護衛する任にあった来栖は皇帝から帰国の条件として李の処刑を命じられるのです。

一方の李、部下と別れ一人旅するなか砂嵐に襲われ瀕死であったところを若い僧侶とともに仏典を運ぶキャラバンの男に一命を救われたことから同じこの砂嵐で隊員を失ったこの一行の護衛を引き受けることに。

やがて安(王学圻=ワン・シュエチー)という謎の男に率いられた騎馬軍団に追われるなどするうち李を追う来栖もこのキャラバンに加担していくことになるのです。

このキャラバンが運ぶ荷の存在が明らかになるあたりからあらたな局面をむかえる起伏に富んだ長い物語を2時間におさめようとしたのはたぶんハリウッド側の興行的な意向によるものでしょう。
そのうえ目と目があえば斬りあうような単調な戦闘アクションに注力しすぎたせいか
本来力を注ぐべき人物の掘り下げが不十分なのが誠に残念です。

たとえば魅力的であるはずの李の人物表現が力不足で文珠に芽生える思慕や宿敵である来栖の友情に説得力がないというように出演者が熱演するほど空回りする。
全体としても何かダイジェスト版というような印象の作品でした。

「西遊記」をモチーフに民族も異なるさまざまな登場人物が入り組みぶつかり合うなかなか面白いおはなしだけに
監督の何平=フー・ピンとしてはもっとじっくりと描きたかったのではないでしょうか。

☆☆

転々(2007・日)

2010年01月03日 10時38分50秒 | TV鑑賞作品
あけましておめでとうございます。

新年もお気に入りの映画のDVDをとりだしてきてはのんびり過ごしております。

元日の深夜BSジャパンの放送でみました。

オダギリジョーと三浦友和という異色のとりあわせ。
吉祥寺の井の頭公園“いせや”から皇居のお堀端、桜田門にいたる散歩ロードムービーです。
監督、脚本は三木聡。

親に捨てられ天涯孤独という割には大学8年生という恵まれた?自堕落な生活をおくる主人公の文哉(オダギリジョー)には84万円の借金があります。
ある夜、取立て屋の福原という男が文哉のアパートに突然あらわれ3日以内に借金を返せと脅かし立ち去っていきます。
この福原に過去のイメージを払拭するような風貌で挑む三浦友和が扮し好演しています。

しかし後日再び文哉の前にあらわれた福原は文哉にたいして自分の散歩につきあえば100万円やると切り出すのです。

ロケ地はいずれも見慣れた御馴染みの東京の街並み。
許可なしでゲリラ撮影した学生時代を思い出してなぜか懐かしい感覚が蘇ります。

主人公の2人以外にも小泉今日子はじめ所謂ゆるキャラを演じる出演者たちもにぎやかで楽しい。

やがてお互いの心のすき間を埋め合わせるかのようになりたつ“家族”のすがたを
押し付けがましくなくさらりと表現していて好感がもてました。

☆☆☆★