おもちゃ修理ボランティア活動「おもちゃ病院」を始めて今年で13年。
今までいろんなことがありましたが、いちばん大事だと思ったことはドクター仲間をいかに上達させていくかということ。
その視点で書くと、まずは自分を育て、次に仲間を一人前にし、さらに新たな団体が発生したらそこにノウハウを伝えて自立させていく…その繰り返しでもあります。
まだ可児になく多治見で修行していた時代は先輩ドクターを見よう見真似で自分もスキルを上げていきました…そのときに出た話が今の活動の基礎になったのは言うまでもなし。
まだおもちゃ病院活動が世間一般に知られていなかった時代であり、雑談の時間も比較的多かったですが、実はそれこそが今となっては価値が大きく感じます。
そのときに出た話で今も忠実に守っているのは以下のとおりです。
・借りる場所は活動に理解があり、かつ無料であること。永続するためには金銭的負担が少なくなるようにしないといけない。
今も残っている同種団体に共通して言えることです。そのためか場所も児童館・福祉センターが大半を占めます。
その児童館に理解がなかったり、無料の場所が借りれなかった団体の多くが消滅した事実が全てを物語っています。
・月一回でも会場と時間は変えないこと。これが可児・美濃加茂・関などでも活かされています。
当初の可児は会場都合で幾度か変遷していましたが、その時期は伸び悩んでいた記憶があります。
美濃加茂は場所を変えていないおかげでそんなことはありません。
定期化されていない八百津・第5土曜のため事実上不定期状態の川辺もその課題は克服すべきでしょうね。
・最初の活動場所は死守すべき
これは自分が犯した唯一最大の失敗…しかし第一土曜が業務で出れない・第三土曜が美濃加茂の面倒を見なければいけないなど、事情に振り回されてやむなく脱退せざるを得なかったのでどうしようもありませんが。
しかし自分の住む地域だけでは不公平だという自分のポリシー・この活動を中濃全体に広めるビジョンがあったので、可児にとらわれなかったのは正解だったかもしれません。結果として美濃加茂のみならず七宗・八百津など加茂郡に住んでいるドクターが可児に顔を出しているのでそれはそれで良いかと。
・活動時間は土曜の午前中がベスト
これは自分の担当経験がある大半のおもちゃ病院が該当しています。
多治見の先輩ドクターが実践してきたことで、それが可児の基本フォーマットになり、美濃加茂・八百津・関・飛騨萩原などにも引き継がれていきましたが…関は土曜より日曜のほうが繁盛する例外。
といっても美濃加茂・八百津・飛騨萩原など日曜開催のできない会場はこのフォーマットで成功しています。
…まだ一部ですが思い出せば追加するかもしれません。
その後、可児を設立したときもまだ時間に余裕のある時代だったので雑談しながらノウハウなどを話し合い自分たちで道具や部品についていろいろ語り合う時間を過ごしていました…暇人と思われるかもしれませんが実はそれこそが重要だったのです!
だんだん部品などが揃い始め、新入りドクターに自分たちの経験を語るドクターが増え始めた頃には月1回から月2回体制に移行、さらにいろんなおもちゃに遭遇して経験を磨いていきました。
しかしその頃から自分は土日業務に頻繁に借り出されて欠席が相次ぐ状態に…それが幸か不幸か可児の他のドクターを育てていきました(爆)追い込まれた状況が人を育てたというか。
その後、美濃加茂進出とドクター養成講座を経て美濃加茂おもちゃ病院の顧問に就任…その頃には可児のドクターたちは成熟の域に達し、当時会長だった自分が居なくても自治できる体制が整い我輩からは疎遠になっていきました。
逆に我輩は美濃加茂で新しいドクターたちへの諸々伝授に追われていましたが…これは活動を重ねることと各人に実際に触ってもらうことで何とか克服。やはり予想よりも実際やってみることがドクター育てには必要でした。
もう美濃加茂での体験があるので今後のおもちゃ病院育て・ドクター育てに心配はありません。残りの地域からのオファーにも万全にフォローが打てますので遠慮はいりません。
今までいろんなことがありましたが、いちばん大事だと思ったことはドクター仲間をいかに上達させていくかということ。
その視点で書くと、まずは自分を育て、次に仲間を一人前にし、さらに新たな団体が発生したらそこにノウハウを伝えて自立させていく…その繰り返しでもあります。
まだ可児になく多治見で修行していた時代は先輩ドクターを見よう見真似で自分もスキルを上げていきました…そのときに出た話が今の活動の基礎になったのは言うまでもなし。
まだおもちゃ病院活動が世間一般に知られていなかった時代であり、雑談の時間も比較的多かったですが、実はそれこそが今となっては価値が大きく感じます。
そのときに出た話で今も忠実に守っているのは以下のとおりです。
・借りる場所は活動に理解があり、かつ無料であること。永続するためには金銭的負担が少なくなるようにしないといけない。
今も残っている同種団体に共通して言えることです。そのためか場所も児童館・福祉センターが大半を占めます。
その児童館に理解がなかったり、無料の場所が借りれなかった団体の多くが消滅した事実が全てを物語っています。
・月一回でも会場と時間は変えないこと。これが可児・美濃加茂・関などでも活かされています。
当初の可児は会場都合で幾度か変遷していましたが、その時期は伸び悩んでいた記憶があります。
美濃加茂は場所を変えていないおかげでそんなことはありません。
定期化されていない八百津・第5土曜のため事実上不定期状態の川辺もその課題は克服すべきでしょうね。
・最初の活動場所は死守すべき
これは自分が犯した唯一最大の失敗…しかし第一土曜が業務で出れない・第三土曜が美濃加茂の面倒を見なければいけないなど、事情に振り回されてやむなく脱退せざるを得なかったのでどうしようもありませんが。
しかし自分の住む地域だけでは不公平だという自分のポリシー・この活動を中濃全体に広めるビジョンがあったので、可児にとらわれなかったのは正解だったかもしれません。結果として美濃加茂のみならず七宗・八百津など加茂郡に住んでいるドクターが可児に顔を出しているのでそれはそれで良いかと。
・活動時間は土曜の午前中がベスト
これは自分の担当経験がある大半のおもちゃ病院が該当しています。
多治見の先輩ドクターが実践してきたことで、それが可児の基本フォーマットになり、美濃加茂・八百津・関・飛騨萩原などにも引き継がれていきましたが…関は土曜より日曜のほうが繁盛する例外。
といっても美濃加茂・八百津・飛騨萩原など日曜開催のできない会場はこのフォーマットで成功しています。
…まだ一部ですが思い出せば追加するかもしれません。
その後、可児を設立したときもまだ時間に余裕のある時代だったので雑談しながらノウハウなどを話し合い自分たちで道具や部品についていろいろ語り合う時間を過ごしていました…暇人と思われるかもしれませんが実はそれこそが重要だったのです!
だんだん部品などが揃い始め、新入りドクターに自分たちの経験を語るドクターが増え始めた頃には月1回から月2回体制に移行、さらにいろんなおもちゃに遭遇して経験を磨いていきました。
しかしその頃から自分は土日業務に頻繁に借り出されて欠席が相次ぐ状態に…それが幸か不幸か可児の他のドクターを育てていきました(爆)追い込まれた状況が人を育てたというか。
その後、美濃加茂進出とドクター養成講座を経て美濃加茂おもちゃ病院の顧問に就任…その頃には可児のドクターたちは成熟の域に達し、当時会長だった自分が居なくても自治できる体制が整い我輩からは疎遠になっていきました。
逆に我輩は美濃加茂で新しいドクターたちへの諸々伝授に追われていましたが…これは活動を重ねることと各人に実際に触ってもらうことで何とか克服。やはり予想よりも実際やってみることがドクター育てには必要でした。
もう美濃加茂での体験があるので今後のおもちゃ病院育て・ドクター育てに心配はありません。残りの地域からのオファーにも万全にフォローが打てますので遠慮はいりません。
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