去る5月5日
母平野啓子は御霊となりました。
享年77歳
あまりにも早すぎる死に家族ともども受け入れることに時間が必要でした。
10日祭を終え
50日祭を待つ今
ようやく整理がつきそうなところまできていますが
まだまだいろんな手続きが続きます。
母は日常の生活の中で洗濯中にくも膜下出血を起こしこの世を去りました。
検死の結果、ほぼ即死だったとのことで、たくさん苦しむことなく
母の最期としてはそれなりにいい終わり方だったように思います。
母のことを回想すると
祖母の古賀家との華やかしき思い出
戦争を経験し
戦火を妹二人で命からがら逃げつづけ
2つ目の防空壕にようやく入れてもらった
佐世保大空襲の話
大切な父との小5での死別
それからの兄弟の父親代わりとして全うした成人までの青春期
父との結婚
大牟田での生活
最後まで私の仕事に関わり続けた思い
そして死後に知ることになる母の一面
すべてがひとつになっていま母の全体像を掌握することが出来たように思います。
私自信母親の死がこんなに苦しくて重いものだとは想像することが出来ませんでした。
2016年は私にとってもひとつの節目になったようです。
母が御霊となった頃
私は家族で鳥取の足立美術館にいました。
そこで横山大観の絵に見入っていました。
人間世界の全体観を把握するすぐれた作品の数々に魅了されていました。
今診察室に壁に横山大観の「無我」を飾られています。
この絵はまさに母の魂と交換に授かったものだと認識しています。
お通夜の夜、母の御霊を捜しつづける中、確信したことがありました。
母は大好きだった祖父といっしょに幸せそうな満面の笑顔で
手をつなぎ、並んで眺めのいい場所で景色を観ている情景でした。
今、母は幸せの中にいると確信したひとときでした。
私の母として関わってくれたことに改めてお礼を言わせていただきます。
「ありがとう」
母平野啓子は御霊となりました。
享年77歳
あまりにも早すぎる死に家族ともども受け入れることに時間が必要でした。
10日祭を終え
50日祭を待つ今
ようやく整理がつきそうなところまできていますが
まだまだいろんな手続きが続きます。
母は日常の生活の中で洗濯中にくも膜下出血を起こしこの世を去りました。
検死の結果、ほぼ即死だったとのことで、たくさん苦しむことなく
母の最期としてはそれなりにいい終わり方だったように思います。
母のことを回想すると
祖母の古賀家との華やかしき思い出
戦争を経験し
戦火を妹二人で命からがら逃げつづけ
2つ目の防空壕にようやく入れてもらった
佐世保大空襲の話
大切な父との小5での死別
それからの兄弟の父親代わりとして全うした成人までの青春期
父との結婚
大牟田での生活
最後まで私の仕事に関わり続けた思い
そして死後に知ることになる母の一面
すべてがひとつになっていま母の全体像を掌握することが出来たように思います。
私自信母親の死がこんなに苦しくて重いものだとは想像することが出来ませんでした。
2016年は私にとってもひとつの節目になったようです。
母が御霊となった頃
私は家族で鳥取の足立美術館にいました。
そこで横山大観の絵に見入っていました。
人間世界の全体観を把握するすぐれた作品の数々に魅了されていました。
今診察室に壁に横山大観の「無我」を飾られています。
この絵はまさに母の魂と交換に授かったものだと認識しています。
お通夜の夜、母の御霊を捜しつづける中、確信したことがありました。
母は大好きだった祖父といっしょに幸せそうな満面の笑顔で
手をつなぎ、並んで眺めのいい場所で景色を観ている情景でした。
今、母は幸せの中にいると確信したひとときでした。
私の母として関わってくれたことに改めてお礼を言わせていただきます。
「ありがとう」