姫先生のおめめ

25年間の養護教諭の経験と脳科学、波動理論から引き出すレジリエンス向上について書いています。

本日来室者延べ数 61名

2006年09月11日 | メディアリテラシー

 【2006年の記事】

 このところ、保健室来室者がうなぎのぼり。

 この3年間で、最高記録を突破。

 すばらしいというかなんというか。

 息抜きに来る生徒も多いので、すべて体調不良というわけではないです。

 しかし、今日は、1時間目が始まってすぐから下校時刻ぎりぎりまでの5時半ごろまでひっきりなしの来室でした。

 相談ごとも今日は多かった。

 体調不良しゃもいました。

 軽症ながらけが人もちらほら。

 10分という短い時間になんとまぁ、次から次へくること・・・。

 5時間目の段階で50人をこえ、ちょっと職員室に戻って「ついに今日は50人超えました・・・」といったら、

 他の先生にえらく同情されました・・・。

 全校生徒270名弱で、一日の来室60名ってちょいと多すぎませんかね~。

 受け止める場であっても「甘えの場」にしないようしなければ・・・。

 ひとつひとつの対応が、彼らにとってプラスなのかマイナスなのか。

 それを見極めなくてはならない。

 「してくれた」「してくれなかった」という対応の結果でしか見ることができない生徒もいるが、

 それはそれで仕方がない。

 保健室も、育ちの場のひとつであることにはかわりがない。

 息抜きができて、次へのエネルギーが沸く場であっても、都合のよい場になってしまっては、いけない。

 イイ人になるのは簡単。

 でも、それはある意味では、責任の放棄でもあるのではないか・・・。

 その見極めは、すごくすごく難しいと感じます。


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5 コメント

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Unknown ()
2006-09-16 22:03:05
愛さん、りのさん、ななこさん、こっちゃん。



温かいメッセージをありがとう。



こんなにたくさんの生徒がきてくれる、ということに感謝しなくっちゃ!と思っています。



そして、こんなすてきなメッセージをいただけることも!
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とことん (こっちゃん)
2006-09-13 13:33:05
言葉のマジックではなく、とことんいい人になっちゃうと、ただ単に利用しようっていう生徒は、自分でブレーキかけてくれませんか?まぁ もっともとことんいい人やっちゃうと、自分のエネルギーが枯渇して 精神的に破綻をきたしますけど。エネルギーさえ充電できればそれもできるのではないかと。手のかかる子というか手をかけさせる子こそが、いてくれた してくれた いてくれなかった してくれなかったで最初は捉えちゃうと思うものですから
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同感です・・・ (ななこ)
2006-09-13 10:30:31
はじめまして。

私は高校で養護教諭をしています。

2年目になり、学校現場の様々な現実が少し見えてきたように感じています。



全く同じことを、私も日々思っています。

読んでほっとしました。

見極めを間違うと本当に大変ですよね。。。

生徒が崩れるし、周りが引っ張りこまれたりもしますよね。

責任を大きく感じます。

イイ人になるのは本当に簡単ですよね。

生徒にはなかなかそれを分かってもらえなくて

つらく感じることもあります。

「生徒の生きる力を信じること」という愛和人さんのコメントにも同感です。

ひっきりなしにやってくる生徒の「負の感情」を、朝から夕方まで受け止めていると

精神的にものすごく消耗します。

自分自身の精神状態をコントロールするのに大変です。



「養護教諭=カウンセラーではない」という意見も、ずっと感じてきてはいたけれど、

誰にもいえなかったことでした。

他の教員の先生方が、その役割を養護教諭に期待していることが分かるからです。

「その期待に応えなくてはいけない」という気持ちと、

「それは養護教諭としてどうすればいいのか?応えることはどうなんだろう?」

という気持ちを抱えつつうやむやになっています。



なんだかだらだらと綴ってしまいましたが

先生の記事をみて、

自分の気持ちを少し整理できました。

ありがとうございました。





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多いですね~ (りの)
2006-09-12 22:41:36
びっくりする数字でした。



たしかに外に甘えたり、相談相手を求めてくる人は

とても多いですね…。



私もただのいい人にならないように

畑は違いますが、改めて気を引き締めます('◇')ゞ
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生徒の気持ち (愛 和人)
2006-09-12 21:54:39
生徒自身が口にはできない、無意識の声にまで注意しようとすると、受け入れすぎの罠に陥ることがありますよね。



その罠には散々嵌ってきたんです、僕(^^ゞ



今思うに、生徒の生きる強さを信じていなかったなと。

彼らの生きる力を信頼するところから意念すると、コミュニケーションは好転するんですね。





指導者が大人の無理解に苦しめられた経験を持っていると、その指導者は子どもに対して過敏な注意をしてしまうんですね。

それも実はありのままの子どもを見ていないんです。





僕の過去の失敗が整理できました。

いい機会をくださってありがとうございます。
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