【2006年の記事】
このところ、保健室来室者がうなぎのぼり。
この3年間で、最高記録を突破。
すばらしいというかなんというか。
息抜きに来る生徒も多いので、すべて体調不良というわけではないです。
しかし、今日は、1時間目が始まってすぐから下校時刻ぎりぎりまでの5時半ごろまでひっきりなしの来室でした。
相談ごとも今日は多かった。
体調不良しゃもいました。
軽症ながらけが人もちらほら。
10分という短い時間になんとまぁ、次から次へくること・・・。
5時間目の段階で50人をこえ、ちょっと職員室に戻って「ついに今日は50人超えました・・・」といったら、
他の先生にえらく同情されました・・・。
全校生徒270名弱で、一日の来室60名ってちょいと多すぎませんかね~。
受け止める場であっても「甘えの場」にしないようしなければ・・・。
ひとつひとつの対応が、彼らにとってプラスなのかマイナスなのか。
それを見極めなくてはならない。
「してくれた」「してくれなかった」という対応の結果でしか見ることができない生徒もいるが、
それはそれで仕方がない。
保健室も、育ちの場のひとつであることにはかわりがない。
息抜きができて、次へのエネルギーが沸く場であっても、都合のよい場になってしまっては、いけない。
イイ人になるのは簡単。
でも、それはある意味では、責任の放棄でもあるのではないか・・・。
その見極めは、すごくすごく難しいと感じます。
温かいメッセージをありがとう。
こんなにたくさんの生徒がきてくれる、ということに感謝しなくっちゃ!と思っています。
そして、こんなすてきなメッセージをいただけることも!
私は高校で養護教諭をしています。
2年目になり、学校現場の様々な現実が少し見えてきたように感じています。
全く同じことを、私も日々思っています。
読んでほっとしました。
見極めを間違うと本当に大変ですよね。。。
生徒が崩れるし、周りが引っ張りこまれたりもしますよね。
責任を大きく感じます。
イイ人になるのは本当に簡単ですよね。
生徒にはなかなかそれを分かってもらえなくて
つらく感じることもあります。
「生徒の生きる力を信じること」という愛和人さんのコメントにも同感です。
ひっきりなしにやってくる生徒の「負の感情」を、朝から夕方まで受け止めていると
精神的にものすごく消耗します。
自分自身の精神状態をコントロールするのに大変です。
「養護教諭=カウンセラーではない」という意見も、ずっと感じてきてはいたけれど、
誰にもいえなかったことでした。
他の教員の先生方が、その役割を養護教諭に期待していることが分かるからです。
「その期待に応えなくてはいけない」という気持ちと、
「それは養護教諭としてどうすればいいのか?応えることはどうなんだろう?」
という気持ちを抱えつつうやむやになっています。
なんだかだらだらと綴ってしまいましたが
先生の記事をみて、
自分の気持ちを少し整理できました。
ありがとうございました。
たしかに外に甘えたり、相談相手を求めてくる人は
とても多いですね…。
私もただのいい人にならないように
畑は違いますが、改めて気を引き締めます('◇')ゞ
その罠には散々嵌ってきたんです、僕(^^ゞ
今思うに、生徒の生きる強さを信じていなかったなと。
彼らの生きる力を信頼するところから意念すると、コミュニケーションは好転するんですね。
指導者が大人の無理解に苦しめられた経験を持っていると、その指導者は子どもに対して過敏な注意をしてしまうんですね。
それも実はありのままの子どもを見ていないんです。
僕の過去の失敗が整理できました。
いい機会をくださってありがとうございます。