ひきみ自慢

島根県益田市の匹見地域を、自然、くらし、観光、特産品、その他もろもろ紹介しながら、地元自慢するブログです。

映画「森聞き」の柴田監督が匹見に来られました

2012-04-25 | 森林・林業・木工

今年の1月に、益田市のグラントワで「森聞き」という映画が上映されました。
吉賀の若者たちが企画したもの(森の声をきく会 映画「森聞き」益田上映実行委員会)で、多くの人の来場と感動を得て大成功の内に終わりました。
「ひめゆり」で有名なプロダクション・エイシアの柴田昌平監督の作品です。

この映画は、高校生たちが各地のお年寄りに、森や自然の恵みを頂きながら生活をしてきた日本の伝統的な暮らしについて聞いたことを書き起こす、「聞き書き甲子園」という活動を映像化したものです。

雪の北海道から九州の椎葉村など各地に都会の高校生が行って、現地のお年寄りと生活を共にし、作業を手伝わせてもらいながら、生きることはどういうことなのか、自然の恵みを頂きながら暮らすこととはどういうことなのか、話を聞きます。
厳しい自然の中で暮らし抜いてきたお年寄りたちの言葉に、高校生たちの意識に何かが萌芽したことが解る良い映画でした。
さらに映画は、我々にこれからどう生きるべきなのかを問いかけてきます。
今も日本各地で映画が自主上映されています。

さて、その柴田監督は、益田での上映の際に、九州の椎葉村で焼畑農業の達人の取材活動中だったのを、わざわざ益田まで飛んでこられて来場者にあいさつされました。
その時のご縁で、過疎と言う言葉の発祥地である西石見地方に興味を持たれ、改めてどの様なところかと19日から24日まで各地をまわられました。

19日の午後、吉賀暮らし相談員から、今年、吉賀高校の先生になった山口氏(千葉出身:元ウガンダ青年海外協力隊)の案内で、匹見・三葛のワサビ栽培の名人、小川氏と宮川氏を伺い、匹見上公民館では、紙漉きや林業、そして縄文からの匹見の歴史の説明を受け、さらに内石の山の達人、籾山一男氏の元へ行きました。
そして、夜は石谷の奥、上内谷の村上峰雄さん、巴さん夫婦の民泊(内谷とちの郷)に泊まって、匹見の山料理を堪能するとともに、中山間地域での暮らしや地域おこしのことについて地元の人に話を聞かれました。

翌朝は、石谷の猟師、渡里勝廣氏宅に伺い、焼畑など昔の写真を見せて貰いながら楮三椏栽培をしていた頃の話や石積みの説明などを受けました。



その後、柿木の無農薬有機栽培農業30年の立役者、福原氏のところや弥栄にも回られたそうです。

柴田監督のメイルに、
>なるべく既存の価値観にとらわれないで
>ただ「過疎発祥地」と「50年」ということだけを入口にし
>日本の過去と未来を見つめてみる、
>という映像的な試みが成立しうるかどうかを調査に行きたいという意図です。
と、ありましたが、西石見地方にどの様な印象を持たれたのでしょうか。

高齢化率と森林率ばかりが高い、この匹見の未来は今後どうなるのでしょう。
先年も澄川地区で8400年前と3500年前の遺跡が同時に発掘されましたが、縄文の早期から弥生、古墳時代まで連綿と人の暮らしが続いて来た匹見の地において今後出来ることはどんな事でしょう。

近隣の地域では、自然農法や森林保全活動が、都市部からIターンした若者たちによって盛んに行われています。
また、日本中で、映画「森聞き」が盛んに上映されるその原動力は何なのでしょうか。

1万年以上、大きな戦いが無かったと言われる縄文時代。
世界中どこにも無かった平和な生活が、この匹見の山にも記録されているのです。

貨幣経済に翻弄された戦後の生活はこの匹見にも影響を及ぼした訳ですが、現在の世界経済の崩壊と天候異変は、その基盤を揺るがしつつあります。

縄文の時代から続いてきた助け合い、互助の精神が残るこの匹見が出来ることはどの様な事でしょうか。
実は凄い宝が沢山残っている事に皆さんは気づいておられるでしょうか。
時代は確実に変わってしまいました。きっと後になって大きな転換点だったことが理解されるでしょう。
その様な中、民族文化研究映像作家の系譜であられる柴田監督が匹見に来られたのも、何かシンクロするものが感じられませんか。  (匹見下地区振興センター T)



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