谷渓谷

かんちゃそ谷のさらに奥底。「ハードコアで子供達に笑顔を」FOXYUN RECORDSの提供でお送りします。

日記を消せない

2006-03-03 16:44:59 | Weblog
しょっちゅう何か書いた後で「あー余計な事書いちゃったな」と思うのですが、あえて後から消したりはしません。実生活でも一言多いタイプ。あはは。火種をたくさん抱えてるぜ!

マイナー志向なので、特にメジャーなものに迎合するような事があまり好きではなく、それを批判するような事を書いてしまう。多勢に無勢なので叩かれたらすぐに消えてしまいますが。でもまあそれがスタンス。

例えば、個人的に漫画を良く読みますが、漫画の神様と良く言われる手塚治虫はあまり好きではありません。あまり読んだ事無いというのもあるけど。もし自分の好きな漫画家が「尊敬する漫画家は手塚治虫です」と言ったとしても、その考え方は変わらない。

まあなんというか趣向の違いと言うのは必ずあるものなので、その辺はテキトーに受け流して下さいよという事でしょうか。それが人間交差点。


以下、書いてて思いついた蛇足。

そんなひねた性格なので政党や宗教、多目的な団体の類もあまり好きでは無いです。
対個人でさえ考え方の違いというのは必ずあるのに、それが対団体となればそれこそ考え方は千差万別な集合体。全ての考え方が一致する訳は無い。
昔は情報格差が著しくあって、知識の豊富な人物が主導する事によって社会が成り立ってきた訳だけど、今は多くの情報が個人で得られる状態で自分の価値観で何事も判断する事が可能です。正しい情報を得られるかどうかは難しいですが。情報多すぎで脳が病んでくる感じもします。あはは。

そういえば昨夜何気にNHKを見ていたら、スリランカのある地域で、仏教・イスラム教・ヒンズー教・キリスト教の人たちが一斉に集まって一昨年の大津波の追悼祭を開いたという話題をやっていた。同国内の他地域でさえ衝突が絶えないのに、この地域の人たちは宗派を超えて祈りを捧げていたのでした。津波のあった時間には騒がしい町の広場まで静寂に包まれてちょっと感動しました。

地球上全てが情報社会になって知識の格差が無くなれば、宗教って無くなってしまうんですかね。文化の違いというのはあって当然なので宗教は残ってもいいけど、衝突だけ綺麗に消えてくれると一番良いのですが。
まあ各地で衝突が耐えないというのは、地球の定員が既にオーバーしているという事もあるのかもしれない。人は増えすぎたのだろうか。

ほれみろ!。余計な事書いたけど消せないじゃないか!!