谷渓谷

かんちゃそ谷のさらに奥底。「ハードコアで子供達に笑顔を」FOXYUN RECORDSの提供でお送りします。

仙台駅前ゲーセン事情3~ダウンタウン閉店編

2008-02-27 23:59:59 | Weblog
2008年2月26日。仙台駅前アーケード街からまた一つのゲームセンターが姿を消した。

正確にはプレイランドダウンタウン。最初はP/L(プレイランド)ファンタジーという名前だったようで、さらに昔は喫茶店だったようだ。喫茶店→テーブル筐体→インベーダーの流れの王道ですね。三十路過ぎ世代がが中学生さらには小学生の頃からお世話になったゲームセンターが閉店を迎えた訳です。

当日19:00ごろにダウンタウンに到着すると、事前の予想を覆して店頭には若者があふれかえっており、さらには店内も若者でごったがえしていた。、、、甘かった。ダウンタウンはこんなにも今のゲーム世代に愛されていたのかと驚きつつ、このようなダウンタウンを最後に目に焼き付ける事が出来たのが素直に嬉しかった。

2005年9月30日に閉店した駅前キャロット以降、ドリーム、地下セガと次々に名掛丁からゲーセンが消えたが、今回はキャロット閉店と同じような感覚を覚えた。良く考えてみると、中学~20代前半を過ごしたゲーセンがまた一つ姿を消したと共に、実は仙台駅前で思い入れのあるゲーセンはダウンタウンで最後だったのである。その事を思い出して、また少し感慨にふけってみたりする。

ダウンタウンは学生時代よりも、就職後間もない頃のいわゆる「オフ会」で良く集合場所になった。店内でそんなにゲームに打ち込んだ訳ではなく「じゃあダウンタウンで」というのが合言葉になり友人らが常に集っていた時期があった。しかしそれも数年で、筆者はポップンミュージック3辺りを境にゲーセンからは足が遠のき、おのずとダウンタウンにも足を向ける事が無くなった。幸いな事に、元店員さんと仲良くなっていたので、趣味のレイブのチラシを置かせてもらいに行ったりはしていたので、かろうじての所でダウンタウンとの縁は切れずにいた状態というのが正直な所。一時は我が家のスノーブラザーズも設置してもらったりもしていた。

話を現在に戻すと、その後しばらくは地下1階の飲み屋で三十路過ぎの3人で内情やレゲートークをし、このビル毎無くなるのでこのうまいゲソ揚げも最後だねーなどと語り、23:00に店を出て再度ダウンタウンへ。店内は別れを惜しむ若者が相変わらずゲームをプレイしていたが、その時間になっても我々と同世代の三十路過ぎがわんさかと集う事は無かった。この点は2005年のキャロット閉店の時とは違っていたが、そこはダウンタウンが音ゲーで生き残りを図っていたのだという表れなんだろうなと、元店員さんの話からも分かったるような気がした。

お客さんが輪になって見つめる最後のドラムマニアセッションが終わり、店員・店長・元店員の挨拶が終わり、店を出ると最後にドラムセッションをしていた常連さん号泣。それだけの思い入れが彼らにはあったのです。そんな彼らの情熱に答えていたゲーセンを支えていたのは、店員さん達の日ごろの活躍と地道なメンテナンスの賜物だったのです。後から元店員さんの日記を見てホロリとしたよ。



店頭で常連さんの記念撮影が終わったのは1:00近かった。少数の三十路過ぎチームは遠巻きに目を細めながら見ていました。当日撮影したデジカメ画像があるのでもしもココを読んだ方がいたら適当に連絡もらえればおすそ分けします。ミクスィで検索してみて。

「これで街中で集合場所に出来るゲーセンは無くなっちゃったね」。そんな会話をしながら、これからの仙台のゲーセン業界に思いをはせるのでありました。



きめんさん、元店員さん、色々とお世話になりました。
ミクスィ日記を加筆修正してあります。

仙台駅前ゲーセン事情2

2008-02-25 14:24:32 | Weblog
2月26日で仙台駅前(西口)アーケード街名掛丁にあるダウンタウンが閉店になります。
今回は事前に情報を察知済みかつ色々予定があるので駆けつける所存。詳細はこちらに追記したいと思います。

ドリーム、よもやのハイテクセガ、そしてダウンタウンと相次ぎ閉店の2007年度。
残すは、金ちゃん、ZOOOP!、エフワン。これらを見られるのはいつまでになるのだろうか。

再開発は嬉しい気もするが、最近は器だけが変わって中身が目新しいものが何もできないんですよね。他の都市圏の2番煎じ的なテナント方式ばかりでワクワクドキドキしません。よって「無くなってしまって残念」という思いの方が強くなってしまうのです。三十路を過ぎたオッサンだからこう思っちゃうのかもしれませんが。

LANTANKディスク障害

2008-02-20 10:36:23 | Weblog
2005年7月に導入したLANTANK。RAID1のミラーリング構成でこれまで順調に動いてきていたが、何度かシステムディスク側(hda)のRAID領域が外れたりしていた。
気づいた度に再構成を実行してきたが、先日ディスクの一部にエラーが出ている事に気づいた。何気なくシステムのログを見ていたら、エラーを吐いていたのだった。

利用上は問題が見られなかったし、発見した2月初旬はリカバリに時間を取られるのが惜しい時期だったので対応を先延ばしにしていたら、2月16日(土)の夜に遂にシステム領域にロックがかかってしまいシステムを停止せざるを得なくなった。上京前日にこんな仕打ちって!

幸いバックアップ用に同程度の容量のディスクは1台あったので、それを使ってイメージコピーできれば即リカバリできるかもしれんと、淡い期待をしたのだが、それも儚く散った。

元々LANTANKのバックアップ用に買ったHDを外付USBケースに入れていたのだが、いざリカバリに使おうと、中に入っていたデータを退避しようとしたら、あれよあれよとファイルが読み込めなくなっていき最後には認識すらできなくなった。さらには恐怖のカツンカツン音まで鳴り出してしまったのだ。半分くらいはどうでも良いデータだったのだが、残りは10年くらい職場で肥やした個人的なデータを退避してきたもので、正直ディスクがカツンカツン言い出した瞬間は涙目になっていただろう。

2時間ほどあれこれした結果、その日の対応は無理という事でLANTANK停止のままで日月と1泊2日で上京した。

月曜の帰宅時にHDを買って帰り、外しておいたhdaからイメージ吸出し即復旧~と思ったらCRCエラーでこれも断念。データ領域はもう一方のhdbにあるのだが、LANTANKのシステム領域はRAID構成になっていないので再セットアップが確定。上京疲れも多少あるのでいさぎよく寝る。

そして障害から3日目。ようやくシステムの再セットアップを行い、LANTANKそのものの機能は回復した。再セットアップしたディスクが元より少し大きいものなので、hda3のパーティションを切り直してから、RAID構成のリカバリという事になる。

が、どうせならこの機会にシステム領域もRAID構成に含めてしまえないかとか、カーネル2.6にしてしまえないかとか考え中。だが復旧を急ぐならそれはまた今度。
hda3を解放して小さく切り直すと、20GBくらい余るので、そこにhdb4としてカーネル2.6の領域を作るという手もありますな。いよいよ少し前に買ったUSB接続のシリアルキットが活躍、、、できるだろうか!?

hdaのシステム領域から救えるものは救うという対応もあるなー。/homeとか。