小説を、批評を、戯曲を書くことは、
贋金を作ることにほかならない。
まったく個人的に、独自の貨幣を作り、
その輝きで純金を脅かし、通貨体系を揺るがす。
それが文学だ。(福田和也)
これはマジでいい言葉ですね。
. . . 本文を読む
日本人が科学技術の表面的な受容と円滑な運用のみにかまけ、
その技術の核たる思想、
技術をゼロから立ち上げる思想を持たなかったことが
今回の原発事故を生んだ。
「技術の思想」の欠如は、
ロボットに「かっこよさ」のみを求める
アニメ製作者の思考にもあてはまる。
訴えかける核を持たない日本アニメは、
その表層を細緻に描き込み磨きあげることで
「極東の島国の珍なる文化」として世界に地位を獲得した。
. . . 本文を読む
パルミジャニーノ(1503‐1540)
37歳で死んだ画家。
本名ジローラモ・フランチェスコ・マリア・マッツォーラ。
長い。
ベルナール・パルメジャーニ(1927‐)
Bernard Parmegiani: Hors Phase (1972)
パリ生まれ。電気音響音楽の作曲家。
現在84歳でまだご存命。
. . . 本文を読む
ヘミングウェイとフォークナーって
ほとんど同い年で、
ヘミングウェイの方が先に売れっ子作家になって、
フォークナーは結構長い間
ヘミングウェイの模倣を続けていたらしい。
ヘミングウェイ
「おれ、フォークナーより売れちゃってるけどさ、
あいつの方が断然評価されるに値すると思うんだよね・・・」
↓
〈フォークナー氏、ノーベル賞受賞!〉
↓
ヘミングウェイ「いや、フォークナーちょっと過大評価 . . . 本文を読む
「傷というのは物語に入る入口なんです。
出口でもあるし。
そして物語ができた時に傷は癒されるわけです。
あまり傷のない人は幸福に生きられるから、
周りが傷つくんじゃないでしょうかね(笑)。」
(河合隼雄と村上春樹の対談「現代の物語とは何か」より)
物語を書くことは、
自分の「傷」を癒すこと。
じゃあ「傷」とは何か。
たとえば、
「自分は傷ついてる」
と思い込んでる人ってのに
ときどき . . . 本文を読む
宇野 (…)だから、僕が
ももいろクローバーZかAKBかでAKB派なのは、
ももクロは「彼女たちがんばっているね」というベタに身体の快楽なんです。
それに対してAKBというのは
濱野智史さん風に言うと身体+アーキテクチャーなわけです。
千葉 なるほど。
AKBには、身体に対する素朴な信ではなくて、
身体をどうやって再構築するかというテーマがある。
宇野 身体性を増幅させるシステムを秋元康が構 . . . 本文を読む
破壊的性格は、
ただひとつのスローガンしか知らない
――〈場所を作り出せ〉。
そして、ただひとつの活動しか知らない
――〈何もかも取り除いてしまうこと〉。
破壊的性格のもつ欲求、
新鮮な空気と自由に使える空間への欲求は、
どんな憎しみよりも深い。
(ベンヤミン『破壊的性格』より)
*****
新町問題は
誰の「破壊的性格」によるものか
という問いよりも、
なぜ「破壊的性格」が生まれてし . . . 本文を読む
ディオゲネスってソクラテスの弟子だったんか!
プラトン(前428年生まれ)、
ディオゲネス(前400年生まれ)。
まさかの同時代人。。。
ということは、
プラトンが部屋にこもってソクラテスに関する妄想を膨らましてる間に、
ディオゲネスは公衆の面前で性行為をしてたわけか・・・
同じ師匠からこんだけ極端なリア充と非リアが生まれるってすごいな。 . . . 本文を読む
一方で「成熟」は、名を引き受けて、
名との葛藤を耐えていくことである。
他方で「変身」は、
名の枠組みから少なくとも半歩離れて、
自分のイメージが変わるたびに
その都度のイメージを肯定することである。
(宇野常寛+千葉雅也《対談》「成熟から変身へ」より)
たとえば「同志社大学の学部生」とか。
たとえば「23歳の男」とか。
たとえば「関西人」とか。
ぼくらはいろんな「名前」を持ってる。 . . . 本文を読む
音楽というのを、
「テクスト」と不可分に結びついてるもの
として考えたくなる。
そんな時がある。
「テクスト」というのはつまり、
音楽〈外〉にあるすべての読まれるもの
ということです。
このことを前提にすると、
音楽という活動は
「テクストをいかに読むか」
という方法を「音楽的に」考える、
そういうものとして捉えられる。
つまり、
音楽というのは当然「聴くもの」なんだけど、
それだけじゃなく . . . 本文を読む
音楽とテクストの関係に興味があります。
たとえば
「音楽は音楽そのもので聴かれなければならない」
という絶対(純粋)音楽主義みたいな人がいる。
テクストのような音楽〈外〉の要素は邪魔でしかない
と考えてる人。
まあ、ぼくが想定しているのは、自分のことなんですが。
中学生の頃、ぼくは歌詞があるというだけで
ある種の音楽を嫌悪していました。
当時スピッツが好きだったんですが、
それはサウンドが良 . . . 本文を読む
ファド(ポルトガルの歌謡曲)の女王アマリア・ロドリゲス。
日本で言うところの美空ひばりか。
エディット・ピアフといい、
この時代は力強い歌声のオバサンがたくさんいた。
エディット・ピアフ(1915年生まれ)、
アマリア・ロドリゲス(1920年生まれ)、
美空ひばり(1937年生まれ)
・・・なんか、ほんと
「立て続け」って感じに生まれてるんだなぁ。。。
イタリアの女性歌手と言えば
マリア・カ . . . 本文を読む
聞くことについての叙情的な瞑想の中で、
ジャン=リュック・ナンシーは
人間の身体との関係から音を考察していく。
ナンシーは、
〈聞く〉ということに興味があったので、
人間の体と音がどういう関係にあるのか、
ということから考えることにしました。
聞くこと〔listening〕は聴くこと〔hearing〕と
どう違うのだろうか?
聞くことの必要条件とは?
聞かれたものは見られたものとはどう区別す . . . 本文を読む
「社会は、邪悪である方が好都合であるような状況のなかに
たえず私たちをおく。
虚栄心によって、私たちは、
自分たちが生まれつき邪悪であると信じようとする。
しかし真実はもっと手におえない。
私たちは、それと知らずに、
それに気づきさえしないうちに、邪悪になる。」
ドゥルーズの論考
「カフカ、セリーヌ、ポンジュの先駆者、ジャン=ジャック・ルソー」
からの引用でした。
自分の過去について話したが . . . 本文を読む
エレクトロアコースティックの歴史を考えてみると、歴史とエレクトロアコースティックの定義が必要になってきます。前者はここでの目的を超え出てしまいますが、後者は技術の理念と音楽への美学的なアプローチを含んだ定義となります。そういうわけで、技術の理念に関する歴史と、音楽美学に関する歴史を分析することで、エレクトロアコースティックにふたつの異なった歴史を見いだせるのです。つまり、不協和音の果たしてきた役割と、ノイズという概念とを、指標にすることで、ふたつの異なる歴史がそれぞれの過去とともにあらわれてくるわけです。 . . . 本文を読む