〈表現形式〉と〈表現内容〉というのは
芸術においてよく話題にされるものの一つですが、
やはり「芸術」「天才」という概念が成立した
18~19世紀以降、
〈形式〉はあくまでも〈表現〉のための手段でしかない
という考え方が支配的のようです。
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世界は
ある幼い神が創ろうとして果たさなかった
最初の試作品である。
彼は自らの半端な仕事ぶりを恥じて
投げ出してしまったのだ。
それとも、
それは半人前で二流の神の作品で、
先輩たちの嘲笑の的になったものだ。
さもなければ、
それは年寄って耄碌したヨボヨボ神の製品で、
その神の死後もまだ生き残っている……。
(ヒューム『自然宗教に関する対話』より)
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世界の不完全 . . . 本文を読む
じつは連載の時、
僕は一人のキャラクターに
かなりいろいろ悩ませてしまっていたんです。
そうすると、みんな同じ悩みを抱えるようになる。
当たり前です。
だってみんな僕の分身でしかないんだから。
で、これはよくないと思って、
単行本では大修正をしたんですよね。
そのとき、何をやったかというと、
要はキャラクターを当てはめるということなんです。
こいつはこれしか考えてないことにしよう、
あいつはそ . . . 本文を読む
『遊びと人間』
フランスの思想家、
ロジェ・カイヨワによると、
遊びには4つの要素があるという。
1.アゴン Agon (競争)
2.アレア Alea (運)
3.イリンクス Ilinx (眩暈)
4.ミミクリ Mimicry (模擬)
「競争」、「運」は
まだ分かりやすいと思うけど、
「模擬」というのは、
たとえばオママゴトみたいなもの。
何かになりきる遊び。
「眩暈」は、
カ . . . 本文を読む
また、罪の文化では、
罪を犯したものはそれを告白することで
心の重荷を下ろす。
しかし、恥の文化では、
罪を告白しても心は軽くならない、
それどころか悪い行いが世間に知れない限り、
心は悩まないのです。
(http://www.wa.commufa.jp/~anknak/a-kotowaza-12-tsumi.htm)
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日本の「私小説」というジャンルは、
基本的に「告白」をす . . . 本文を読む
対社会という意味では、
自分は文学者だと思っています。
そして、今の世の中では、
俺は本当にマイノリティに属してるんだな
と思うんです。
で、マイノリティの重要さ
というのを確信すればするほど、
いかにマジョリティに対して
戦略的にアプローチするかってことを
考えざるをえないんですね。
啓蒙主義的に
「マイノリティのことを尊重しなさい」
とか言っても意味がないし、
そういう中で、マーケットに . . . 本文を読む
『○○入門』という新書がよくある。
ニーチェ入門
精神分析入門
行動心理学入門
日本近代文学入門
イギリス経済学入門
ドラッカー経営学入門
日本憲法入門
合気道入門
・・・
「日本人はやたらと入門書が好き」
みたいな話を、
どっかで聞いたことがあるんだけど、
入門書だけ読んで、
結局、現物には一生当たることがない。
なぜか?
はっきり言って、
この手の新書 . . . 本文を読む
例えば今も僕たちはカントを読みますね。
カントの思想それ自体は
単に非科学的だったりするのに、
今も読めるのは、
つまりはその後の二世紀の哲学が
カントが作ったコンテクストでの内部で
動いているからです。
だからアクチュアリティがある。
けれども、カントと同世代にいた人間は、
単純に生き残ってないので、
時代を越えて読み直すコンテクストが
もう作れないわけです。
そのコンテクストを
複数化する . . . 本文を読む
そしてこの時期に「推理小説」が生じた背景として、
笠井は第一次世界大戦で生じた
数百万単位の「無意味な死」という事態を挙げ、
戦場にはならなかったアメリカとイギリスでは
特権化された「死」を演出する「本格推理小説」を、
実際に戦場となったドイツでは
ハイデガーの死の哲学と
作品ではなくベンヤミンらの推理小説評論を
生み出したとしている。[笠井;1995,1996]
(吉野ヒロ子 犯人は告白する . . . 本文を読む
ドストエフスキーが死んだのは
1881年の1月9日。
それはなんか、なんとなく知ってた気がする。
けど、画家クラムスコイが、
彼の死に顔をスケッチしてたとは知らなかった。
クラムスコイは、
その頃のロシアの権威主義的な画壇に反発して、
生涯、「ふつうの人」しか描かなかった。
もちろんドストエフスキーは天才だ。
けど、この死に顔は、
天才である前に、
彼もまた「ふつうの人」だった . . . 本文を読む
読んでいる間だけ、
自分の中で発生する何かが重要だともいう。
それは、
「なぜおれはこんな本を読んでいるんだ」
という、身もふたもない問いかけだ。
「自分と向かい合うこと。
世界は簡単な輪郭で描けるものではないという、
分からなさ自体を分かるということです」
(宮沢章夫さんと読む「資本論」(上) BOOK asahi.com http://goo.gl/xSO3Z)
「世 . . . 本文を読む
認知的不協和
現実と願望との間で、
矛盾が生じたりした場合に、
「それは意味のあることなのだ」
と、現実を捻じ曲げてでも理由付けをし、
肯定しようとする「精神防衛機構」のこと。
だそうな。
↓ここの文章で初めて知った。
(自殺しない回路 http://jrptls.web.fc2.com/column/005.html)
「認知」というのは、
「物事を把握すること」みたいな意味 . . . 本文を読む
身体の中で最もエロティックなのは、
衣服が口を開けている所ではなかろうか。
(ロラン・バルト『テクストの快楽』より)
ここだけ読むと、
バルトがものすごいエロオヤジみたいだけど、
別にそういうわけではない(いや分からないけど)。
『テクストの快楽』というタイトルからも分かるように、
バルトが語ろうとしているのは、
〈快楽そのもの〉であって、
〈快楽に身を任せること〉ではないからだ。
ここ . . . 本文を読む
一つの文明が繁栄している時には必ず分業化が進みます。
繁栄している時というのは、価値観も社会システムも文化も定まっています。
身分や収入も安定しています。つまり変化は必要ありません。
変化がない時には、なるべく細かく分業して励みます。
その方が楽だし、効率が良いからです。
分業化するほど一人の人が出来る仕事は狭くなりますから、
他人への依存度は高まり、経済は大きくなります。
仕事だけではなく、 . . . 本文を読む
「自分には○○が必要なんだけど今はそれが足りてない」
っていうのを、
カッコイイ言い訳みたいにして使うのはやめてほしい。
「単にそういうことがしたくないだけじゃないの?」
っていう、意地悪な気持ちになってしまう。
. . . 本文を読む