じつは連載の時、
僕は一人のキャラクターに
かなりいろいろ悩ませてしまっていたんです。
そうすると、みんな同じ悩みを抱えるようになる。
当たり前です。
だってみんな僕の分身でしかないんだから。
で、これはよくないと思って、
単行本では大修正をしたんですよね。
そのとき、何をやったかというと、
要はキャラクターを当てはめるということなんです。
こいつはこれしか考えてないことにしよう、
あいつはそれしか考えていないことにしよう、
とそう割り切った。
なるほど、小説を書くというのは
こういうことなんだなと思ったんです。
人物に悩ませようと思ったら
いくらでも悩ませられる。
しかし、それこそ恋愛でいえば、
このひとが好きかもしれないし嫌いかもしれない。
そもそも僕は好きという感情がわからない……
みたいなことばっかり考えていたら、
リアルかもしれないけど物語は始まらないわけで、
その時にあるひとつのキャラクターを設定し、
責任を与えることで、ようやく物語は動き出す。
ある人物についての情報量が多過ぎる中で、
それをそのまま提示しても
読者が受け止められないというときに、
どう縮減するか。
その縮減のしかたの一つとして、
キャラクターというのがあるんだと思うんですね。
(【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎 http://www.shinchosha.co.jp/shincho/201001_talk03.html)
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情報の量をあえて制限してやる。
そのさじ加減。
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『発達障害当事者研究』(医学書院)という本を読んで、
小説を考える上ですごく興味深かったんです。
著者は自閉症なんですが
普通の人はお昼頃にお腹がグーと鳴ったら、
空腹を感じてご飯を食べるけど、
その人は、お腹のあたりに何か違和感があったり、
なんとなくボーッとするとか、血の気が引くとか、
そういう情報が一挙に殺到した時に、
それを空腹という判断にうまく統合できないんですね。
等価的に、バラバラのまま受け取ってしまう。
(同上)
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「空腹という判断」に統合すること。
複数の要素をひとりのキャラクターに統合すること。
「等価的」にならないように、
あえて偏りを持たすこと。