はじめに
ふと、こんなことを思った。
ぼくは今年、
どんな本を、どれだけ読んだんだろ。
そこで、ツイッターでつぶやいた
本に関するツイートを調べて、
ブログにまとめてみることにした。
基本的につぶやいた日時と、
つぶやいた内容を集めて、
月ごとにコメントをつける
(月の横に読んだ作品の数を示します)
という形を取ることにしたので、
他の人が読んで面白いかどうかは微妙ですが、
まあ、始めま . . . 本文を読む
すべては、伝統的な隠者の虚像、
あるいはそれと西洋伝来の芸術家の姿とを
二重焼付したものを、
愚直に、ないし必死に、
真似ようとした結果にすぎないのだ。
(丸谷才一『横しぐれ』より)
小説の文脈は、
種田山頭火という俳人についての考察なんだけど、
もっと広く、
「日本の芸術家」像に
当てはめられる一文だと思う。
「伝統的な隠者」+「西洋伝来の芸術家の姿」
=「日本の芸術家」
. . . 本文を読む
ニミットは両方の手のひらをさつきに向けた。そして強く首を振った。「ドクター、お願いです。私にはそれ以上何も言ってはいけません。あの女が申し上げたように、夢をお待ちなさい。あなたのお気持ちはわかりますが、いったん言葉にしてしまうと、それは嘘になります」
さつきは言葉を飲み込み、黙って目を閉じた。大きく息を吸い込み、吐き出した。
「夢を待つのです、ドクター」とニミットは言い聞かせるように優しく言 . . . 本文を読む
Twilogで自分のツイートを読み返してると、
面白いな、これはTLの中で流されずに、
ちゃんと残しておきたいな
と思うものがあったりする。
(Twilogはアーカイブとしては読みにくすぎる)
けど、そういうのをほじくり返して、
「ブログに書きました!」
とか言ってどや顔するのは、
ちょっと恥ずかしい。
というか、気持ち悪い。
ブログは便利なもので、
そのツイートをした日付に
エントリす . . . 本文を読む
宮沢賢治的な言い方をすれば、
人間も自然の一部だ
というふうな理解のしかたを徹底していきますと、
身体は、
あるリズムといいましょうか、
ある独特な時間の反復をもっている自然物といいましょうか、
天然物といいましょうか、
そういうものに全部還元されていってしまう
ということになるような気がするんです。
(吉本隆明+芹沢俊介『宗教の最終のすがた オウム事件の解決』より)
自動機械としての身 . . . 本文を読む
「病人が自己の世界を機械化するのは、
彼が分裂病的宇宙を投影し、
そこで自己を見失うからだ
というのは馬鹿げたことであろう。
彼が分裂病者であるというのさえ誤りである」。
(フーコー『精神疾患と心理学』より)
病人が分裂病的なふるまいをするのは、
社会が分裂病的だからなのである。
西洋の近代の資本主義社会は、
経済的および社会的な条件において、
人間に分裂を強いている。
人間は言語を持 . . . 本文を読む
『吉本隆明[太宰治]を語る』で、
吉本隆明が言ってたことが、
最近ぼくが考えてた太宰の「私」問題を、
めちゃくちゃ上手く説明してくれてたから、
意訳して記録せずにはおれませんでした。
*****
太宰治の作品は前期とか中期とか
後期とか戦後とか幾つかの時代に分けられて、
それぞれの時期で特徴も異なりますが、
これだけは、いつでも見え隠れしていて、
最後までつきまとっている特徴と考えられる。
. . . 本文を読む
一つの文明が繁栄している時には必ず分業化が進みます。
繁栄している時というのは、価値観も社会システムも文化も定まっています。
身分や収入も安定しています。つまり変化は必要ありません。
変化がない時には、なるべく細かく分業して励みます。
その方が楽だし、効率が良いからです。
分業化するほど一人の人が出来る仕事は狭くなりますから、
他人への依存度は高まり、経済は大きくなります。
仕事だけではなく、 . . . 本文を読む
フーコーの何が好きかって、
思想より何より、あの見た目ですよ。
こんな魅力的なルックスの哲学者を、
ぼくは他に知らない。
かっこいいハゲ。
セクシーハゲ。
爽やかハゲ。
フーコーの『言葉と物』が
フランスでバカ売れしたのも
彼のルックスに起因すると思う。
フーコーはメディアに自分を映すのがすごくうまい。
「演じてる」感じが文学的で好き。
哲学者のくせに。
. . . 本文を読む
「自分には○○が必要なんだけど今はそれが足りてない」
っていうのを、
カッコイイ言い訳みたいにして使うのはやめてほしい。
「単にそういうことがしたくないだけじゃないの?」
っていう、意地悪な気持ちになってしまう。
. . . 本文を読む
「嫌な自分を直視しろ!それが本当の自分だ!」
とか
「全てを疑え!真実なんてどこにもないんだ!」
みたいな言葉って、
誰かをアジるのには素晴らしく最適なんだけど、
誰かを成長させるのにはサイテーの部類に入る。
教育とは道を教えることであって、
知らない国の地図を渡すことではないからだ。
. . . 本文を読む
「賢なる者、読むこと少なく、考えること多し」
みたいな格言があって、
これまでは、
「いやはやまったくやなぁ」
と感心するばかりだったんだけど、
この「読むこと」の少なさがどれほどのものか、
ちゃんと考える必要があるなと思った。
どういうことかと言うと
賢い人が想定する読書量と、
ぼくら凡人が想定する読書量が
同じであるわけがない。
ちょうどオリンピック選手の「準備運動」に、
ぼくらの体力が . . . 本文を読む
なんというか……
ここ10年くらいでみんな
「つっこみ力」ばかりが上がっちゃったんですよね。
学者も、マルクス主義消滅後のリベラルは、
みな「つっこみ知識人」と化したわけですよ。
ネットはその作法を体現してしまっている
「リベラルな空間」であるともいえて、
つっこみ力だけが上がっている。
あまりいい喩えではないけど、
たとえばここに二人の異性がいるとして、
この人と結婚すればこういう人生になる . . . 本文を読む
喋ってみて喧嘩別れして、
「お前なんかと二度と会うか。知らん」
でいいんですよ。
それでもそういう人がいた、
ということはわかるわけだから。
みんな対等に同じような生活環境を享受しているのだからわかりあえるはずだ、
という間違った幻想がばらまかれてしまった。
そもそもリベラルの人たちって
「社交的」で「無限の他者に開かれている」とか言っているだけで、
彼らほど「他者」に弱い人はいないですよ。 . . . 本文を読む
政府の透明性をいかに確保するのかなどとは
また別の問題として、
コメント力をいかに高めていくのか。
つまらない例ですが、
昨日、自転車についてちょっとツイートしたら
「お前は自転車について詳しいのか」
と絡まれてしまったんです。
しかしながら自転車の安全性について、
きっちり調べ上げた上でないと何も言ってはいけないのか?
ぼくも昔は自転車乗っていたのに?
とか思うわけです。
「一般意志2.0 . . . 本文を読む