今ライトノベルとかケータイ小説とか、
もしくは『ダ・ヴィンチ』系のエンタメ小説が
なんで優位なのかというと、
あれは映像文化へのアクセスを持ってるからです。
つまり、彼らは実際の部数の
何十倍の影響力を持つ可能性がある。
純文学からはその回路が開けていない。
ここに決定的な差があって、
部数だけで見ると、
川上未映子さんの『ヘヴン』が
西尾維新と極端には違わないじゃないかといっても、
それはやはり違うんです。
もちろん、売れてりゃいいってわけじゃないですよ。
ただ、想像力の源泉として何回も再利用される場に
純文学がアクセスできなくなっているのは、
まあ問題なのかなあと。
(【特別対談】情報革命期の純文学/東 浩紀+平野啓一郎 http://www.shinchosha.co.jp/shincho/201001_talk03.html)
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ああ、そうか・・・。