ひからびろ 3.0

密かに輝くラクダとビロード、ロバ。お願いだから、ひからびてほしい。

Googleのボルヘス生誕112周年記念ロゴ。

2011-08-24 | 常々
ホルヘ・ルイス・ボルヘス 生誕112周年



なんで112などという半端な数なんでしょうね。
112というのは、何か神秘的な数字なんでしょうか?
それともボルヘスのファンなら誰でも分かる、
おなじみの数列なのかしら?

いやそれにしても、かなり凝ったイラストですよね。
まず半月形の壁がGになってて、
茶色い建物(バベルの図書館?)と街への入り口とがふたつのO、
そしてもうひとつのエントランスと、
杖をついたボルヘスと思しき人物とが重なり合ってGを形成して、
いちばん右側の壁で、LとEが出来上がる。
そして何よりイラストの縁取りが開いた本の形にしてある。
ボルヘスの世界をなんとか視覚化しようとする意欲が、
ひしひしと伝わってきます。

しかし、ボルヘスを、
Googleという世界中の人が利用するトップサイトのロゴにして、
ほんとによかったんだろうかと思ってしまいます。

文学の良いところは、ひとつには、
「目に見えない」という点にあると思うんですね。
だから「絶世の美女」なんて言葉を使っても、
誰からも文句が出ない。
マンガだったら、「絶世の美女」を、
言葉で表すだけでなく、ちゃんと描かなきゃいけなくて、
読者を納得させなきゃいけない。

自分の好きな小説が映画化したのを見てて、
残念な気持ちになるのは、
自分が頭の中で想像していた世界が、
スクリーンの中に映し出されなかったからです。
たまに想像通りの世界が繰り広げられることもありますが、
それはかなり稀なことではないかと思います。

逆に、映画を見た後に、
原作の小説を読む場合、
今度は映画のイメージに縛られて、
自由な想像ができなくなってしまうことがあります。
ぼくは『ティファニーで朝食を』の時に、
そういう体験をしました。
カポーティがイメージしたホリー(主人公の女性)を楽しもう、
と思えば思うほど、
オードリーのかわいい顔がこちらに迫ってくるわけです。
これはなかなか鬱陶しかったです。

同様に、今回のGoogleボルヘスで、
イメージが固定されて、
この機会に読んでみようと思った読者は、
想像力を縛られてしまうんじゃないかと。
そんな(どうでもいい)ことを危惧してしまうんですね。
しかもGoogleは、月10億人が利用するらしいですから、
まあ、一日に3億人くらい?
それくらいの人たちが今後、
同じような視覚的イメージをもって、
ボルヘスを読むことがないとは言い切れないわけです。

まあ要するに何が言いたかったのかというと、
これはボルヘスを読むことについて、
ある種の障害にもなりかねないのではないかと。
だって、当のボルヘスが、
Googleのロゴはおろか、
ほとんどの視覚的イメージなしに、
豊かな想像の世界を作り出したはずですから。
なんだかフェアじゃないなと、
ぼくなんかは思ってしまったわけですね。

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