例えば、物忘れがひどくなったのが呆けた事なら、呆けた事など大した事ではあるまい。詰まらない事を、あんまり覚え過ぎたから、いっそさっぱりしているようなものだ。呆けたという特色は、そんなものではない。棺桶に確実に片足をつっ込んだという実感です。
— 小林秀雄 botcast (@hideKoba_bot) 2018年6月24日 - 08:05
(生と死)
もしも、もっとも有力なパリサイ人が、イエスを教会に連れていき律法博士と呼び、うやうやしくその言葉に耳を傾けたならば、イエス自身も新しい福音を伝道するなどということはなかっただろう。(E・ホッファー)
— 現実主義bot(リアぼ) (@riarisuto_bot) 2018年6月24日 - 08:07
「私はいつも≪悲しみの少ない者ほどはでに泣く≫という名句を思い出す」(モンテーニュ)※タキトゥスの言葉
— モンテーニュbot (@MontaigneBot) 2018年6月23日 - 22:14
1033 世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である(スッタニパータ)
— 仏陀 ブッダ ことば 仏教 (@Buddha_Words) 2018年6月23日 - 23:01
真実は重いものだ、だから若者しか運ぶことができない。
— ユダヤの格言.bot (@Jewish_proverb) 2018年6月24日 - 02:08
人間はとかく、現在を合理化するために、プラスにしろマイナスにしろ、過去を造形して「自分史」をつくりたがる性癖を持っている。そのことで現在をかため、ひいては未来をせばめてしまいかねない。
— 一刀斎_森毅教授の名言_bot (@moritsuyoshibot) 2018年6月24日 - 09:37
戦争は様々な可能性、蓋然性、運不運に左右されるものとならざるを得ない。かくて厳密な論理的追求などはしばし全く不可能となり、むしろ一般に無益で煩わしいものとさえなる。ということは、戦争は時に戦争らしく、時に戦争らしからぬものになるということを意味する。(第八篇第二章)
— クラウゼヴィッツbot (@Carl_Clausewitz) 2018年6月23日 - 23:24
きみが高みに登れば登るほど、妬みの目は、遠ざかる君を小さく見る。飛び抜けて高く駆け上がる者は、もっとも憎まれる者なのだ。"ニーチェ「ツァラトゥストラ」"
— ニーチェ「ツァラトゥストラ」bot (@Zara__bot) 2018年6月24日 - 09:19
「供給こそが需要を創り出すのだ」(セイ)
— 自由の至言bot (@hankyou0406) 2018年6月24日 - 09:45
フッチーのblogを更新しました! フッチーの雑記帳~!? : ヤコビアン考 blog.livedoor.jp/futchy3/archiv… pic.twitter.com/chpBN9j6dF
— 瀬下 幽玄 (@undershallow) 2018年6月24日 - 21:39