へんろ道高知ファンクラブ

四国八十八箇所へんろ道等が、世界遺産として登録されるように、多くの団体等と連携して実現を図る。

栄ちゃんの四国霊場巡り 目次

2010年08月30日 | 個人会員でーす

21番以降は、こちらに移動しました (栄ちゃんの四国霊場巡り 目次)

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・20番霊場 鶴林寺(かくりんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・19番霊場 立江寺(たつえじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・18番霊場 恩山寺(おんざんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・17番霊場 井戸寺(いどじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・16番霊場 観音寺(かんのんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・15番霊場 国分寺(こくぶんじ) 
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・2番霊場 極楽寺(ごくらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・1番霊場 霊山寺

21番以降は、こちらに移動しました (栄ちゃんの四国霊場巡り 目次)

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

2010年08月30日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



(四国10番霊場 切幡寺(きりはたじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。

仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。


 弘仁のころ、山麓の貧しい小にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。

七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。

すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。




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2010年08月29日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
10番霊場 切幡寺(きりはたじ) に関するページ



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

















出典:四国ネット・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)

最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。

仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。


 弘仁のころ、山麓の貧しい小にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。

七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。

すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

2010年08月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



(四国9番霊場  法輪寺(ほうりんじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。

歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。

天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。

法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。

その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。

頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。


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2010年08月13日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
9番霊場 法輪寺(ほうりんじ) に関するページ



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)










出典:四国ネット・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)

田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。

歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。

天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。

法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。

その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。

頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。



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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) 

2010年08月02日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)



(四国8番霊場  熊谷寺(くまだにじ)  09/04/08)

出典:四国ネット・・・熊谷寺(くまだにじ)

のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。

やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。


 寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。

そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。


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四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) に関するページ



栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ) 
















出典:四国ネット・・・熊谷寺(くまだにじ)

のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。

やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。


 寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州の熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。

そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。


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