へんろ道高知ファンクラブ

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・17番霊場 井戸寺(いどじ)

2010年11月21日 | 携帯からの記事

 

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・17番霊場 井戸寺(いどじ)

 

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             (四国17番霊場 井戸寺(いどじ) 09/05/08)

 

出典:四国ネット・・・17番霊場 井戸寺(いどじ)

かつて古代阿波の中心地であったこの附近は、いま、農村地帯となり、はなやかりしころの面影はない。

大谷の藩主の別館の長屋門を移築したという山門を入ると、正面に本堂がある。昭和四十三年の焼失以後に再建されたコンクリート造りの建物。

縁起によれば、天武天皇の勅願道場として白鳳二年(六七四)に開創され、そのころは妙照寺とよばれ、八町四方の広大な寺域と十二坊を有する大寺であった。

本尊の七仏薬師は聖徳太子の作。脇仏の日光・月光菩薩は行基菩薩の作。弘仁五年弘法大師はこの地にとどまり、ご本尊を拝して修行され、十一面観音立像を刻まれて安置した。

そして、この地方の水が悪いのを憂いて、錫杖で井戸を堀られたら、清水がこんこんと湧き出て大師のお姿を写された。そこでご自身の姿を石に刻まれた。面影の井戸や井戸寺の名もこれに由来する。

大師の石像に日を限って祈願すると願いがかなうので日限大師として多くの信仰をあつめている。  

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・16番霊場 観音寺(かんのんじ)

2010年11月08日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・16番霊場 観音寺(かんのんじ)

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            (四国16番霊場 観音寺(かんのんじ)  09/05/08)

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            (四国16番霊場 観音寺(かんのんじ)  09/05/08)

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            (四国16番霊場 観音寺(かんのんじ)  09/05/08)

 

出典:四国ネット・・・16番霊場 観音寺(かんのんじ)  

「右へんろ道」と刻まれた古い地蔵尊の道標がへんろ道の曲り角にある。道の両側は商店が並び、その中に観音寺の山門がある。のんびりとした田舎の町中に、ひっそりとたたずむ札所、そんな感じがする。

 山門を入れば本堂が目の前にあり、左右に納経所と大師堂。
 天平十三年に寺は創建されたと伝えられ、聖武天皇勅願の道場であった。弘仁七年に弘法大師が留錫し、ご本尊の千手観世音と脇士の不動明王・毘沙門天を刻まれ、それぞれ安置された。中世のころは荒廃し、万治二年に僧宥応が再興して旧観に復した。また、領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現在の堂宇はそのころ再建されたものという。


 ご本尊の霊験により、高松伊之助という盲目の遍路が、目が見えるようになったことや大師のいましをうけた宮崎シヨさんという遍路のことなどいまも実話として語りつがれている。 

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・15番霊場 国分寺(こくぶんじ) 

2010年11月08日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・15番霊場 国分寺(こくぶんじ)

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            (四国15番霊場  国分寺(こくぶんじ)  09/05/08)

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            (四国15番霊場  国分寺(こくぶんじ)  09/05/08)

 

出典:四国ネット・・・15番霊場 国分寺(こくぶんじ)  

常楽寺をあとに山沿いの道を八百㍍ほど歩くと、国分寺の山門の前に出る。

境内に入ると、創建当時の塔の心礎がある。正面に重厚な感じの二層の本堂。ありし日の大寺としての面影さえうかがえる。

天平十三年(七四一)二月、聖武天皇は国ごとに最適の地を選んで金光明四天王護国之寺という僧寺と、法華滅罪之尼寺という寺を建立するよう命じた。いわゆる国分二寺の造営である。

阿波は粟の国と長の国が合して阿波の国となり、国府はいまのJR国府駅附近におかれ、国分寺は政治の中心から南へ一㌔ほどの矢野に建てられた。

いまの本堂のあるところは、もと講堂であったという。ご本尊は行基菩薩作の薬師如来。当初は法相宗であったが、弘法大師が留錫して真言宗になった。

その後、寛保元年に吼山養師和尚が堂宇を再建し、曹洞宗に改宗している。弘法大師が参籠して刻んだ烏瑟沙摩明王は一切のけがれを清浄にすることから寺で授けるお札はお手洗にまつる。 

 

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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)

2010年11月08日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・14番霊場 常楽寺(じょうらくじ) 

 

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            (四国14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)  09/05/08)

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            (四国14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)  09/05/08)

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            (四国14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)  09/05/08)

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            (四国14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)  09/05/08)

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出典:四国ネット・・・14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)  

弥勒菩薩は五十六億七千万年後、兜率天という所からこの世に下られ、釈迦の救いが得られなかった人々を救済するといわれているが、弘仁六年、弘法大師がこの地で修行されているとき、弥勒菩薩を感得され、ただちに尊像を刻み、堂宇を建立して安置した。

そして「私が目をとじたならば必ず弥勒菩薩のおられる理想の世界に往生して、五十六億余年後に、弥勒菩薩に従ってこの世にまいり、私の歩いた跡をたどりたい」といわれたという。

大師が弥勒菩薩を信仰されていたことは、高野山麓にある九度山慈尊院に本尊として安置されていることからもうかがい知れる。

 後に、大師の弟子真然僧正は、常楽寺に金堂を建立し、祈親法師は講堂・三重塔・仁王門など増築したが、天正の兵火で焼失し、万治二年に再建し、文化十五年に現在地へ移建された。

大日寺から鮎喰川を渡り、寺の創設した養護施設の常楽園を経ると、まもなく常楽寺がある。

 

 

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