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栄ちゃんの四国霊場巡り 目次

2010年08月30日 | 個人会員でーす

21番以降は、こちらに移動しました (栄ちゃんの四国霊場巡り 目次)

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・20番霊場 鶴林寺(かくりんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・19番霊場 立江寺(たつえじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・18番霊場 恩山寺(おんざんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・17番霊場 井戸寺(いどじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・16番霊場 観音寺(かんのんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・15番霊場 国分寺(こくぶんじ) 
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・14番霊場 常楽寺(じょうらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・13番霊場 大日寺(だいにちじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・12番霊場 焼山寺(しょうさんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・11番霊場 藤井寺(ふじいでら)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・10番霊場 切幡寺(きりはたじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・9番霊場 法輪寺(ほうりんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・8番霊場 熊谷寺(くまだにじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・4番霊場  大日寺(だいにちじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・3番霊場  金泉寺(こんせんじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・2番霊場 極楽寺(ごくらくじ)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・1番霊場 霊山寺

21番以降は、こちらに移動しました (栄ちゃんの四国霊場巡り 目次)

四国八十八箇所(高知県内

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大豊町・八坂神社 日本一の大杉③ 美空ひばり遺影碑ほか

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

大豊町・八坂神社 日本一の大杉②



八坂神社 日本一の大杉の入り口にある料金所前の道路を上がると、美空ひばりの遺影碑や歌碑が建立された公園に行くことが出来ます。







八坂神社
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。



美空ひばり遺影碑9歌碑がたたずむ
大杉の苑敗戦直後の混乱期9歳でデビユーした美空ひばりさんは昭和22年まだ美空和根という芸名で地方巡業している途中、大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。

そして、1ケ月半の療養後、町内にある国の特別記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるようにと願をかけました。

帰京後、芸名を美空ひばりと変え、文字通り日本一のスターへの道を歩んだひばりさんは、14歳の時に当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ、日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝したのです。

その後昭和の歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、平成元年、日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。

大豊町では、.美空ひばりゆかりの地として、その業績を諾え、いつまでも人々の胸に残るようにと、フアンやプロダクション、レコード会社など、数多くの関係者の全面的なご理解とご協力を得て、平成5年5月に杉の大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立しました。







HN:参拝者

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大豊町・八坂神社 日本一の大杉②

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①



杉の大杉

日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

この杉の大杉は、それぞれに南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二様が根元で含意していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。

深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませれば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。





高知県長岡郡大豊町743 0887-72-1417

より大きな地図で 大豊町 八坂神社の日本一の大杉 を表示



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大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。







八坂神社
祭  神 : 素盞嗚尊
鎮座地:高知県長岡郡大豊町杉794

土佐は吉野川支流穴内川(あなないがわ)の左岸、
今JR土讃線大杉駅より徒歩約15分、国道32号線沿いの小山に鎮座。
由  緒:
当社の創建は詳らかならずも、この地の旧家の記録によると、延喜12年(912)杉本某がこの杉村の大杉のもとに、祗園牛頭天王及び貴船大明神の尊像をお祀りしたのを当社の初めとするという。
また、鎌倉時代の末期、幕府に繋がる武門の一族が落ち来たりて杉本氏が京都から八坂神社の祭神素盞嗚尊を勧請してお祀りしたのを初めとするというような、よく似た話が伝えられている。
     (宮司さんのご説明などより)



当社の御神木であるこの大杉は、国の特別記念物に指定されている。
推定樹齢は3000年で、南大杉と北大杉と呼ばれる2株の大杉からなっている。
大きい方の南大杉は、根元の周囲が約20m、樹高が約60mで日本一といわれている。
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。







八坂神社 拝殿



八坂神社釣井正亀宮司著「大杉・八坂神社の神秘」によると

日本一の巻龍(虹梁)の彫刻は、

昭和27年八坂神社改築の時、徳島県大歩危の浦辺理盛さんが一本のケヤキに彫刻した傑作



杉の大杉
日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

この杉の大杉は、それぞれに南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二様が根元で含意していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。

深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませれば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。


高知県長岡郡大豊町743 0887-72-1417


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大豊町・豊楽寺薬師堂・・・四国最古の建造物で、国宝に指定されている!①

2010年07月07日 | 個人会員でーす
初めて大豊町・薬師寺に寄って来ました。"四国最古の建造物で、国宝に指定されている"ことは知っていましたので、一度行ってみたいと思っていました。

定福寺からの帰りに、国道32号線の川向にある大田口小学校を過ぎたところの国道沿いに標識があり、3.2km登っていく表示もありました。



(豊楽寺薬師堂に参拝して、降りてくる道路よりの風景です。吉野川と国道32号線)

大豊町商工会HP:風雅な趣をたたえる閑寂な寺国宝・豊楽寺薬師堂

豊楽寺は神亀元年(724)、僧行基によって創設された寺。別名紫折薬師とも称され、愛知県の鳳来寺の峰薬師、福島県の常福寺の嶽楽師とともに日本三大薬師の一つに数えられています。薬師堂は、平安後期藤原時代の優美な建築様式を今に残した四国最古の建造物で、国宝に指定されています。
 堂内には、阿弥陀如来像、薬師如来像、釈迦如来像があり、国の重要文化財に指定されています。
















豊楽寺薬師堂  TEL : 0887-73-0029
住所 : 〒 789-0234 高知県長岡郡大豊町寺内314


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須崎市・大善寺に参拝しました(その2)

2010年06月11日 | 個人会員でーす
須崎市・大善寺に参拝しました。

須崎市・大善寺に参拝しました(その1)

高台にあるので、海岸よりからは良く目に付きます。

駐車場から登るのが大変ですが、足の不自由な人のためにモノレールがつけられていました。

すさきガイド:大善寺
四国別格二十霊場第五番札所、四国三十三観音霊場第十四番札所で、「二つ石大師」や「ぼけ封じ観音」として信仰されている。

石段を登りきった境内からは、鐘楼越しに、須崎湾を眺めることができる。
[八月十九日大師まつり]














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須崎市内の見所・ウオッチング

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須崎市・大善寺に参拝しました(その1)

2010年06月11日 | 個人会員でーす
須崎市・大善寺に参拝しました。

高台にあるので、海岸よりからは良く目に付きます。

駐車場から登るのが大変ですが、足の不自由な人のためにモノレールがつけられていました。



すさきガイド:大善寺
四国別格二十霊場第五番札所、四国三十三観音霊場第十四番札所で、「二つ石大師」や「ぼけ封じ観音」として信仰されている。

石段を登りきった境内からは、鐘楼越しに、須崎湾を眺めることができる。
[八月十九日大師まつり]







出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』:大善寺(だいぜんじ)
大善寺(だいぜんじ)は高知県須崎市に所在する高野山真言宗の寺院。山号は高野山。本尊は弘法大師。別名は須崎高野山、二つ石大師。四国八十八箇所霊場番外札所、四国別格二十霊場第五番札所、四国三十三観音霊場第十四番札所。

須崎市街地の南西端にある丘陵に位置する。丘陵の下に大師堂があり、階段を登った丘陵上に鐘楼、本堂、本堂に併設して納経所がある。

伝承によれば、現在寺院がある丘陵は須崎湾に突き出た岬であった。ここには「波の二つ石」と呼ばれる二つの巨石があった。ここを通る際には、通常は丘陵を越えて通行していたが、干潮時は二つ石の端を通行していた。しかし、ここは「土佐の親不知」とも呼ばれる難所で突然の大波にさらわれる海難事故が絶えなかった。この岬は霊峰・石鎚山の南端に当たるとされ、不浄の者がここを通ると怪異に出会い難に遭うのだと言われた。
平安時代前期の弘仁6年(815年)空海(弘法大師)が42歳の時、四国霊場開創のため巡錫中に須崎を訪れた際この話を聞いた。空海はここで海難死亡者の菩提を弔い交通安全を祈願した。その後、ここに大師堂が結ばれたとされている。やがてこの大師堂は「二つ石大師」と呼ばれるようになった。
二つ石は長年の波涛で周囲に土砂が堆積し陸地となった。昭和初期には防波堤が造られ、現在、二つ石は土中に埋まっている。

この寺院の名は、土佐藩の豪商・美濃屋が江戸時代後期の文化12年(1815年)に編纂した『南路志』に記録されている。元々、寺院の名称は八幡山明星院大善寺と言い、大和国(現在の奈良県)長谷寺の僧坊・小池坊の末寺であったと伝えられている。当時の本尊は阿弥陀如来で、元来は現在地より東寄りの古市町にあった。しかし、宝永4年(1707年)の宝永地震による津波で流され、城山の麓に移ったとされている。地震以前は末寺17ヶ寺を従える大寺であったと伝えられている。

明治時代になると廃仏毀釈により、明治27年(1894年)に廃寺となった。廃寺となったことを惜しむ信徒により、2年後の明治29年(1896年)現在の地に寺院が復興された。



大師の精神深く根付く:別格第五番・大善寺
奈良県の和州長谷寺の末寺として弘法大師が開山。1707年の宝永地震の津波で流され、古城山のふもとに移築。廃仏毀釈で1894年に廃寺となるが、96年に現在地に再興。二つ石大師とも呼ばれる。毎年8月19日に大師祭。毎月21日の「大師の日」には護摩供養があり、大師堂の大師像を拝顔できる。「ぼけ封じ観音」も信仰を集める。

須崎市西町1の2の1。(電)0889・42・0800。




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