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四国八十八箇所へんろ道等が、世界遺産として登録されるように、多くの団体等と連携して実現を図る。

栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)

2010年07月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)



(四国7番霊場  十楽寺(じゅうらくじ)  09/04/08)
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)


出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)

この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、

人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。

そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。

このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。

寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
 参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。



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2010年07月23日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場 7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ) に関するページ




栄ちゃんの四国霊場巡り・・・7番霊場 十楽寺(じゅうらくじ)















出典:四国ネット・・・十楽寺(じゅうらくじ)
この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、

人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。

そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。

このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。

寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。
 参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。


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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)

2010年07月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



(四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



              (四国6番霊場  安楽寺(あんらくじ)  09/04/08)



出典:四国ネット・・・ 安楽寺(あんらくじ)

田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。

 昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。

 創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。

駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。

現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。

寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある。



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四国霊場 6番 安楽寺(あんらくじ) に関するページ

2010年07月16日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
四国霊場 6番 安楽寺(あんらくじ) に関するページ




栄ちゃんの四国霊場巡り・・・6番霊場 安楽寺(あんらくじ)
















出典:四国ネット・・・ 安楽寺(あんらくじ)

田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。

 昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。

 創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。

駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。

現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。

寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある。



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大豊町・八坂神社 日本一の大杉③ 美空ひばり遺影碑ほか

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

大豊町・八坂神社 日本一の大杉②



八坂神社 日本一の大杉の入り口にある料金所前の道路を上がると、美空ひばりの遺影碑や歌碑が建立された公園に行くことが出来ます。







八坂神社
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。



美空ひばり遺影碑9歌碑がたたずむ
大杉の苑敗戦直後の混乱期9歳でデビユーした美空ひばりさんは昭和22年まだ美空和根という芸名で地方巡業している途中、大豊町でバス事故に遭遇し九死に一生を得ました。

そして、1ケ月半の療養後、町内にある国の特別記念物「杉の大杉」に「日本一の歌手になれるようにと願をかけました。

帰京後、芸名を美空ひばりと変え、文字通り日本一のスターへの道を歩んだひばりさんは、14歳の時に当時お世話になった方々への挨拶をかねて大豊町を訪れ、日本一の誓いも新たに「杉の大杉」に参拝したのです。

その後昭和の歌謡史に大きな足跡を残したひばりさんは、平成元年、日本中のファンに惜しまれながらこの世を去りました。

大豊町では、.美空ひばりゆかりの地として、その業績を諾え、いつまでも人々の胸に残るようにと、フアンやプロダクション、レコード会社など、数多くの関係者の全面的なご理解とご協力を得て、平成5年5月に杉の大杉のすぐ隣に「大杉の苑」を整備し、遺影碑と歌碑を建立しました。







HN:参拝者

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大豊町・八坂神社 日本一の大杉②

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉①



杉の大杉

日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

この杉の大杉は、それぞれに南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二様が根元で含意していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。

深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませれば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。





高知県長岡郡大豊町743 0887-72-1417

より大きな地図で 大豊町 八坂神社の日本一の大杉 を表示



HN:参拝者

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大豊町・八坂神社 日本一の大杉①

2010年07月14日 | 個人会員でーす
大豊町・八坂神社 日本一の大杉に、久しぶりに行って来ました。

道の駅「大杉」のところから大杉が見えています。道の駅から車で登っていってすぐです。







八坂神社
祭  神 : 素盞嗚尊
鎮座地:高知県長岡郡大豊町杉794

土佐は吉野川支流穴内川(あなないがわ)の左岸、
今JR土讃線大杉駅より徒歩約15分、国道32号線沿いの小山に鎮座。
由  緒:
当社の創建は詳らかならずも、この地の旧家の記録によると、延喜12年(912)杉本某がこの杉村の大杉のもとに、祗園牛頭天王及び貴船大明神の尊像をお祀りしたのを当社の初めとするという。
また、鎌倉時代の末期、幕府に繋がる武門の一族が落ち来たりて杉本氏が京都から八坂神社の祭神素盞嗚尊を勧請してお祀りしたのを初めとするというような、よく似た話が伝えられている。
     (宮司さんのご説明などより)



当社の御神木であるこの大杉は、国の特別記念物に指定されている。
推定樹齢は3000年で、南大杉と北大杉と呼ばれる2株の大杉からなっている。
大きい方の南大杉は、根元の周囲が約20m、樹高が約60mで日本一といわれている。
敗戦直後の昭和22年、まだ美空和枝という芸名で地方巡業をしていた後の美空ひばりが、この大豊町でバス事故に遭った。幸い九死に一生を得た和枝はこの大杉に、「日本一の歌手になれますように」とお願いした。
帰京後、芸名を美空ひばりと変え、それから日本一の歌手へと歩んだことは有名である。







八坂神社 拝殿



八坂神社釣井正亀宮司著「大杉・八坂神社の神秘」によると

日本一の巻龍(虹梁)の彫刻は、

昭和27年八坂神社改築の時、徳島県大歩危の浦辺理盛さんが一本のケヤキに彫刻した傑作



杉の大杉
日本一の大杉として名高い「杉の大杉」は、太古の昔に須佐之男命(すさのおのみこと)が植えられたと伝えられる推定樹齢3000年の巨木です。

この杉の大杉は、それぞれに南大杉、北大杉と呼ばれる二株の大杉からなっており、二様が根元で含意していることから、別名、夫婦杉とも呼ばれています。

南大杉は根元の周囲が約20メートル、樹高が約60メートルで、北大杉は根元の周囲が約16.5メートル、樹高が約57メートルあり、昭和27年に国の特別天然記念物に指定されました。

深閑とした八坂神社の境内にどっしりと根をおろした大杉の下にたたずみ、そっと耳をすませれば、3000年におよぶ太古からのはるかなる歴史の鼓動が聞こえてくるようです。


高知県長岡郡大豊町743 0887-72-1417


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栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

2010年07月09日 | 徳島・愛媛・香川のお寺と道
栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)  



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



出典:四国ネット・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
 境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。
 ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。
 かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。
 本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。
 実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。
 喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。



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四国 5番霊場 地蔵寺(じぞうじ) に関するページ




栄ちゃんの四国霊場巡り・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



(四国5番霊場 地蔵寺  08/03/17)



出典:四国ネット・・・5番霊場 地蔵寺(じぞうじ)

この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。
 境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。
 ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。
 かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺、仁和寺門跡を出した名刹。
 本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。
 実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。
 喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。



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大豊町・豊楽寺薬師堂・・・四国最古の建造物で、国宝に指定されている!②

2010年07月08日 | 事務局からのお知らせ
初めて大豊町・薬師寺に寄って来ました。"四国最古の建造物で、国宝に指定されている"ことは知っていましたので、一度行ってみたいと思っていました。

大豊町・豊楽寺薬師堂・・・四国最古の建造物で、国宝に指定されている!①



台風で壊れたのを、長宗我部元親や山内忠義が修復されたと記されています。

江戸後期(1805年)の大火で、豊楽寺本堂、薬師堂を除く建物は焼失したようです。







大豊町・豊楽寺薬師堂・・・四国最古の建造物で、国宝に指定されている!②



広い駐車場やトイレもあり、周囲もきれいに手が入れられており、参拝者など人の出入りが多い事を感じました。





定福寺でご一緒した南国から来られたご夫婦が、薬師堂にも先に来られており、"また会いましたねー・・・庭がきれいですよ"と話されていました。






HN:参拝者

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