Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(198)リヴァプール(イギリス)

2012-07-26 21:49:20 | イギリス
 首都 London (ロンドン)に2泊した後、アイルランド行きのフェリーが発着する港湾都市 Liverpool (リヴァプール)へと向かった(列車で所要約2.5時間)。



 リヴァプールの街はアイリッシュ海に面し、マージー川の河口に位置する。ビートルズを輩出した街でもある。

 この街が歴史の記録に現れるのは1195年。当時の名前は【 Liuerpol 】【 dirty pool 】だった。
 1207年にジョン王(1167年~1216年)(プランタジネット朝(1154年~1399年)第3代イングランド王(在位1199年~1216年)より自由都市の特権が与えられた。

 小さな港だったリヴァプールの街が発展したのは17世紀末以降。
 泥の堆積によって衰退していった近郊のチェスター港に代わって、イングランド北西部商業都市の代表格となった。郊外では製造業が成長し、貿易港として繁栄した。
 18世紀当時、イギリスは大西洋三角貿易(ヨーロッパからアフリカへ日用品や火器を、北米からヨーロッパへ砂糖などを持ち込んだ)で繁栄した。
 リヴァプールは、その貿易拠点として中心的な役割を果たしたが、奴隷貿易で発展したという負の側面も併せ持つ。

 産業革命の時代、1830年にはリヴァプールと綿織物工業が発展していた Manchester (マンチェスター)を結ぶ鉄道が開通し(距離は約50km)、1860年代には鉄道交通の要所となった。マンチェスターから運ばれた綿製品や陶器など多くの輸出品がここから世界中に運ばれた。
 19世紀、リヴァプール港はイギリス第一の港へと成長し、リヴァプールの街はイギリス有数の工業都市・交易都市として繁栄した。19世紀末、リヴァプールはロンドンに次ぐ【帝国第二の都市】とまで呼ばれるようになっている。
 
 第二次世界大戦時、ナチスドイツによって街は破壊され、1940年代後半から綿貿易と繊維産業は衰退していく。
 その後もイギリスの経済不況を受けていたが、1960~70年代から大規模な再建計画がはじまり、ビートルズゆかりの建物などを利用した観光に力を入れている。
 また、この街はイングランド・プレミアリーグリヴァプールFCのホームタウンである。
 スティーヴン・ジェラード選手(イングランド代表)が活躍していることで有名なこのチームは、本田圭佑選手(CSKAモスクワ)(日本代表)の移籍先候補として、日本で何度もマスコミにその名前が挙がっている。

 18~19世紀の海港都市としての姿を残している一部の地区は、【海商都市リヴァプール】の名で、2004年に世界遺産に登録された。



 Dublin (ダブリン)(アイルランド)行きの夜行フェリーの切符を手配し、街を散策した。
 予想していたよりも人通りは少なく、夜20時を過ぎるとほとんど人通りがなかった(街の人々が集まる繁華街があるのかもしれない)。緯度が高いせいで20時を過ぎても空が明るかった為、人気のない街の様子が不気味に思えたのを覚えている。

 この街で観光したのは、ビートルズ・ストーリー(ビートルズの博物館・記念館)とマシュー・ストリート(ビートルズ発祥の地として有名な通り)。



 学生の頃洋楽を聴き始めたきっかけがビートルズだったので、この街に来れたことが嬉しかった。

※地図はこちら



 (追記)

 2012年7月27日、ロンドン五輪が開幕した。

 開会式では、ポール・マッカートニー“ Hey Jude ”(ビートルズ)を熱唱し、会場にいた人々も一緒にこの歌を唄った。

※“ Hey Jude ”のおまけ記事はこちら